あかぎじんじゃ
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鎌倉時代の正安2年(1300年)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わる。文安元年(1444年)には、大般若経が奉納された。 寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移された。その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移される。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。
地下鉄の駅から地上の目的地に行く場合には出口を間違えないこと!やっと勉強してわかってきたところだ。パソコンで赤城神社と神楽坂駅の位置を見ると遠いような気がしたのだが、なんと!駅の案内に従って行くと、駅の目の前であった。
場所も便利であるし、有名な神社なので参拝客も多かった。今の時期は七五三祝いで家族連れで賑わっていた。
神社自体は小さいのだが、カフェもあり、神楽坂駅前ということでオシャレである。マンションの住人の車が地下駐車場に入る為、気を付けた方がいいかもしれない。太田道灌が江戸の地を選んだころのこのあたりは、 いわば勢力を持った領主のいない荒涼寂寞たる土地だったようです。 しかし、道灌は、そのような茫漠たる江戸の地が地勢、形勝に優ると判断し、 長禄元年(1457)ここに江戸城を築城しました。 そして、この城を拠点として南関東一帯を治めるようになりました。 しかし、道灌はなぜこのような荒れた地を選んだのでしょうか、 また、ここが地勢、形勝に優れていると判断した理由はどこにあったのでしょうか。 今でもその地名が残っていますが、当時このあたりには 千代田村、宝田村、祝田村と呼ばれる小さな村がありました。 それらの村が後々まで繁栄する縁起のいい名前であったことや、 このあたりから眺める富士や海辺が絶景であったことを道灌は気に入っていたようです。 もちろんそればかりではありません。江戸は奥羽へ通ずる要衝の地であること、 荒川の存在によって水運の便に恵まれ、川越と江戸とを結ぶ重要な交通路が確保できること、 さらに荒川は敵の侵入を防ぐ格好の自然の要害であることなどを見抜いていたようです。実際、時代は下って、江戸(徳川時代の)となり、東京となり、しかも天皇が住む日本最大の都市になったのですから、 先見の明があったというか、100年の計を考えていたと言うか、道灌の英断と言わざるを得ません。 道灌は江戸城を築きましたが、 精勝軒 と呼ばれる櫓も作りました。 この櫓は、現在の皇居の 富士見櫓 のある場所に作られました。 道灌は、この櫓から富士山や海の素晴らし眺望を楽しんでいたのです。 道灌が精勝軒で詠んだつぎのような句があります。
わが庵は 松原つづき 海近く 富士の高嶺を 軒端にぞ見る (東京・江戸の話)
麻布台ヒルズだ、六本木ヒルズだ、ビットバレー(渋谷のIT企業が集まる場所)だ、高い建物を観ながら、東京都がずっと昔からこの国の首都として存在しているような気がするのだが、実際には太田道灌が来るまでは荒れ果てていたのだ。荒れ果てた土地の草を刈ってから築城をしている。太田道灌という人の先を読む目が素晴らしいとしか言いようがない。
気が付いたこととしては、この神楽坂界隈。神社の末社、お寺の隅にある神社。など出世稲荷が多いのだ。これも何か関係があるのだろうか?
江戸の夢 銀杏の香に 都心かな
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新宿区赤城元町(通称:神楽坂)に鎮座する赤城神社にお参りしました。
伝承によれば、牛込に移住した大胡彦太郎重治が上野国赤城神社から勧請して、正安2年(1300)に牛込早稲田の田島村に創建したのがはじまりと伝えられています。
寛正元年(1460)太田道灌により牛込台に遷座、さらに弘治元年(1555)大胡宮内少輔(牛込氏)により現在地に遷座されました。牛込氏は大胡氏の後裔にあたります。
天和3年(1683)徳川幕府は江戸大社の列に加え牛込の総鎮守と崇め、日枝神社、神田明神と共に、江戸の三社と称されました。
その後、明治6年に郷社に列しました。
ご祭神は磐筒雄命、赤城姫命になります。
以前から知人にお勧めされていたのですが、やっとご縁をいただき参拝することができました😊お盆期間だったのでカフェはお休みでした。
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午後5時を少し回ったころ、赤城神社に到着した。境内に併設された「あかぎカフェ」にはまだ灯りがともり、窓際の席では談笑する人々の姿も見える。けれども授与所はすでに扉を閉ざしており、御朱印やお守りを授かることは叶わなかった。幸いにして日はまだ沈んでおらず、夕暮れの柔らかな光が境内を包んでいたので、時間に追われることなく参拝に向かうことができた。
こういう時こそ、普段は見過ごしがちな境内社に足を向けるのがふさわしい。拝殿への参拝を済ませたあと、まず螢雪神社を詣で、続いて奥へと歩を進めていく。人影はまばらで、拝殿前の賑わいとは対照的に静けさが漂っていた。
境内社の一つ、赤城出世稲荷神社の御祭神は宇迦御霊命と保食命。五穀豊穣や衣食住の安定といった生活の基盤を支えるご利益に加え、商業繁栄や出世開運の祈願も込められる社である。赤々とした鳥居の先に立つ社殿は小ぶりながらも清浄な雰囲気を湛えており、仕事や生活の節目にあたる人々がここで手を合わせてきたのだろうと思うと、自然と背筋が伸びる。
並置して八耳神社。御祭神は聖徳太子で、その名の通り「天の耳」と称される聡明さを授けるとされている。また耳の病に悩む人々からは、治癒を願う信仰も篤い。小さな社の前に立つと、歴史の中で「耳」を通じて多くの人々の声を聞き、理解を示したと伝えられる太子の姿が重なるようで、心静かに祈りを捧げた。
そして最後に葵神社。御祭神は徳川家康で、学問成就や産業の繁栄を守護するとされる。質実な社殿は、徳川の家紋である三葉葵を掲げながら、参拝者を静かに迎えている。赤城神社の拝殿と比べれば訪れる人ははるかに少なく、境内社の前には長い時間一人きりで立つことができた。人の往来が絶えない本殿とは違い、こうした空間だからこそ心ゆくまで祈りを深められるのだと感じた。
一つ心残りだったのは、せっかくの境内社を写真に収め忘れてしまったこと。夕暮れに浮かび上がる社殿の姿は、目に焼きついてはいるものの、やはり記録に残しておきたかったという思いが後から募ってきた。それでも静謐なひとときを過ごせたこと自体が、何よりの収穫だったのかもしれない。
もっとも、そうした悔いを抱くよりは「間を置かずに再び参拝せよ」という神のお告げなのだと、我流ながらに解釈した。境内社には御朱印こそないものの、三社それぞれのお札は授与所で拝受できる。正直なところ、あかぎカフェはハードルがはるかに高そうだが、次回は必ずお札をいただこうと心に決める。境内社のお札は珍しく、手にするだけで感謝に値する。まさに「有り難し」の言葉そのものなのである。
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