いずもいわいじんじゃ
出雲祝神社埼玉県 西武球場前駅
参拝自由
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 境内にあり |
参道右手に駐車スペースがありました。
神社には常駐してらっしゃらないので、電話して宮司様のお宅に伺って御朱印をいただくことになるようです。拝殿右手の鳥居からすぐのところです。
綺麗なお庭でしたが、日陰になるところがないので注意してください。
絵葉書をいただきました。
(御朱印第928号)
直書き
神社右手、拝殿近くのこの鳥居からすぐのところに宮司様のお宅がありました
【武蔵國 式内社巡り】
出雲祝神社(いずも・いわい~)は、埼玉県入間市宮寺にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は、天穂日命(あめのほひ)、天夷鳥命(あめのひなとり)、兄多毛比命(えたもひ:初代武蔵国造)の3柱。
社伝によると、景行天皇年間(71年~130年)の創建で、日本武尊が東夷征伐時に小手指原に立ち寄り、天穂日命、天夷鳥命を祭祀したことに始まる。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵國 入間郡 出雲伊波比神社 小」の論社となっていて、他の論社としては出雲伊波比神社(埼玉県入間郡毛呂山町)、北野天神社(埼玉県所沢市)がある。戦国時代には「出雲祝神社」と称したが、江戸時代には「寄木明神社」と称し、徳川家康から朱印地10石を拝領している。「寄木」の名の由来は、天穂日命が東国に下った際、出雲の国・杵築湾に漂い寄った樹種を携えて来て播種したことによると伝わる。明治時代に入り、社号を再び「出雲祝神社」と改称し、村社に列した。
当社は、JR八高線・箱根ヶ崎駅の北東3kmの狭山丘陵の北西麓にある。丘陵の際にあるが、周辺まで宅地開発されている。境内東端入口は低い場所にあって、西端の社殿周りが少し高い場所になっている。林を抜ける長い参道に広い境内で、サイズ感としてはワンランク上の旧郷社格。狛犬など古そうなものもあるが、社殿などは新しく、現在でも氏子衆に大事にされている感じがする。
今回は、武蔵国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、境内は自分以外には参拝者はいなかった。
※御朱印は、境内北側の少し離れたところにある宮司さん宅で拝受。
境内東端入口にある<社号標>。鳥居がないので、公園の入口のように見える。
階段を上がって社殿方向を望む。長くまっすぐに伸びる参道。
少し進んで<一の鳥居>。
石扁額には<寄木宮>と刻まれている。
参道はなかなかの長さ。参道右側はずっと林だが、左側は一部住宅地が迫っていて樹木がなく明るい。
いよいよ社殿が見えてくる。
階段を登って<二の鳥居>。こちらの石扁額は<出雲祝神社>と刻まれている。
参道左側の<狛犬>。台座は新しそうだが苔か何かで緑色になっている。狛犬自体は古そうで、良い味を出している。
参道右側の<狛犬>。年季からすると、明治期か江戸期か。
社殿に向かって歩くと、左手にある<手水舎>。
社殿周り全景。中央に本社拝殿、左右に境内社が見える。
<拝殿>正面。屋根も躯体も新しそう。全体にのっぺりとした印象。
<拝殿>内部。非常にきれいにされている。
斜めから<社殿>全景。本殿(覆屋)も拝殿とともに新しく再建されている。
社殿の左側にある<護国神社>。祭神は高御魂命で、護国の英霊を合祀。
真ん中に本社社殿。
社殿の右側に<八雲神社>。祭神は素戔嗚尊。
参道からの階段を上がってすぐ右側にある<神楽殿>。
新しい建物の社務所。当社は社殿含めて最近新しくした感じがする。氏子さん達の熱意かな。
境内近くから見える、近隣の狭山丘陵の景色。(^▽^)/
武蔵国入間郡の式内社「出雲伊波比神社」の論社です。武蔵国の式内社には「いわい」と名のつく神社がいくつかありますが、その中でも「祝(いわい)」と書くタイプになります。一番神社らしい字といえばそうかもしれない。
《鳥居》
朝早くに行きました。
《由緒書き》
御祭神は天穂日命さまで、天照大御神さまの五御子の一柱であり、大国主命さまに仕えた出雲族の初代にあたります。
《牟佐志國造御社の碑》
👁チェックポイント‼️
牟佐志(武蔵)國造というのが、天穂日命さまの子孫である出雲族がこの国を開拓したとされています。これが出雲国の英雄である素戔嗚尊さまを祀り氷川神社ができます。
出雲族が武蔵国を開拓したこと、そして氷川信仰の隆盛が出雲族の繁栄に繋がっていったことがこの神社から窺えます。
《表参道》
朝に行ったので影が多い。そして寒い。
《二の鳥居》
獅子狛犬さんがこじんまりとしてます。
《手水舎》
蛇口を捻ると水が出ます。天然の花手水です。
《神楽殿》
年末に備えてか氏子さんたちが掃除されていました。
《拝殿》
同じ論社である出雲伊波比神社は日本武尊さまが景行天皇さまから賜った鉾をほうのうして大己貴命さまを祀り、武蔵国造が天穂日命さまを合祀したとされています。ある意味ではこちらの信仰が出雲伊波比神社に移ったように見えます。
《扁額》
由緒書きには有栖川宮9代目の熾仁親王さまからの奉納とあり、扁額には一品熾仁親王さまと書かれています。熾仁親王さまは色んなところに書を奉納しているので、ここにもその1つが。
《拝殿内部》🙏
御朱印がいただけるとのことでしたが、残念ながらお留守。また来ます。
住所 | 埼玉県入間市宮寺1 |
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行き方 | 【電車・バス】
【お車】
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名称 | 出雲祝神社 |
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読み方 | いずもいわいじんじゃ |
通称 | 寄木様 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 04-2934-4519 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主祭神》 天穂日命 天夷鳥命 兄多毛比命 《合祀神》 天照皇大神 大国主命 伊弉諾命 伊弉冉命 倉稲魂命 菅原道真 大山祇命 市杵島姫命 速玉男命 事解之男命 大屋毘古命 |
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創建時代 | 景行天皇の御代 |
体験 | 絵馬御朱印祭り |
概要 | 出雲祝神社(いずもいわいじんじゃ)は、埼玉県入間市の不老川沿いにある神社。祭神は天穂日命、天夷鳥命、兄多毛比命の3柱。武蔵国入間郡の式内小社「出雲伊波比神社」の論社の1つで、旧社格は村社。 |
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歴史 | 由緒[編集] 景行天皇年間(71年~130年)創建された。[1] 日本武尊が東夷征伐時、小手指原に立ち寄り、天穂日命・天夷鳥命を祭祀したこと起源と伝えられている。[2] 東国より流れてきた天穂日命が杵築湾に漂い寄った樹種の種子を当地に蒔き、後に「寄木の森」といわれた。[3] 大宝2年(702年)に本殿を再建前の棟札(現存)には、「伊波比」と刻まれていた。[1] 棟札 「伊都毛伊波比再造 牟射志入間臣宇助 大寶二年壬寅九月廿九日」 文政11年(1828年)建立された一の鳥居の扁額にある通り、江戸時代には「寄木宮」と呼ばれ、旧宮寺村の名前の起源とられている。 明治2年からは、社号を「出雲祝...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 西武池袋線小手指駅下車。西武バス「宮寺西」行きに乗車。バス停「JA宮寺支店前」で下車後、徒歩約10分。 |
行事 | 行事[編集] 本社例大祭(9月29日)[1] 八雲神社例大祭(7月15日)[1] 護国神社例大祭(5月5日)[1] ^ a b c 引用エラー: 無効な タグです。「社頭掲示板」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません |
引用元情報 | 「出雲祝神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%87%BA%E9%9B%B2%E7%A5%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=91453748 |
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