けんぽうじ|日蓮宗|石光山
見法寺公式山梨県 長坂駅
参拝可能時間
9時~16時
留守や法事と重なるかもしれませんので、
前日までにお電話ください。
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり 15台 |
直書きで御首題をお授けいただきました。
一回ずつ鐘をついてくださいとおっしゃってくださり、つかせていただきました。
ご住職と鶏に見送られ、寺をあとにしました。
公式寺社巡り その7
善立寺から自宅に帰る途中にもう一寺参拝させて頂きました。
駐車場はお寺の裏手に10数台程停められるものがありました。
訪問した際は、人気が無く不在っぽかったんですが、本堂裏手の歴代ご住職のお墓の所で清掃している方がいましたので伺った処、ご住職が不在なので書置きで良ければとの事でしたので書置きの御首題を頂きました。
入口
日蓮宗といえばこれですね
参道
石仏群
山号・寺号標
境内全景
梵鐘
説明書き
本堂
扁額
寺紋
自宅兼庫裡
こちらで御首題を頂きました。
鎮護殿
お堂らしきものがありましたが
中を見る限りでは使用されていない雰囲気です
造り的には永代供養墓かと
歴代上人のお墓
墓地
お寺の横にあります
高座石
祠
案内を見ると見法寺さんが管理されているようです
花がさいていたのでパチリ
駐車場入り口
御首題
ホトカミ公式神社お寺めぐり。
予め電話にて日時指定させて頂いたのですが当方の無理を聞いて下さり、朝の8時に予約させて頂きました。お忙しいところすみませんでした。
当日到着するとまだ時間があったので境内を写真撮影しながらぐるぐる周っていると、庫裡からお上人さまがわざわざ出てきて下さり本堂へ上げて頂きました。
本堂ではお寺の歴史、遠近法を利用した日蓮上人の生涯の壁絵の数々、御本尊のこと、近所の子供達を招いた寺子屋のこと等色々詳しく教えて下さいました。
その後庫裡に移動し御首題をお願いしました。
御記入頂いている間、こたつでぬくぬくしているとちっこくて恐ろしい猛獣の襲撃を受けました。
こっちだって日頃からちっこい猛獣と闘っているので簡単に手懐けてしまいました。
暖かい部屋で蜜のたっぷり入ったリンゴを頂いたり、シャインマスカットを頂いたり、恐ろしい猛獣に顔をペロペロされたりしている間にお上人さまが御首題を書いて下さいました。
その後いろいろお話させて頂きとても有意義な時間を過ごすことが出来ました。
追伸
お上人さまYoutubeを開始されたとのことで、銀の盾をめざすよう圧力(プレッシャー)をかけときました。
100分de名著の法華経の回のような解りやすい法華経の説明を期待します。(いきなりハードル上げるスタイル)
お題目が金文字ですよ!
鎌倉時代、文永11年(1274年)、宗祖日蓮大聖人は佐渡ヶ島への流罪を赦免され、鎌倉を離れ身延への入山の際に甲斐の国を弘通された。同年5月下旬、聖人は当日野村に三日三晩留まり、朝倉丹後及び村民に対して法華経を教化して回った。そして井水の湧く場所が一軒あり、聖人はそこで休息され、大きな石の上にて説法とお題目を唱えられた。
『本化別頭仏祖統紀』によれば、その時に何かと聖人を世話した宿の主人がのちに身延に隠棲した聖人を訪ね、そこで教化され檀越となり、向井の氏を賜る。向井氏は宅を捨てて寺を建立したと記している。この地は現在の八日堂と高座石である。
その後、『大観』によれば元弘2年(1332年)3月15日、身延山久遠寺四世、大法阿闍梨日善上人がこの地を訪れ、宗祖の霊跡であるとして、その遺徳を万年までも流布しようと考えた。その際に石光山見法寺という山寺号を賜ったのが当寺である。日蓮大聖人が当地を訪れてから67年後の興国2年(1341年)3月、当寺が創立された。
住所 | 山梨県北杜市長坂町日野531 |
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行き方 | 【お車】
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名称 | 見法寺 |
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読み方 | けんぽうじ |
通称 | 日蓮宗 石光山 見法寺 |
参拝時間 | 参拝可能時間
留守や法事と重なるかもしれませんので、
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参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 庫裡にございますので一言お声がけください。 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0551-32-3752 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | contact@kenpo-ji.com |
ホームページ | https://www.kenpo-ji.com/ |
山号 | 石光山 |
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宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
創建時代 | 1341年(興国2年) |
開山・開基 | 大法阿闍梨日善上人 |
ご由緒 | 鎌倉時代、文永11年(1274年)、宗祖日蓮大聖人は佐渡ヶ島への流罪を赦免され、鎌倉を離れ身延への入山の際に甲斐の国を弘通された。同年5月下旬、聖人は当日野村に三日三晩留まり、朝倉丹後及び村民に対して法華経を教化して回った。そして井水の湧く場所が一軒あり、聖人はそこで休息され、大きな石の上にて説法とお題目を唱えられた。
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体験 | 写経・写仏結婚式七五三仏像傾聴御朱印お守り祭り人形供養花の名所除夜の鐘法話 |
Youtube | |
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