曹洞宗自得山
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赤羽駅から歩いてすぐのところにある、曹洞宗の「自得山 静勝寺」へお参りしてきました。駅近とは思えないほど急な、かつての「稲付城跡」の石碑が立つ石段をトントンと登っていくと、山門が迎えてくれます。
境内はとても緑が豊かで心が落ち着く空間。中には、この城を築いた太田道灌の木像が安置されているという、こじんまりとした趣のある「道灌堂」が佇んでおり、深い歴史のロケーションを肌で感じることができました。
ご住職はあいにく外出中とのことでしたが、お寺の方がとても親切に対応してくださり、書き置きの御朱印をいただくことができました。中央には御本尊である「釈迦如来」の文字と大きな丸い朱印がとても美しく押されています。右上には太田家の家紋である「桔梗紋(太田桔梗)」の入った「勝」の朱印、左側には「太田道灌公由縁付城跡」の由緒ある墨書きと朱印が添えられています。本日の日付とともに、歴史のロマンに浸れる素晴らしい一枚を拝受できました!

静勝寺(じょうしょうじ)は、東京都北区赤羽西1丁目(旧豊島郡稲付村)にある曹洞宗の寺院。
当寺院を含め元々当地一帯は稲付城(いねつけじょう)と呼ばれていた城があったところと言われている。一説によると、戦国時代に太田道灌が築城したと伝わっている(扇谷上杉氏によるとの説もある。ただ、太田道灌は扇谷上杉氏の家臣だったので、少なからず関わっていたと言われている。
道灌の孫である太田資高およびその子太田康資が、2代にわたり当地に館を築いていたが、その後に稲付城は後北条氏のものになり、後北条氏滅亡後は江戸に入った徳川家康の命により廃城になったとされる。
静勝寺の由来は太田道灌の死後、道灌の師・雲綱和尚が1504年に、城の一角に彼を弔う堂を建立して道灌寺としたことにはじまる。その後に明暦元年(1655年)、道灌の子孫の太田資宗が堂などを整備して中興、道灌とその父・太田資清の法号によって寺号を自得山静勝寺と改めたと言われている。江戸時代を通じて、静勝寺は太田氏の菩提寺とされ、道灌堂(太田道灌像を祀る堂、1715年建立)、旧本堂(現在の弁天堂、1694年建立)などを造営するなど深くかかわっていた。
関東大震災後の1928年に、現在の本堂が完成した。観音堂は2007年に建立された。
稲付城跡を含め、当寺院一帯は東京都の史跡になっている。
これまた、Googleマップのせいにしてしまうが、指示された場所が山門ではなかった為、第一声
「お城みたいな造り♪」
だった。
その後、入口に行き、元々はお城であったことがわかったのだが。
これまた言い訳になってしまうが、先週は自宅のWi-Fiが繋がらず、パソコンが10分くらいで切れるという不具合。きちんと予習もしないままに行ってしまったのだ。
太田道灌の像は命日の7月26日にちなみ、26日にお堂が開かれて拝観できるのだそうだ。ああ、24日に行ってる。。。
けれども、予備知識なしに行ったことでの感動もあったような気もする。
もちろん、禅寺としてのお寺の静けさ、整えられた庭。それもあるのだが、お城みたい!と感動したのが、そのまま元は、お城だったというオチなど。
この辺りは、他にも武家屋敷みたいな建物が幾つか残っており、太田道灌が関東を治めた様子が窺えた。
7月26日には又行こう。
寒松や 道灌居城 禅を聴く
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曹洞宗自得山静勝寺。(「じょうしょうじ」と読む。)
どこもかしこも色々やってそうなお寺のひとつに思える。
例えば山号がもう・・、
あやしすぎる、
実際どうかはわからないが。。
太田道灌公をお祀りしており、赤羽駅南口から徒歩7分ほどのところの高台に位置しております。
やはり道灌公ゆかりらしい、台地のへりにあった山城跡に建っている。いわく付きの境内は近所の人の短絡通行ルートにもなっていて、意外とやばそう・・・。毎年7月26日に道灌まつりがおこなわれ、境内の下は賑わう場所でもあります。
静かな境内はこの地のゆかりのお坊さんらの静かな雰囲気。
本尊は釈迦如来。
御朱印はそれらしき建物の玄関で待っていると書いてもらえます。
赤羽駅近くにはお店も多いので、このあたりの用事のついでの、一服がてら立ち寄ることも出来ますね。
当地のとある地元の歴史に思いをはせながら訪れるのもいいんじゃないでしょうか?

正式名:自得山靜勝禪寺
通称:静勝寺
東京都北区赤羽西1丁目にある曹洞宗の寺院。
当寺院を含め、元々当地一帯は稲付城と呼ばれていた城があったところと言われている。一説によると、戦国時代に太田道灌が築城したと伝わる。
道灌の孫である太田資高、およびその子太田康資が2代にわたり当地に館を築いていたが、その後に稲付城は後北条氏のものになり、後北条氏滅亡後は江戸に入った徳川家康の命により廃城になった。
静勝寺の由来は太田道灌の死後、道灌の師・雲綱和尚が1504年に城の一角に彼を弔う堂を建立して道灌寺としたことにはじまる。
その後、明暦元年(1655)、道灌の子孫の太田資宗が堂などを整備して中興、道灌とその父・太田資清の法号によって寺号を自得山静勝寺と改めたと言われている。
江戸時代を通じて、静勝寺は太田氏の菩提寺とされ、道灌堂(太田道灌像を祀る堂、1715年建立)、旧本堂(現在の弁天堂、1694年建立)などを造営するなど深くかかわっていた。
関東大震災後の1928年、現在の本堂が完成した。観音堂は2007年に建立された。
稲付城跡を含め、当寺院一帯は東京都の史跡になっている。

赤羽駅から徒歩で5分。小高い丘に建つ曹洞宗寺院。ご本尊は釈迦如来です。
この一帯は、太田道灌が築いたと云われる稲付城の跡になっています。
道灌の死後に弔うためのお堂出会ったた「道灌寺」を由来としています。
庫裏にて御朱印と御守りをいただきました。

山門です。
もう一カ所、通りから上がる山門もあります。

道灌が築いた稲付城跡。
史跡の一部になっている様で、ここに都道を通すみたいなものを庫裏にて待っている間にそんな記事を目にしました。

靜勝寺(じょうしょうじ)は、北区赤羽西にある曹洞宗の寺院。山号は自得山(じとくざん)。本尊は釈迦如来。
当寺を含む一帯は平地に突き出した高台になっていて、戦国時代には稲付城(いねつけじょう)という城があった。その築城は扇谷上杉氏とその家臣・太田道灌によると伝わる。当寺は、道灌の死後、1504年に道灌の師・雲綱和尚が稲付上の一角に菩提を弔う堂宇を建立し道灌寺としたことに始まる。その後江戸期に入り、太田道灌の子孫、太田資宗が堂宇を整備して中興、太田道灌の号(靜勝軒)、父の太田資清の号(自得軒)から山号と寺号を取って改称した。以後、江戸期を通じて太田氏の菩提寺となったが、明治期には縁がなくなり寂れたが、近隣の都市化と檀家の増加で復興した。
当寺は、JR赤羽駅の西側0.2kmの高台にある。背後に住宅街を抱えるため、境内を通過する人が非常に多い。平地から階段を登って達する境内は、都会にあっても程よい広さで、草木がほどよく生い茂り、堂宇も多く立ち並び、落ち着いた雰囲気が良い。
参拝時は週末の午後、境内を通過する住民以外にも、参拝に訪れている人が複数いた。
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