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おおのみなとじんじゃ

大野湊神社
石川県 三ツ屋駅

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kamuhogi
kamuhogi
2025年01月09日(木)
1投稿

当社の起源は、聖武天皇神亀4年(727)猿田彦大神を、既に鎮座されていた神明社(祭神・天照大神)の傍に勧請したのが始まりといわれている。この神明社の創設は不詳であるが、あらたに猿田彦大神を天照大神と合祀されてより、この社を大野郷(旧宮腰・現金石町)の湊の守護神として、大野湊神社と称されるようになった。後深草天皇建長4年(1252)社殿炎上により、東八丁をへだてた離宮八幡宮(現在地)に奉遷され今日に至る。歴代朝廷、武将の尊崇篤く、特に加賀藩主前田利家公は任国の際、本陣となった当社の荒廃を憂い、宮腰をはじめ十五ケ村にその総社として祭資を供進させて社殿を再興。二代前田利長公は毎年の神事能興行の例をつくり、また三代前田利常公は、寛永16年(1639)社殿を造営し、氏子村を増加させるなど、歴代藩主の崇敬きわめて篤く加賀藩五社の筆頭の位置にあった。明治18年県社に、昭和41年神社本庁別表神社に指定された。寺中の森として有名な社叢は、昭和52年金沢市文化財に、寛永16年に造営された本殿三棟は、昭和57年石川県文化財に指定されている。毎年8月1日より3日間執り行われる大祭は、525年間大野郷に鎮座されていた当時を偲び、海岸の仮殿に神輿を奉遷して行なわれるもので、金石の夏祭りとして有名である。なお、慶長9年に創始された神事能は、現在も金沢能楽会関係者により5月15日に奉納されている。

大野湊神社(石川県)
大野湊神社(石川県)
大野湊神社(石川県)
大野湊神社(石川県)
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歴史

大野湊神社は、神亀4年(727)陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の出現を感じ、海辺の大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に存していた神明社の傍らに一祠を建立し勧請したことをその創祀としている延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。
この神明社、即ち天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を奉斎した社の創立年代は不詳ですが、おそらく飛鳥朝時代であると考えられています。
この猿田彦大神を合祀してより、天平元年(729)には天に達し「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を賜りました。
しかし建長4年(1252)社殿が炎上したため、離宮八幡宮(現在の社地)に遷座されました。
歴代朝廷の崇敬篤く度々の造営神宝の御奉納、勅使参向もあり、武将国司の神器社領の寄進がありましたが、一向一揆の乱により社殿の荒廃甚だしかったとされています。
天正14年(1586)加賀藩主前田利家公が任国の際、社殿を再興し、社領を寄進されました。
以降加賀藩主前田家の崇敬篤く、大野庄(現在の金沢駅西地区)の総社として社殿、神器の修築や寄進を受けております。
明治5年郷社、同18年県社に昇格、同34年壱千弐百年祭が斎行されました。昭和25年壱千弐百五拾年祭、同41年神社本庁別表神社に加列されました。
平成12年には壱千参百年祭を斎行し、現在でも海と湊の安全を守護し、交通安全、厄除け等に御神徳の高い大神様として篤い信仰を集めています。

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名称大野湊神社
読み方おおのみなとじんじゃ
参拝時間

社務所:9:00〜17:00

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号 076-267-0522
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://oonominato.or.jp/
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神《主祭神》
離宮八幡宮:護国八幡大神
神明社:天照坐皇大御神
佐那武社:猿田彦大神

《配祀神》
鎮魂八神
瀬織津姫神
創建時代神明社:飛鳥朝時代 佐那武社:神亀四年(727年) 
文化財

神事能(市無形民俗文化財)

ご由緒

大野湊神社は、神亀4年(727)陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の出現を感じ、海辺の大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に存していた神明社の傍らに一祠を建立し勧請したことをその創祀としている延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。
この神明社、即ち天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を奉斎した社の創立年代は不詳ですが、おそらく飛鳥朝時代であると考えられています。
この猿田彦大神を合祀してより、天平元年(729)には天に達し「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を賜りました。
しかし建長4年(1252)社殿が炎上したため、離宮八幡宮(現在の社地)に遷座されました。
歴代朝廷の崇敬篤く度々の造営神宝の御奉納、勅使参向もあり、武将国司の神器社領の寄進がありましたが、一向一揆の乱により社殿の荒廃甚だしかったとされています。
天正14年(1586)加賀藩主前田利家公が任国の際、社殿を再興し、社領を寄進されました。
以降加賀藩主前田家の崇敬篤く、大野庄(現在の金沢駅西地区)の総社として社殿、神器の修築や寄進を受けております。
明治5年郷社、同18年県社に昇格、同34年壱千弐百年祭が斎行されました。昭和25年壱千弐百五拾年祭、同41年神社本庁別表神社に加列されました。
平成12年には壱千参百年祭を斎行し、現在でも海と湊の安全を守護し、交通安全、厄除け等に御神徳の高い大神様として篤い信仰を集めています。

体験祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印博物館お守り祭り伝説

Wikipediaからの引用

概要
大野湊神社(おおのみなとじんじゃ)とは、石川県金沢市に鎮座する猿田彦大神を祭神とする神社である。
歴史
歴史[編集] 神亀4年(727年)、陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神を拾い上げ、大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に既にあった神明社(祭神・天照大神)の傍らに一祠を建立し勧請したのが始まりとされる。この合祀より大野郷(旧宮腰・現金石町)の湊の守護神として、大野湊神社と称されるようになった。天平元年(729年)に「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を与えられる。延長5年(927年)成立の延喜式神名帳に記載を持つ加賀郡の式内社で、2133ある国幣小社のひとつである。社号は佐那武大宮大明神または佐良嶽(さらだけ)明神。平安末期には大野湊神社という社号は...Wikipediaで続きを読む
行事
例祭[編集] 大祭 8月1日 - 8月3日だったが、現在は8月第一日曜日を最終日とする3日間 神事能 5月15日 - 毎年8月1日から3日間にわたって行われる大祭は、創建当時の場所に仮殿を建てて行われる。
引用元情報大野湊神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E9%87%8E%E6%B9%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101992149
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