さいふくじ|浄土宗西山深草派|北星山
西福寺愛知県 吉良吉田駅
9:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
北条時頼により天台宗の寺院として創建。
徳川家三代将軍家光によって建てられた鐘楼がある。
三河三十三観音霊場巡りの13寺目は、西尾市に在る第25番の北星山 西福寺です。12寺目の宝珠院から北へ約800mの所です。
浄土宗で、本尊は阿弥陀如来、札所本尊は聖観音菩薩。
1254年に北条時頼が諸国巡歴の際に創建。1331年に兵火により焼失。その後、文安年間(1444~1449年)に尾張国の熱田正覚寺の章久養玉上人が当地に訪れ、一夜の宿を取られた折り、北斗星が境内に降臨したといわれ、これ霊地なりと堂宇を再建。北斗星の縁由に依り北星山と称し、西方の福業を得るが故に西福寺と号した。
また、鐘楼(県指定文化財)は徳川家光が寛永年間(1624~1644年)に岡崎の伊賀八幡宮へ建立したもので、明治初期の神仏分離により譲渡、移築された。
寺院の西側の県道42号沿いに駐車場がありました。(寺院の東側にも駐車場があると思います。)石柱タイプの山門を抜けると右側に弁財天、左側に手水があって、手水の斜め奥に県指定文化財の鐘楼。徳川家光が建てさせた立派な鐘楼です。
正面に本堂。扉は解錠されていて、堂内に入らせて頂いて手を合わせました。須弥壇に本尊の阿弥陀如来(阿弥陀三尊)。左側の脇間には札所本尊の聖観音菩薩で、市指定文化財です。厨子に収められず、開帳日とかを考えずに拝観出来るのは有難いです。(事前に拝観可能かTELして確認しました。)
堂内にセルフ用御朱印が置いてありましたので、セルフで朱印を押印しました。
御朱印
弁財天
手水
鐘楼(県指定文化財)
本堂
須弥壇
本尊
札所本尊
聖観音菩薩(市指定文化財)
名称 | 西福寺 |
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読み方 | さいふくじ |
参拝時間 | 9:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0563-32-0859 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
三河三十三観音霊場 第25番 | 御本尊:聖観音 |
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ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 北星山 |
宗旨・宗派 | 浄土宗西山深草派 |
創建時代 | 建長6年(1254) |
開山・開基 | 北条時頼 |
文化財 | 江戸時代前期の鐘楼(県指定有形文化財) |
体験 | 御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
概要 | 西福寺(さいふくじ)は、愛知県西尾市吉良町吉田桐杭27にある浄土宗の寺院。 |
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歴史 | 歴史[編集] 建長6年(1254年)、北条時頼が諸国を巡遊していた折に創建された[1]。当初は大きな伽藍を持つ天台宗の寺院だったが、元弘元年(1331年)には兵火で焼失した[1]。焼け跡に道全沙弥が草庵を結ぶと、名古屋・熱田の正覚寺から章久養玉上人が泊まった折に、この地で悟りを開いて堂塔を再建した[1]。この際に浄土宗に改宗し、文安元年(1444年)に西福寺と名づけられた[1]。章久養玉上人は草庵の頭上の北斗七星に感見を受け、北星山という山号を与えている[1]。明治4年(1871年)には岡崎の伊賀八幡宮から鐘楼が移築された[2]。 ^ a b c d e 町村合併10周年記念町誌編集...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「西福寺 (西尾市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A5%BF%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20%28%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B8%82%29&oldid=93828705 |
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