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むりょうこうじ|時宗当麻山

無量光寺
神奈川県 原当麻駅

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ひなぎく
ひなぎく
2025年08月12日(火) 01時17分48秒
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相模原市南区当麻にある時宗の寺院です。
現在、時宗の総本山は藤沢にある清浄光寺(遊行寺)ですが、かつては当寺が総本山でした。
鎌倉時代、時宗の開祖である一遍上人が金光院という庵を結んで修行に励み、後に弟子の真教上人が無量光寺を開き、師の遺骨を奉じ、その晩年の15年間を隠退独住して、時衆や結縁の人々の教戒に努め、教団の発展を遂げさせた時宗史上重要な寺院になります。(※独住とは遊行をやめて1ヵ所に住むこと)

【はじまり】
弘長元年(1261)一遍上人は諸国遊行の旅の途中、依知の里の薬師堂に一夜の宿をとり一心に念佛を唱えていると、東の空が急に光り輝き妙見菩薩のお告げを受けます。
お告げに従い、相模川を渡り東北方の大樹の茂る『亀形峰(きぎょうほう)』と呼ばれる丘に登ると、妙見菩薩の祠を見つけます。上人はここに庵を結び『金光院』と名付け修行に励まれました。遊行上人ともいわれる一遍上人が、長期間にわたり何回も留まったのは当麻だけであるといいます。

【開基∶二祖 真教上人】
一遍上人の最初のお弟子で、12年間遊行を共にされました。一遍上人がお亡くなりになった後、教えを相続してほしいという声にこたえ、遊行の法燈を継承し実質的に教団を築かれ、各地を遊行し布教を重ねられました。
その後、弟子の『智得』に遊行を相続すると、当麻に居住し無量光寺を創建されました。宗祖の分骨を埋骨し、時宗教団の本拠地とし念佛の根本道場として、亡くなるまで教化に努められたといいます。
(ちなみに真教上人は、荒れ果てた平将門公の首塚を修復、供養をして蓮阿弥陀仏という法号を与え、さらに将門の霊を近くの神社に合祀し神田明神とした人物でもあります。)

【遊行寺の創建】
2世真教上人が当麻山で亡くなると、中国地方を遊行していた3世智得上人は『呑海(どんかい)』に遊行を相続して当麻山に帰りましたが、入寺からわずか1年で亡くなられてしまいます。
呑海上人が遊行から戻り、法燈を継ぐため当麻山に入ろうとしましたが、執権北条高時の支持を得た『真光』がすでに相続しており果たせませんでした。
当麻山には真光上人がいるため、呑海上人は他に独住できる地を探さなければなりません。そこで兄の俣野景平の援助により、藤沢にあった廃寺の極楽寺を清浄光寺として再興しました。

【無量光寺と遊行寺の確執】
2世真教上人が亡くなった後、当麻山では智得上人に対する謀反が起こっていたと思われ、智得上人が呑海上人に宛てた手紙には以下のような内容が記されているといいます。
『この寺を渡そうとしない者がある。その者は遊行上人の地位も望んでいて、さらに幕府の要人が後ろ盾についているのでどうしようもできない。仏のお計らいとして諦める』
この者とは当麻山を継いだ真光上人、後ろ盾とは北条一門の大仏貞直(おさらぎさだなお)だといいます。

一方、真光上人は、智得上人亡き後、呑海がすぐに当麻に帰山しなかったため、教団の中心的存在がいない状態が長く続くのは教団の経営上不都合であるとのこと、それに加えて北条高時の命もあり継いだのだといいます。

呑海は北条一門の後援に配慮して真光の当麻住持は認めても、遊行聖を称することは認めなかったといいます。
どちらが正しいことを言っているのか、真相はわかりかねますが…🤔
このことから無量光寺と遊行寺の対立関係が始まったのは確かです。

【無量光寺と遊行寺のその後】
元弘3年(1333)真光上人が没し、その直後に鎌倉幕府が滅亡すると、幕府から帰依を受けた無量光寺は一時衰退しました。

戦国時代になると、遊行寺は三浦道寸と通じ反後北条氏の態度をとったため兵火に遭い焼失。再興を許されませんでした。
対して、無量光寺は後北条氏の保護を受け宿とともに栄え南関東を中心に勢力を誇りました。しかし、天正18年小田原征伐により後北条氏が滅亡すると、度重なる火災のため再び不振となりました。

遊行寺が再興できたのは江戸時代の慶長12年(1607)。明治5年遊行寺は総本山に。無量光寺は大本山として多くの末寺を擁していました。

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原当麻駅から徒歩20分、圏央道相模原愛川インター出てすぐにあります。旧大本山だけあって境内はとても広いです。自然豊かで、特に紅葉の時期に来るのが良さそうだなと思いました。縁起には妙見菩薩様が、開基の真教上人は平将門公とのご縁があったりして、個人的にもご縁を感じました。

6月に遊行寺をお参りした際に、総本山なのにどうして一遍上人の開山じゃないのか?しかも4代目?と気になりましたが、こんな事情があったんですね。執着、権力争い…今も仲悪いのかなぁ?😓一遍上人が寺院を建立することも教団を創立することも望まなかったのは、こういうことを見越していたのかもしれません。

(参考・参照)
・無量光寺ホームページ
・遊行寺ホームページ
・遊行寺∶中世の時宗総本山(藤沢文庫;1)
・相模原の歴史と文化∶座間美都治論文集
・かながわの景勝
・多摩の古道と伝説

無量光寺(神奈川県)

『外門』
車でお越しの方はそのまま車で門を通り抜けて大丈夫です。

無量光寺のその他建物
無量光寺(神奈川県)

山門前を右手に行くと駐車場があります。

無量光寺(神奈川県)

参拝者用駐車場

無量光寺(神奈川県)

『なぎの木』
この大木は「さかさナギの木」と呼ばれ、一遍上人が西国より杖にしてきた1本の梛の木をこの地に刺したところ、根が生え芽を出して育ったといわれています。村人はこれを一遍上人の法力によるものと思ったそうです。梛の木は関西以西に自生する亜熱帯性の木で、古くは熊野速玉神社の御神木として知られ、関東で見られるのは珍しいことです。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『山門』
当麻山の扁額を掲げた二脚門の山門。腕木門の親柱の背面に袖をつけ、屋根をかけた高麗門と呼ばれる形式の門です。17世紀初頭の建築と推定されます。この形式の門は神奈川県内には類例が少なく、その中で最大にして最古のものであり、極めて貴重です。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『当麻山』

無量光寺(神奈川県)

『南無阿弥陀仏』

無量光寺(神奈川県)

『庚申塔』

無量光寺(神奈川県)

『加行の瀧』
昔は瀧があったのかな?

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『北里大学献体慰霊納骨堂』
昭和45年北里大学医学部が設置された。学生の医学教育のため献体して下さった方々の鎮魂慰霊の念を籠めてお骨を納める所。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『徳本念仏塔』(左)
文化14年(1817)建立。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

お地蔵様

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

境内には句碑がたくさんあります。

無量光寺(神奈川県)

『手水舎』

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『一遍上人像』
この銅像が建っている場所は、明治26年末の大火により焼失した旧本堂跡です。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

手水鉢。「亀形水」と刻まれてます。

無量光寺(神奈川県)

『芭蕉句碑』
世にさかる花にも 念仏まうしけり 芭蕉翁

無量光寺(神奈川県)

『水琴窟』
お水はありませんでした。

無量光寺(神奈川県)

『鐘楼』
南無阿弥陀仏と書かれた鐘楼。鐘銘には開祖一遍上人の名が記されています。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『本堂』
旧佛殿跡地にある仮本堂。
ご本尊の一遍上人立像が安置されています。右脇には二祖真教上人像、左には三祖智得上人像も安置されています。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『寺務所』

無量光寺(神奈川県)

御朱印の受付は中止しています。コロナ前までは授与していたようです。

無量光寺(神奈川県)

本堂横にも鐘がありました。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『御髪塚(おはつづか)』
本堂左後方にある2基の五輪塔。
南北朝時代、新田義宗が南朝方につき挙兵の折、徳川家康の先祖であります世良田有親、松平親氏父子が義宗側につき戦いましたが、父子共々戦乱を逃れてこの寺に入りました。そのまま八世良光上人の剃髪を受けて出家し、その髪をこの塚に埋めました。
その後、有親は長阿弥、親氏は徳阿弥と号し修行に勤めました。その後、父長阿弥は当寺で亡くなり、九世慈光上人によりこの塚に遺骨を納め五輪塔を建立し供養したと伝わります。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『御影の池』
一遍上人が自らの姿を映してその姿を描き、木像を刻まれたとことから御影の池と呼ばれます。本堂の右後方にあります。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

御影の池の側に鎮座されてます。ご祭神は不明です。

無量光寺(神奈川県)

『経堂』

無量光寺(神奈川県)

『熊野権現社』
一遍上人ゆかりの熊野権現を祀ったもので、本地は阿弥陀如来です。以前は村人たちからオクマンサマと呼ばれていました。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『東権現社』
明治以前は無量光寺東方の当麻坂の中腹にあった東澤寺に祀られていました。東澤寺が廃寺になってしまったため移転したものです。各夜姫という養蚕守護の神を祀っています。本地仏は千手観音様。

無量光寺(神奈川県)

参道左側にも池があります。

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

『弁財天堂』

無量光寺(神奈川県)

お賽銭入れようとしたら・・・😱ヘビが!!
本物?おもちゃ?めちゃくちゃビビりました。しばらく見てたけど動かなかった・・・

無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)
無量光寺(神奈川県)

裏参道。写真手前は県道508号につながってます。

無量光寺(神奈川県)

秋になったらもっと綺麗だろうなぁ

無量光寺(神奈川県)

表参道に戻ってきました。

無量光寺(神奈川県)

『金光院跡』
なぎの大木の後ろに草叢があります。ここが最初に庵を結んだ金光院の跡といわれています。
一遍上人が見つけた妙見菩薩の祠ってもう残ってないのかな?お参りしたかったなぁ。

無量光寺(神奈川県)

なぎの木と金光院跡の間にあります。朽ちてしまっています。

無量光寺(神奈川県)
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名称

無量光寺

読み方

むりょうこうじ

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号042-778-0284
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.muryoukouji.or.jp

詳細情報

ご本尊一遍上人尊像
山号

当麻山

院号

金光院

宗旨・宗派時宗
創建時代

弘長元年(1261)

開山・開基

一遍上人

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