ばいがんじ|曹洞宗
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志村けんさんの実家菩提寺ということで、参拝しました。
梅岩寺の創建年代は不詳ですが、真言宗白華山観音寺として応永5年(1397)創建と伝えられ、戦国時代の兵乱で焼失、その後曹洞宗に改め、芳林山梅岩寺と改号、浄牧院11世阿山呑硯(承応元年1652年没)が中興したといいます。明治時代前後に、大宙山瀧谷寺を合併しています。当寺にあった正観音像(火災で焼失)は慈覚大師の作で足利尊氏開運の霊佛であったと伝えられるほか、徳川家より寺領10石を受領していることから、寺紋には足利家の丸に二引紋、徳川家の葵紋を用いています。
梅岩寺は、山門にある欅が東京都の指定となっており、見事だ。
曹洞宗梅岩寺境内の南、塀の内側に列植されているケヤキの大木のうち、山門の脇にある一際大きい木が都の天然記念物に指定されているケヤキです。高さ27.0m、幹周り7.3mあり、都内でも有数の巨樹です。 幹は地上約3mのあたりから数本の大枝に分かれ、分岐部にはシュロなどの着生植物が生育し、古木に趣を加えています。 『新編武蔵風土記稿巻之一二一』、久米川村梅岩寺の条には、「門、芳林山ノ三字ヲ扁ス 周囲ニ丈許ノ古槻(にじょうばかりのこっき)、或ハ一丈二尺許ノ椵樹(かじゅ)、門ニ入テ左右ニアリ」と記されています。当時から有名な巨木であったことがうかがわれます。(東京都のページより)
さてさて、志村けんさんのお墓であるが、ここ梅岩寺境内の墓地にはない。
ダウンタウンの番組好きということで、Twitterで知り合った男の子に事前に教えてもらって助かったーー。
少し離れた場所にある阿弥陀堂。こちらに志村家先祖代々の墓があり、志村けんさんも同じお墓である。
詳しくは・・・
鎌倉街道散策(東村山〜所沢)3
【散策ルート】
東村山駅〜①久米川白山神社〜②久米川阿弥陀堂〜③久米川熊野神社〜④梅岩寺〜⑤勢揃橋〜⑥長久寺〜⑦豊川稲荷〜所沢駅
久米川熊野神社から鎌倉街道(県道)を所沢方面へ行くと右手に墓地と寺院が見えてくる。山門の両脇に大きなケヤキとカヤが迎えてくれる。
④梅岩寺
東村山市久米川町にある曹洞宗の寺院で、芳林山と号します。本尊は聖観音菩薩で、創建年代は不詳ですが、真言宗白華山観音寺として1397年に創建と伝えられ、戦国時代の乱で焼失、その後曹洞宗に改め、芳林山梅岩寺と改号、浄牧院11世阿山呑硯が中興したという。当寺にあった正観音像(火災で焼失)は慈覚大師の作で足利尊氏開運の霊佛であった。そして、尊氏は武蔵野合戦時に宿陣としたと伝えられている。また、徳川家より寺領10石を受領していることから、寺紋には足利家と徳川家の家紋を用いている。
④梅岩寺 山門
④梅岩寺 ケヤキ
④梅岩寺 カヤ
④梅岩寺 新四国石仏
④梅岩寺 本堂
④梅岩寺 本堂
④梅岩寺 本堂
④梅岩寺 本堂
④梅岩寺 十三仏石碑
④梅岩寺 六地蔵
④梅岩寺 鐘楼
④梅岩寺 鐘楼
④梅岩寺 十三仏像
④梅岩寺 石碑
④梅岩寺 石碑
④梅岩寺 御朱印
名称 | 梅岩寺 |
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読み方 | ばいがんじ |
通称 | 旧 瀧谷寺(りゅうこくじ) 千手観音 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 042-391-0230 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
狭山三十三観音霊場 第9番 | 御本尊:聖観音 御詠歌: 木々匂う 降りにし法の 庭に来て 浮世の夢を 覚ます鐘の音 |
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狭山三十三観音霊場 第10番 | 御本尊:千手観音 御詠歌: 川水の 清き流れも 想うなり 汲めども尽きぬ 法の御名こそ |
詳細情報
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
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