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みょうごんじ|曹洞宗月音山

明言寺(石打こぶ観音)
群馬県 篠塚駅

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明言寺(石打こぶ観音)について

瘤取りに霊験あらたかなお寺
こぶは「子生」に通じ、子授けの御利益もある

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歴史

明言寺は、鎌倉時代初期の元久元年(1204年)に天台宗の寺院として創建されましたが、その後の安土桃山時代の天正二年(1574年)に曹洞宗として再興されました。
当山の別称である「こぶ観音」は、観音のあらたかな霊験を説く「子生(こぶ)観音」と「瘤(こぶ)観音」の二つの説話に由来するものであります。
(案内パンフレットより)
――――――――――
【瘤観音】
江戸時代のいつごろか、武州(埼玉県)のある殿様が目の上に瘤ができて困っていた。
たまたま石打村の行商人がこの話を聞き城に寄って「上州(群馬県)石打村にある観音様に願を掛ければ、殿様の瘤は取れるかもしれません」と役人に話した。
これを聞いた役人は大喜びで殿様に奉告し、殿様は家来を明言寺に代参させて瘤が取れるよう願を掛け一生懸命お祈りした。
満願の朝に殿様が顔を洗おうとすると、今まで邪魔になっていた瘤が綺麗さっぱりとなくなっていた。
殿様は大層喜ばれ大勢の家来を従え観音様にお礼参りに来たそうな。
(広報おうらより)
――――――――――
【小生観音】
昔、刀剣を商売していた重兵衛という夫婦がいました。 二人は子供がなかったので、毎日一心に観音様を拝み「どうか子供をお授けください」とお願いしていました。
すると間もなく妊娠し、玉のような男の子が生まれました。夫婦は喜び、すぐに観音様にお礼を申し上げました。
それから数日後、見ず知らずの旅の僧が夫婦の家を訪ね
「この子は観音様がお授けになられた赤ちゃんです。この千手観音様を差し上げますから、守り本尊として大切にしなさい」と言って仏像を授けて立ち去りました。
夫婦はこの子供に重次郎と名付け、大事に育てました。
やがて子供は立派に成長し、体格も良く力がありましたので武士になりました。重次郎は親の許しを受けて、源氏の大将 義経の家来になって戦に出掛けることになりました。
そのとき両親から「これはお前の守り本尊であるから、いかなる時も肌身離すでないぞ」と言われ、千手観音の仏像を渡されました。
重次郎は、この仏像を身に付けていれば必ず敵を倒すことができると深く信じ、大きな手柄をたてました。義経は褒美に自分の名を一字付け、義清という名を与えました。
義清は、こうした功績も守り本尊のおかげである、これからは戦いで亡くなった人の供養をしたいと思い、僧侶になり諸国を巡り歩いて供養を続けました。
たまたま石打の里に着き一休みしていると、今まで次から次へと足が進んだのに、どうしたことか、この場所に末長く観音様を据え置いてお祭りしたい気持ちになりました。これはおそらく観音様のおぼし召しだろうと思い、ここに寺を建て千手観音を本尊として留まることにし、朝夕一生懸命のお勤めに励みました。
やがて「住職は観音様の申し子だ」という噂が世間に伝わり、子供のない若い夫婦が寺を訪れ観音様にお願いをするようになり、おかげで子供が生まれた人々は「子生観音」といってお礼参りをしました。
こうして今では遠くまで「子生観音」のなが知られるようになりました。
(広報おうらより)

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明言寺(石打こぶ観音)の基本情報

名称明言寺(石打こぶ観音)
読み方みょうごんじ
通称石打こぶ観音
トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号0276-88-1728

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

新上州観音霊場三十三カ所

第10番

ご本尊・ご祭神:こぶ観音

御詠歌:

かんすけや 打つ石の火の 明らかに うつすほとけの すがた妙なる

詳細情報

ご本尊《本尊》千手観世音菩薩
山号月音山
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代開創 元久元年(1204)、開山 天正二年(1574)
開山・開基開山 芳庵正東大和尚(龍泉院2世)
ご由緒

明言寺は、鎌倉時代初期の元久元年(1204年)に天台宗の寺院として創建されましたが、その後の安土桃山時代の天正二年(1574年)に曹洞宗として再興されました。
当山の別称である「こぶ観音」は、観音のあらたかな霊験を説く「子生(こぶ)観音」と「瘤(こぶ)観音」の二つの説話に由来するものであります。
(案内パンフレットより)
――――――――――
【瘤観音】
江戸時代のいつごろか、武州(埼玉県)のある殿様が目の上に瘤ができて困っていた。
たまたま石打村の行商人がこの話を聞き城に寄って「上州(群馬県)石打村にある観音様に願を掛ければ、殿様の瘤は取れるかもしれません」と役人に話した。
これを聞いた役人は大喜びで殿様に奉告し、殿様は家来を明言寺に代参させて瘤が取れるよう願を掛け一生懸命お祈りした。
満願の朝に殿様が顔を洗おうとすると、今まで邪魔になっていた瘤が綺麗さっぱりとなくなっていた。
殿様は大層喜ばれ大勢の家来を従え観音様にお礼参りに来たそうな。
(広報おうらより)
――――――――――
【小生観音】
昔、刀剣を商売していた重兵衛という夫婦がいました。 二人は子供がなかったので、毎日一心に観音様を拝み「どうか子供をお授けください」とお願いしていました。
すると間もなく妊娠し、玉のような男の子が生まれました。夫婦は喜び、すぐに観音様にお礼を申し上げました。
それから数日後、見ず知らずの旅の僧が夫婦の家を訪ね
「この子は観音様がお授けになられた赤ちゃんです。この千手観音様を差し上げますから、守り本尊として大切にしなさい」と言って仏像を授けて立ち去りました。
夫婦はこの子供に重次郎と名付け、大事に育てました。
やがて子供は立派に成長し、体格も良く力がありましたので武士になりました。重次郎は親の許しを受けて、源氏の大将 義経の家来になって戦に出掛けることになりました。
そのとき両親から「これはお前の守り本尊であるから、いかなる時も肌身離すでないぞ」と言われ、千手観音の仏像を渡されました。
重次郎は、この仏像を身に付けていれば必ず敵を倒すことができると深く信じ、大きな手柄をたてました。義経は褒美に自分の名を一字付け、義清という名を与えました。
義清は、こうした功績も守り本尊のおかげである、これからは戦いで亡くなった人の供養をしたいと思い、僧侶になり諸国を巡り歩いて供養を続けました。
たまたま石打の里に着き一休みしていると、今まで次から次へと足が進んだのに、どうしたことか、この場所に末長く観音様を据え置いてお祭りしたい気持ちになりました。これはおそらく観音様のおぼし召しだろうと思い、ここに寺を建て千手観音を本尊として留まることにし、朝夕一生懸命のお勤めに励みました。
やがて「住職は観音様の申し子だ」という噂が世間に伝わり、子供のない若い夫婦が寺を訪れ観音様にお願いをするようになり、おかげで子供が生まれた人々は「子生観音」といってお礼参りをしました。
こうして今では遠くまで「子生観音」のなが知られるようになりました。
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