あわづじんじゃ
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本多神社に続いて徒歩で参拝。
公園と一緒になった境内なのに、むっちゃ綺麗にされていて感激。
ここも玉砂利が綺麗で、足を踏み入れるのに気が引けた…
でも玉砂利を踏む音も楽しみながら、静かにお詣り。
小さな神社だけど由緒ある神社のようだった。

鳥居と社号標
公園の垣根で隠れちゃった…

ご本殿

御由緒

蘆花浅水荘から膳所焼美術館へ向かう途中にある小さな神社。ですが由緒見て驚き😲創建は崇神天皇二十五年(265)で彦坐王の創建とあります。えーーと、邪馬台国の女王・卑弥呼が亡くなったのが247年となっているのでその18年後・・・卑弥呼の後継の壱与女王が晋の武帝に朝貢してるのが266年なので・・・やはり邪馬台国と大和朝廷は別ってことなんですかね?ただこの由緒もどの文献からなのかはわからないので何ともですが調べてみると面白いことが出てきそうです😅境内は小さな社殿があるのみでしたが果たして…?

由緒

社号標

鳥居

手水舎と遊具

社殿

お猿さんがお使いだそう
| 名称 | 粟津神社 |
|---|---|
| 読み方 | あわづじんじゃ |
| 通称 | 田端さん、田端宮 |
| 参拝時間 | 境内自由 |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》大国主命 〔配祀神〕大導寺田端之介霊 田中恒世霊 |
|---|---|
| 創建時代 | 伝:崇神天皇の御代二十五年(265年) |
| 創始者 | 彦坐王 |
| 本殿 | 一間社流造 間口三尺 奥行三尺 |
| ご由緒 | 当社は第十代崇神天皇の二十五年(265年)彦坐王の創建されたと伝えられ、往古は粟津山王権現と称し粟津七ヶ村の総社であります。また当地区の開発に尽力した、大導寺田端之介を合祀してあるので、田端山王権現とも称し、通称田端宮で広く知られています。天武天皇の白鳳2年(673年)四月申の日、田中恒世が日吉の神に粟飯を献じ嘉賞されて以来、毎年当地から日吉祭に唐崎沖で粟飯御供を行うことが恒例となり、田中恒世も当社に合祀されました。
|
| ご利益 | 縁結び・恋愛成就 |
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