ほけきょうじおくのいん|日蓮宗|正中山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後も神社お寺を残す応援しませんか?
千葉県のおすすめ3選💠
おすすめの投稿

「正中山 法華経寺 奥之院(若宮奥之院)」へお参りしてきました。
境内へ入ると、ちょうど水子供養の準備が行われているところでした。境内にある何十体ものお地蔵様をバケツに入れ、一体一体とても丁寧に水洗いされている姿がとても印象的で、お寺の方々の深い慈悲の心に触れたような厳かな気持ちになります。奥には、大きな滝を背負うようにして佇む大盛弁財天もあり、水音が響く清々しい空間が広がっていました。
お参りのあと、御首題をお願いすると、対応してくださったご上人が「年寄りだから字が上手いだろうと思って皆さん頼まれるんだけど、実は自分は字が下手なんだよ(笑)」と、なんともお茶目で謙虚なお話をしてくださいました。
しかし、お話ししながら書き進めていただいた御首題は、まったくそんなことを感じさせない、本当に素晴らしい仕上がり!中央のひし形の朱印の上に、どっしりと力強い「南無妙法蓮華経」の髭文字が躍っています。左側には「奥之院」の墨書きと重厚な朱印、そして右側には「日蓮大聖人 初転法輪」の由緒ある文字が美しく映える、ご上人の温かいお人柄がそのまま表れたような、最高の結びの一枚を拝受することができました。

境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
鎌倉時代の中頃、下総国の守護千葉頼胤に仕えた富木常忍(ときじょうにん)は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地に館を構え、幕府のある鎌倉との間を往復しました。そこで、たまたま布教に懸命だった日蓮と出会い、熱心な信者となったのです。
そうしたところから、文応元年(1260)日蓮は、鎌倉の松葉ヶ谷で焼討ちにあったとき、この常忍を頼って若宮に難を逃れました。この時、常忍は館の中に法華堂を建て、日蓮を迎えて説法を願いました。さらに日蓮は文永元年(1264)安房の小松原で東条景信に襲われた後も、若宮に身を寄せました。この若宮法華堂で開かれた日蓮の説法は、実に百回に及んだといわれます。この地が日蓮の「初転法輪の旧跡」とされるのは、この理由からです。このことで中山の太田乗明、曽谷の曽谷教信など、日蓮の信者になった人々は多く、また日蓮にまつわる数多くの伝承も残されています。
弘安5年(1282)日蓮の入滅後、常忍は出家して日常と号し、法華堂を改めて法華寺と称しました。この法華寺は後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、日常を第一世とし、法華寺は奥之院と称されるようになりました。
いまでも土が高く盛られ、大樹の繁っている部分は、往時の館を取り囲む土塁の一部で、この館の後を「若宮館跡」と呼んでいます。
(境内掲示板より)
法華経寺奥之院の情報
| 住所 | 千葉県市川市若宮2-21-1 |
|---|---|
| 行き方 |
千葉県のおすすめ3選💠
法華経寺奥之院の基本情報
| 名称 | 法華経寺奥之院 |
|---|---|
| 読み方 | ほけきょうじおくのいん |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 047-334-0221 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| 山号 | 正中山 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
| ご由緒 | 鎌倉時代の中頃、下総国の守護千葉頼胤に仕えた富木常忍(ときじょうにん)は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地に館を構え、幕府のある鎌倉との間を往復しました。そこで、たまたま布教に懸命だった日蓮と出会い、熱心な信者となったのです。
|
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
周辺エリア
千葉県のおすすめ3選💠
法華経寺奥之院に関連する記事
おすすめのホトカミ記事

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ




























