曹洞宗朝陽山
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | - |
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本日4つめのお寺です。電話でお伺いして、いらっしゃると言うことでかいてもらいました。
とても大きいお寺で結構道から登っていったので
山ノ上みたいなとこにありました。
いろいろ見るとこはあったんですが、
私がめんどくさがりが先に来て、あまり
見なかったです。すこし反省です。
今日で北杜市の一部のお寺巡りは終了です。
この後はいつものご祈祷のために富士川町に
ある妙善寺に行ってご祈祷をしてもらい帰りました。1月の最後に出来て良かったね。と住職さんとお話をして2月に向けて良いスタートが
きれました。
書いていただきました。
こんなものもありました。
本堂もあけていただき、中もみせてもらいました。
広い駐車場にいろいろな建物もありました。
本堂です
甲斐百八霊場第72番 中部四十九薬師霊場第9番 甲斐七福神布袋尊 甲斐源氏の祖 源清光の菩提寺
寺の手前のある大きな山門
清光の墓
武田菱の下はガレージ
歴史
清光寺の沿革
当寺は平安時代、仁平元年(1151年)に信立寺と称し、逸見玄源太清光の創建になる天台宗寺院で、清光の没後、清光寺に改められた。その後、文明7年(1475年)、興因寺(甲府市)二世悦堂宗穆和尚が開山となり、曹洞宗に改め、現在に至る。
清光は甲斐源氏の祖、新羅三朗義光(八幡太郎義家の弟)の孫にあたり、最初、常陸国武田郷(茨城県ひたちなか市)にいたが、父義清と共に甲斐国市河庄(西八代群市川三郷町)に配流となる。
その後、谷戸城を築き逸見郷を中心に勢力を広げ、国中を手中に収めて甲斐の国一円を統一し、甲斐源氏としての基礎を固める。次男信義が名門武田家の祖となる。
現在の堂宇は、江戸中期に建てられた総門、山門、本堂を中心に総ひのき造りの庫裡、開山堂、位牌堂を併設した檀信徒会館などがあり、特に本堂は十三間・九間という本山なみの大伽藍を誇る。
本尊は薬師如来、寺宝に勝頼公制札等。本堂裏山に開堂裏山に開基清光公の墓地。境内には芥川龍之介の句碑、大島桜、八重桜、山桜・こぶし、紫陽花・花桃・紅葉などがあり、花の時期は大変美しい。
寺山号の起源
清光公42の厄年一宇を創立して、かねて孝妣の菩提を托せられし宗甫阿闍梨を始祖となし、現当の利益を祈願するの道場となす。これを信立寺という。誠に帰宗に出ずる、寺号において知るべし。しかるに公の没後、里人これを呼んで「キヨミツデラ」という。自然に信立寺の改称となれり。いまだしらず。自ら清光寺と称せしゃ、はた発信創立の故に人呼んで信立寺といいしゃ否や。かつ山号のごときは、生前谷戸城において自ら毎朝、朝暘を遥拝して武門の名声宇内に光栄するを祈念せりと。けだししからん。しかる故に、東方に位する薬師瑠璃光如来を開創の道場に観請する。まことにゆえあるなり。(記:33世大道祖仙)
清光寺の歌
1.法燈こゝに800年 飾る歴史は甲斐源氏
清光公の開基なる 朝暘かゞやく清光寺
2.めでたき御代の汽車の旅 くゞるトンネル夢さめて
中央線は長坂の 駅のほとりに森深し
3.清き霊地の空高く 海抜2500尺
雲にそびゆる大伽藍 峡北一の古禅林
4.右に駒ヶ根 前に富士 後に連なる八ヶ嶽
祟高き自然に御仏 姿を仰ぐ尊とさや
5.断へず流るゝ鴨川も 常住に説くなり法の声
命をすてゝ求めにし 聖者の跡を探らなん
6.菩提心に開く瑠璃の宝殿 真如の月の影に清く
われ等の胸の雲晴れて 光明の生活たのもしき
名称 | 清光寺 |
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0551-32-2263 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://seikouji.com/ |
巡礼の詳細情報
中部四十九薬師霊場 第9番 | |
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甲斐百八霊場 第72番 | 御本尊:薬師如来 |
詳細情報
山号 | 朝陽山 |
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宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 仁平元年(1151年) |
開山・開基 | 興因寺(甲府市)二世悦堂宗穆和尚 |
ご由緒 | 清光寺の沿革 当寺は平安時代、仁平元年(1151年)に信立寺と称し、逸見玄源太清光の創建になる天台宗寺院で、清光の没後、清光寺に改められた。その後、文明7年(1475年)、興因寺(甲府市)二世悦堂宗穆和尚が開山となり、曹洞宗に改め、現在に至る。
寺山号の起源 清光公42の厄年一宇を創立して、かねて孝妣の菩提を托せられし宗甫阿闍梨を始祖となし、現当の利益を祈願するの道場となす。これを信立寺という。誠に帰宗に出ずる、寺号において知るべし。しかるに公の没後、里人これを呼んで「キヨミツデラ」という。自然に信立寺の改称となれり。いまだしらず。自ら清光寺と称せしゃ、はた発信創立の故に人呼んで信立寺といいしゃ否や。かつ山号のごときは、生前谷戸城において自ら毎朝、朝暘を遥拝して武門の名声宇内に光栄するを祈念せりと。けだししからん。しかる故に、東方に位する薬師瑠璃光如来を開創の道場に観請する。まことにゆえあるなり。(記:33世大道祖仙) 清光寺の歌 1.法燈こゝに800年 飾る歴史は甲斐源氏
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体験 | 御朱印武将・サムライ札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 清光寺(せいこうじ)は、山梨県北杜市長坂町大八田にある曹洞宗の寺院である。山号は朝陽山。本尊は薬師瑠璃光如来。開基は源清光(逸見黒源太清光)である。 大本山は福井県吉田郡永平寺町の永平寺と横浜市の總持寺であり、本寺は甲府市の興因寺である。末寺30余か寺を持つ巨刹である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 源清光(逸見黒源太清光)は源義光の孫であり、源義清(逸見冠者義清)の嫡男として天仁3年(1110年)に生まれた[1]。後に源清光は逸見太郎や黒源太と称し、谷戸城を築いた[1]。久安7年(1151年)には真言宗の道場として信立寺を城外に造った[1]。源清光は仁安3年(1168年)に亡くなり、信立寺に葬られた[1]。 中興[編集] 信立寺のその後は栄枯盛衰あったが、文明7年(1475年)に興因寺2世の宗穆和尚が曹洞宗の寺として中興した[1]。里人が「キヨミツデラ」と呼んでいたことから、清光寺と改称された[1]。 ^ a b c d e f 引用エラー: 無効...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「清光寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B8%85%E5%85%89%E5%AF%BA&oldid=95348497 |
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