いつくしまじんじゃ
厳嶋神社東京都 若松河田駅
24時間
地下鉄大江戸線「東新宿駅」下車徒歩10分。
祭神が市杵島姫命から弁財天を祀っている新宿山の手七福神の札所です。
1086年、源義家が後三年の役で奥州平定に向かう途中でお詣りしたと言われ、創建当時は
最も高い場所だったところから富士山も見えるようで、さらには安芸の厳島神社に戦勝の祈願をされたと云われています。
ここの交差点が「抜弁天」となっているのは、厳島神社の通称で、境内が南北に通り抜けられることができ苦難を乗り越えられる
弁財天として、信仰が厚かったそうです。
近くの西向天神社が管理しており、御朱印もこちらでいただけます。
新宿の中心地からは少し離れており、神楽坂方向への台地の入口です。
道路が整備されたので、以前訪れた時より少し変わってしまったかなと思います。
一、由来
白河天皇の御世、応徳三年(1086年)鎮守府将軍・源義家公は、後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが当厳島神社の始めと伝えられている。(豊多摩郡誌参照)
二、江戸時代
参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。また山之手七福神を構成する弁財天でもある。
江戸時代の地誌、大久保絵図(安政四年)には、別当二尊院・抜弁天と記載され、また他の絵図にはここに稲荷神社があったことも示されている。
徳川綱吉将軍の「生類憐みの令」により、この附近に二万五千坪の犬小屋が設けられていた。
名称 | 厳嶋神社 |
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読み方 | いつくしまじんじゃ |
通称 | 抜弁天 |
参拝時間 | 24時間 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
新宿山ノ手七福神 第3番 | 御本尊:辨財天 御真言: おん そらそばていえい そわか |
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ご祭神 | 《主》市杵島姫命 |
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創建時代 | 応徳三年(1086) |
創始者 | 源義家 |
ご由緒 | 一、由来
二、江戸時代
|
体験 | 御朱印 |
概要 | 厳嶋神社(いつくしまじんじゃ)は、東京都新宿区余丁町にある神社である。祭神は市杵島姫命だが、これが仏教の弁才天と習合したため、新宿山ノ手七福神の弁財天を祀る神社として知られる。通称抜弁天(ぬけべんてん)。 |
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歴史 | 歴史[編集] 応徳3年(1086年)、鎮守府将軍・源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083~1087)で奥州平定に向かう途中ここに宿営した。この地はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、この時、義家も遠く富士山を望み、さらにその先、安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願した。 そして義家は奥州平定を成し遂げ、その帰途、戦勝のお礼のためこの地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられる。 義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、また境内参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」ともいわれ、江戸の六弁天に数えられる。 江戸時代には稲荷神社もあり、...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「厳嶋神社 (新宿区)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8E%B3%E5%B6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA%29&oldid=99610748 |
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