御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

いつくしまじんじゃ

厳嶋神社の御由緒・歴史
東京都 若松河田駅

ご祭神《主》市杵島姫命
創建時代応徳三年(1086)
創始者源義家
ご由緒

一、由来
 白河天皇の御世、応徳三年(1086年)鎮守府将軍・源義家公は、後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命を祀ったのが当厳島神社の始めと伝えられている。(豊多摩郡誌参照)

二、江戸時代
 参道は南北に通り抜けでき、また苦難を切り抜けた由来から、抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天の一つに数えられている。また山之手七福神を構成する弁財天でもある。
 江戸時代の地誌、大久保絵図(安政四年)には、別当二尊院・抜弁天と記載され、また他の絵図にはここに稲荷神社があったことも示されている。
 徳川綱吉将軍の「生類憐みの令」により、この附近に二万五千坪の犬小屋が設けられていた。

歴史
歴史[編集] 応徳3年(1086年)、鎮守府将軍・源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083~1087)で奥州平定に向かう途中ここに宿営した。この地はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、この時、義家も遠く富士山を望み、さらにその先、安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願した。 そして義家は奥州平定を成し遂げ、その帰途、戦勝のお礼のためこの地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられる。 義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、また境内参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」ともいわれ、江戸の六弁天に数えられる。 江戸時代には稲荷神社もあり、...Wikipediaで続きを読む
引用元情報厳嶋神社 (新宿区)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8E%B3%E5%B6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA%29&oldid=87978547

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ