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善導寺について
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第8番札所
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善導寺 大阪新四十八阿弥陀巡礼

善導寺 大阪新四十八阿弥陀巡礼

善導寺 大阪新四十八阿弥陀巡礼

善導寺 大阪新四十八阿弥陀巡礼

善導寺 大阪新四十八阿弥陀巡礼

大阪四十八願阿彌陀巡禮内番。大坂三十三ヶ所観音めぐり第8番でもあります。山門が開いていたのでお邪魔しました🤗本堂前でお参り後庫裏へ。ご住職は不在で奥様が対応してくださいました🤗観音様の御朱印も書置きでよければあるとのことで拝受。お参りされますかとお言葉いただけたのでありがたく本堂にあがらせていただきました😊もとの御本尊は等身大ぐらいの大きさだったので空襲の際持ち出せず、御前立の一光三尊像は疎開させていたため無事で現在の御本尊になっているとのこと。本堂には涅槃図も飾られていたのでこちらも拝ませていただきました🤗

山門

観音霊場御詠歌碑





本堂


六つ葵の紋

大阪四十八阿弥陀霊場第8番札所の浄土宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。
智源寺から最初の通り(堀川戎神社の通り)を東へ500メートルくらいにあります。
文禄元年、伝誉慶公上人が念仏道場として開山。大阪大空襲で消失後、昭和52年に本堂の修復が終わりました。
小さいながらも行き届いた寺院で、勝手口からお参りをお願いして、本堂を開けていただきました。
これで『OMD48』も白雲寺(北田辺)と運潮寺(柏原市)の二ヶ所となりました。

山門です。右手の勝手口からインターフォンでお願いいたしました。

本堂です。


そろそろ梅雨の季節が近づいてきました。

ここには別に「長谷観音立像」が安置されていました。
元々は「大阪三十三観音霊場」の8番札所で、大阪大空襲で消失してしまいました。
現在は碑が残っているだけです。
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 善導寺 |
|---|---|
| 読み方 | ぜんどうじ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 06-6351-1881 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://www.temmazendouji.com/ |
巡礼の詳細情報
| 大阪新四十八願所 第8番 | 御詠歌: 我のみか 人の心も 諸共に 写す鏡や 法の月影 |
|---|
詳細情報
| ご本尊 | 一光三尊阿弥陀如来立像 |
|---|---|
| 山号 | 悟真山 |
| 院号 | 光明院 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 養和元年(1181) |
| 開山・開基 | 傳誉慶公上人・俊乗房重源上人 |
| ご由緒 | 寺伝によると、善導寺は平重衡によって焼失した東大寺の復興をめざし,大勧進職を勤めた俊乗坊重源上人(1121~1206年)を開基とする。上人は畿内・西国の7か所に別所を造営し、そこを念仏信仰の基盤としたのである。その中で摂津には渡辺津に別所が設けられた(渡辺道場)。そこには一間四面の浄土堂があり、皆金色丈六の阿弥陀仏像・観音勢至像がまつられていたという。又来迎阿弥陀如来像を安置する来迎堂や「菩薩装束28具」、「天童装束30具」を備え、迎講(二十五菩薩供養会)も修されていた様で(『南無阿弥陀仏作善集』)、この地は阿弥陀仏を信仰する人々でかなりの賑わいがあったのではないかと想像される。渡辺道場には他にも小堂があり、重源上人が入宋で招来したという善導大師の真影が祀られていたと伝える。そのお堂を「放光殿」と称し、これが善導寺のはじまりとされているのである。渡辺津は現在大川にかかる天満橋から天神橋の間にあったとされるのだが、この渡辺道場の所在はいまだ不明である。 時は下り、豊臣秀吉が大坂城下町を整備していく過程で天満の寺町も東西一列に形成され、善導寺はその一角、現在の与力町(1978年までは東寺町という)に堂宇を構えた。文禄元年(1592)傳誉慶公上人が開山となっている。当山第4世實誉文貞上人の時、第108代後水尾天皇の第12皇子・尊光法親王が門跡第二世として知恩院に入られたが、その戒師を勤めた知恩院第35世・勝誉旧応上人と、善導寺の實誉文貞上人とが関東檀林で同行学友であった。そんな縁もあって、文貞上人は度々知恩院の旧応上人の座下に至り、幸いにも尊光法親王の得度の折、法式の指南役を仰せつかったという。
江戸時代の大坂市中(大坂三郷=南組・北組・天満組のこと)では三度の大火(享保9(1724)年の「妙知(智)焼け」、天保8(1837)年の「大塩焼け」、そして文久3(1863)年の「新町焼け」)があったとされるが、特に大塩平八郎の乱による「大塩焼け」によって善導寺も被害を被ったようである。この時に上記の謂れを記す善導寺の日記が焼失したとある。又、昭和20年6月1日の太平洋戦争の大阪空襲により、本堂、庫裏が全焼。本尊の2尺8寸の阿弥陀如来坐像は灰燼に帰してしまった。この時御前立の一光三尊仏は第24世良栄上人が事前に福井に疎開させており、かろうじて焼失を免れることができた。現在の本堂は昭和52年に復興を遂げ、鉄筋コンクリート製の造りとなっている。
|
| 体験 | 武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り |
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