らかんじ|曹洞宗|天台山
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | なし |
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甲斐百八霊場第64番札所です。
昇仙峡の帰りに訪問しました。ここへ来るには県営の昇仙峡の無料駐車場に車を停めて歩くのがいいかと思います。近くの道端に停めるスペースありますが、渓流釣りの方や観光の方が多く、時間によっては停めにくいと思います。
昇仙峡沿いの道に人が一人通れる橋が架かっていて、その名も「羅漢寺橋」。結構コワイです。
橋を渡ると階段になりますが、階段一つ一つの高さが割とあって、登ると軽く息切れしました。
当寺は無人でどなたもいません。張り紙がしてあり、御朱印は県営駐車場そばのレストラン「一休」で授与して下さるそうです。
本堂横には五百羅漢が祀られており、現在は154体残っているそうです。
帰りに「一休」で山菜そば大盛りを注文。自分で栽培した具材を使っているそうで、結構美味しかったです。
歴史
~Wikipediaより~
現在の羅漢寺は山梨県を代表する景勝地の一つ昇仙峡にあり、荒川右岸、標高1058メートルの羅漢寺山南東山麓に位置する。かつては「北山筋の高野山」と呼ばれた真言宗寺院で、旧地は現在地からさらに北西に位置し、荒川支流の羅漢寺沢沿いの斜面上にあった。
甲斐国では平安時代に天台・真言密教の影響で山岳信仰が成立し、甲信国境の金峰山は富士信仰と並ぶ御獄信仰の山となり、羅漢寺はその拠点となる修験道場であった。『甲斐国社記・寺記』によれば創建年代は不明だが、開祖は天台座主有金、開山は俊屋桂彦であるという。『甲斐国志』では創建は戦国時代の大永年間(1521年 - 1527年)で、中山広厳院(笛吹市一宮町金沢)4世住職の俊屋圭彦が中興して末寺とし、曹洞宗に改めたとしている。
諸堂は慶安4年(1651年)3月の火災で焼失して廃寺(羅漢寺廃寺)となり現在地に移転したと考えられているが、『国志』によれば小堂が建てられて活動が続けられていたという。昭和60年(1985年)には寺域の発掘調査が実施され、本堂や庫裏の遺構が確認され、陶磁器や金属製品などの遺物も出土している。
名称 | 羅漢寺 |
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読み方 | らかんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
巡礼の詳細情報
甲斐百八霊場 第64番 | 御本尊:聖観世音菩薩 |
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詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 天台山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 不明 |
開山・開基 | 開祖は天台座主有金、開山は俊屋桂彦 |
ご由緒 | ~Wikipediaより~ 現在の羅漢寺は山梨県を代表する景勝地の一つ昇仙峡にあり、荒川右岸、標高1058メートルの羅漢寺山南東山麓に位置する。かつては「北山筋の高野山」と呼ばれた真言宗寺院で、旧地は現在地からさらに北西に位置し、荒川支流の羅漢寺沢沿いの斜面上にあった。 甲斐国では平安時代に天台・真言密教の影響で山岳信仰が成立し、甲信国境の金峰山は富士信仰と並ぶ御獄信仰の山となり、羅漢寺はその拠点となる修験道場であった。『甲斐国社記・寺記』によれば創建年代は不明だが、開祖は天台座主有金、開山は俊屋桂彦であるという。『甲斐国志』では創建は戦国時代の大永年間(1521年 - 1527年)で、中山広厳院(笛吹市一宮町金沢)4世住職の俊屋圭彦が中興して末寺とし、曹洞宗に改めたとしている。 諸堂は慶安4年(1651年)3月の火災で焼失して廃寺(羅漢寺廃寺)となり現在地に移転したと考えられているが、『国志』によれば小堂が建てられて活動が続けられていたという。昭和60年(1985年)には寺域の発掘調査が実施され、本堂や庫裏の遺構が確認され、陶磁器や金属製品などの遺物も出土している。 |
体験 | 御朱印 |
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