曹洞宗
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名称 | 養泰寺 |
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詳細情報
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
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ご由緒 | 現在木下養泰寺の裏の城山(箕輪城跡)の一角、養泰寺の歴代住職の墓地の隣に加集氏の墓地があり、昭和五三?〉に「明暦三丁酉ニ月二十九日」、左側に「俗名加集杢之助政忠」とある。政忠は「加集系図」にも他の文書にもないが、加集家の系図によって、宗見院法集は盛計の法名であることが明らかである。盛計は父盛親のあとを継いで代官として、寛永十四年三六三七〉四月より明暦三年(一六五七)まで約二十年間つとめている。享年は詳らかでない。このあと嫡男の盛之が継いで代官となり、寛文十二年三六七二〉までつとめ、脇坂氏が竜野藩ヘ移封のとき随従している。宝鑑印塔の左に女性の墓碑がある。碑面に「日掩粧固山秀堅大姉淑霊」とあり、裏面に「元禄五壬申年十月二十三日」とある。これは代官の奥方ではなく、想像するに、上格の武士の未亡人で、老齢のため竜野へ随行せず、この地に残って麗し、ここに葬られたのであろう。一番左に俗に歯の神様といわれる如意輪観音の石像があり、台石の正面に「浄光智清比丘尼光峯智旭清尼」と二人の尼の名が刻まれ、左に「正徳四天正月二十七日」とある。これは写真3・8加集氏の墓域三位む十二年五月九日に町史跡に指定された。この基の向かって一番右の集の時川一畝市墓碑一は盛親のものと推定され、その次は火袋のとれている石灯龍ト開閣で、次に宝僅印塔がある。 |
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