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宝泉寺 寳泉寺ではいただけません
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ほうせんじ|臨済宗大徳寺派永禄山

宝泉寺 寳泉寺
神奈川県 風祭駅

宝泉寺 寳泉寺について

本堂屋根瓦の三つ鱗紋や、寺の文書に見られるようにこの寺は北条氏との深いつながりをもつものと思われる。

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鳰の海
鳰の海
2021年11月03日(水)
126投稿

【完成】永禄山 宝泉寺 臨済宗大徳寺派 ..神奈川県小田原市風祭918..
本尊 釈迦如来像..
永禄山宝泉寺は、永禄元年(1558)北条時長(宝泉寺大年用公)によって創建された臨済宗大徳寺派の古刹である。
寺は創建間もない、天正八年(1590)豊臣秀吉による小田原合戦の兵火に罹って堂宇は焼失し、その際数多くの寺宝が焼失してしまった。
その後三世の僧菊経によって再建されたが、のちに衰微し、十二世僧仁渓によって、安政元年(1854)再建された。
オンライン坐禅をZoomで配信している。

宝泉寺 寳泉寺の御朱印

永禄山 宝泉寺(臨済宗大徳寺派)神奈川県小田原市風祭918
本尊 釈迦如来像

宝泉寺 寳泉寺の建物その他

宝泉寺に着きました、入口です。

宝泉寺 寳泉寺の山門

寳泉寺の縁起..
寳泉寺は、北条時長(宝泉寺大年用公)が開基となり、早雲寺二世勅諡東光智燈禅師を開山に迎えて永禄元年(1558)創建したといいます。

宝泉寺 寳泉寺の山門

山門の扁額 「永禄山」奥に本堂が見えます。

宝泉寺 寳泉寺の自然

本堂の前に大きな2本の木が・・
「絹本著色 北条時長像」普段は一般公開されていないが、初代住職の法事「開山忌」を行う4月22日(月)午後のみ観覧できるそうです

宝泉寺 寳泉寺の本殿

本堂..永禄山 宝泉寺 臨済宗大徳寺派
神奈川県小田原市風祭918
本尊 釈迦如来像
本堂屋根瓦の三つ鱗紋(北条家とつながりが深い)

宝泉寺 寳泉寺の本殿

寺は創建間もない、天正八年(1590)豊臣秀吉による小田原合戦の兵火に罹って堂宇は焼失し、その際数多くの寺宝が焼失してしまった。
その後三世の僧菊経によって再建されたが、のちに衰微し、十二世僧仁渓によって、安政元年(1854)再建された。
本堂を別の視線で

宝泉寺 寳泉寺(神奈川県)

本堂から見える景色です。

宝泉寺 寳泉寺の建物その他

境内風景

宝泉寺 寳泉寺の地蔵

境内風景...6地蔵さん
檀陀地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障地蔵、日光地蔵などと呼ばれます。

宝泉寺 寳泉寺の建物その他

境内風景

宝泉寺 寳泉寺の歴史

宝泉寺の由緒

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歴史

永禄山宝泉寺は、永禄元年(1558)北条時長(宝泉寺大年用公)によって創建された臨済宗大徳寺派の古刹である。

寺は創建間もない、天正八年(1590)豊臣秀吉による小田原合戦の兵火に罹って堂宇は焼失し、その際数多くの寺宝が焼失してしまった。

その後三世の僧菊経によって再建されたが、のちに衰微し、十二世僧仁渓によって、安政元年(1854)再建された。

兵火の難を逃れて現在寺に残されている文書が二点ある。一つは、小田原北条氏が宝泉寺に与えた禁制状で、寺の取締りについて保証したもの。他は宝泉寺の寺領の範囲を示したもので、元亀3年(1572)卯(4)月12日に北条幻庵が裏書をしたもので、いずれも小田原市の重要文化財に指定されている。

また本堂屋根瓦の三つ鱗紋や、寺の文書に見られるようにこの寺は北条氏との深いつながりをもつものと思われる。

従来から開基北条時長については出生不明とされ、小田原北条氏の系譜にも見ることは出来ないが、おそらく小田原北条氏の一門と考えられている。(小田原市教育委員会掲示より)

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宝泉寺 寳泉寺の基本情報

住所神奈川県小田原市風祭918
行き方

最寄りの駅は箱根登山鉄道..風祭駅から徒歩5分

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名称宝泉寺 寳泉寺
読み方ほうせんじ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0465-22-8723
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊釈迦如来
山号永禄山
宗旨・宗派臨済宗大徳寺派
開山・開基北条時長(宝泉寺大年用公)が開基・早雲寺二世勅諡東光智燈禅師を開山
文化財

兵火の難を逃れて現在寺に残されている文書が二点ある。一つは、小田原北条氏が宝泉寺に与えた禁制状で、寺の取締りについて保証したもの。他は宝泉寺の寺領の範囲を示したもので、元亀3年(1572)卯(4)月12日に北条幻庵が裏書をしたもので、いずれも小田原市の重要文化財に指定されている。

ご由緒

永禄山宝泉寺は、永禄元年(1558)北条時長(宝泉寺大年用公)によって創建された臨済宗大徳寺派の古刹である。

寺は創建間もない、天正八年(1590)豊臣秀吉による小田原合戦の兵火に罹って堂宇は焼失し、その際数多くの寺宝が焼失してしまった。

その後三世の僧菊経によって再建されたが、のちに衰微し、十二世僧仁渓によって、安政元年(1854)再建された。

兵火の難を逃れて現在寺に残されている文書が二点ある。一つは、小田原北条氏が宝泉寺に与えた禁制状で、寺の取締りについて保証したもの。他は宝泉寺の寺領の範囲を示したもので、元亀3年(1572)卯(4)月12日に北条幻庵が裏書をしたもので、いずれも小田原市の重要文化財に指定されている。

また本堂屋根瓦の三つ鱗紋や、寺の文書に見られるようにこの寺は北条氏との深いつながりをもつものと思われる。

従来から開基北条時長については出生不明とされ、小田原北条氏の系譜にも見ることは出来ないが、おそらく小田原北条氏の一門と考えられている。(小田原市教育委員会掲示より)

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