あまつじんじゃ
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
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御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | なし
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JR赤穂線「伊部」駅から北へ徒歩10分くらいのところに鎮座されています。
西国街道沿いになりますが、このあたりは「備前焼本通り」と呼ばれていて、その名のとおり、備前焼に窯元やギャラリーなどが建ち並んでいました。
当然、この天津神社も備前焼との関わりがあるようで、狛犬はもちろん、神門の屋根瓦や床のタイル、その他もろもろ備前焼だらけです!
当日は残念ながら雨。
ただ直前までかなりの大雨だったのですが、いざ神社前に到着すると小降りになり、なんとか写真も撮ることができました。
天津神社の神様、ありがとうございます!!
参拝後、御朱印をいただくため社務所に向かおうとしたのですが、社務所はどこ?
と思っていると備前焼の工房?ギャラリー?という感じの建物から男性が出てきてくださり、「御朱印はこちらですか?」と尋ねると「はい、そうですよ」と。
もしかして宮司さんだった?
御朱印を書き入れていただいている間、販売されている備前焼を見せていただいたのですが、手ごろなマグカップから"0"がたくさんついた焼物までありました😅
御祭神
主祭神 少彦名命、菅原道真
配祀神 大己貴命、天太玉命
御神徳
学業成就、病気平癒、陶業繁栄
御由緒~岡山県神社庁HPより~
当社の由緒等は不明であるが、創建は古老の口碑によると応永18年(1411)である。
当初、少彦名命を祀り、後に昔から伊部、浦伊部は菅原氏の荘園であった関係により菅原道真公を配祀した。
社殿は当初、浦伊部宮前に建立されていたが、伊部に疫病が流行した時、当時の伊部村名主に神託があり、天正7年(1570)、現今の地に遷座すると疫病は平癒した。
伊部村民は氏神と崇敬し病気平癒、学問の神、産業陶器の神として神徳あらたかとなっている。
少彦名命(すくなひこなのみこと)は神産日神の御子であり、「日本書記」に大己貴命と力を合わせて国造りをされた神様で「病気を治す方法と災いを祓うまじないの方法を定めた」とあり、医薬の神様、病気平癒の神様である。
菅原道真公(すがわらみちざねこう)は学問の神様で昌泰2年(899)左大臣となり、後に九州に西下される。その途中腰掛けて休憩されたのが、履掛天神宮(伊部西に鎮座)にある履掛石である。
延喜3年(903)菅原道真公没後、天下に雷雨が続き、これは菅原道真公の霊のなすところと延喜9年(909)天神様として祀られ、学問に秀でているところから学問の神と仰がれた。
氏子の中に備前焼関係者も多く、境内には様々な備前焼が配されている。
備前焼の狛犬
境内の至るところにこのようなお言葉が・・・
なかなか面白そうな神社です
神門が見えてきました。
右に見えている社号標の手前を右に進むと社務所でした。
動物や十二支の備前焼もたくさんあります
御神牛
神門の壁にも備前焼
随神門
随神門の中をのぞくと、煌びやかな感じの随身がいらっしゃいました
拝殿
本殿
拝殿内にお花も飾られていました
備前焼の絵馬
拝殿の左手から本殿後方へと進んでみます。
まず登場するのは「子宝いぬ」と「天照皇大神」
本殿後方には七福神社
祇園社
神武天皇社
名称 | 天津神社 |
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読み方 | あまつじんじゃ |
通称 | いんべ天神東宮 |
トイレ | なし。周辺にあります。 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主》少彦名命,菅原道真,《配》大己貴命 |
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