こうりゅうじ|真言宗系単立
廣隆寺京都府 太秦広隆寺駅
09:00 ~ 17:00
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楽しみ方

広隆寺は京都市右京区にあるお寺です。
嵐山駅から嵐電で太秦広隆寺駅へ。
かわいらしい嵐電に乗ってテンションアップ!
太秦広隆寺駅のすぐ前に広隆寺の仁王門があります。
掲示板には 国宝第一号の弥勒菩薩像が貼ってありました。
そうそう こちらの弥勒菩薩様を拝顔に参りました。
仁王門をくぐり 広い境内をぐるっと巡りました。
建物は多くて 薬師堂・地蔵堂・講堂・太秦殿で参拝。
メインは上宮王院太子殿です。
こちらは広隆寺の本堂になると思います。
どちらのお寺のお坊様か分かりませんが 私の前に参拝されていました。
さすがにお坊様ということで 読経されていらっしゃいましたので 静かに待っていました。
内陣の撮影は禁止ですのでありません。
参拝がすみ 本堂裏手の霊宝殿に向かいます。
霊宝殿も撮影禁止ですので 仏像を記憶に残すのが困難な私は ガイドブック(?)を買います。
国宝第一号弥勒菩薩様が有名ですが いやいや素晴らしい仏像がたくさんあります。
木造弥勒菩薩半跏像以外に 国宝だけでも 木造不空羂索観音立像・木造千手観音立像・木造十二神将立像(12体の像名(広隆寺で用いている表記)は 金毘羅・和耆羅・弥佉羅・安底羅・摩尼羅・宗藍羅・因陀羅・婆耶羅・摩虎羅・真陀羅・昭頭羅・毘伽羅)が安置されています。
霊宝殿ではじっくり時間をかけて拝顔させていただきました。
仏様を拝顔すると 心の汚れが落ちるような気がします。
さて 広隆寺界隈も少し巡ろうっと。
あっ 御朱印をいただくの忘れた!
ネット情報です。
山号は蜂岡山
宗旨宗派は真言宗系単立
ご本尊は聖徳太子(上宮王院本尊)
創建年は推古天皇11年(603年)または推古天皇30年(622年)
開基は秦河勝
札所は聖徳太子霊跡第24番
広隆寺が創建当初からこの地にあったものかどうかは不明で 7世紀前半に今の京都市北区平野神社付近に創建され 平安遷都前後に現在地に移転したという説が有力である。
創建当初は弥勒菩薩を本尊としていたが 平安遷都前後からは薬師如来を本尊とする寺院となり 薬師信仰と共に聖徳太子信仰を中心とする寺院となった。
現在の広隆寺の本堂にあたる上宮王院の本尊は聖徳太子像である。
『上宮聖徳法王帝説』は蜂岡寺(広隆寺)を「太子建立七大寺」の一つに挙げている。
『日本書紀』などに広隆寺草創に関わる記述があり 秦河勝が建立した秦氏の氏寺であることは判明したが 弘仁9年(818年)の火災で古記録を失ったこともあり 明確にされていない点も多い。
秦河勝の祖となる秦氏は 秦(中国)から帰化した漢民族系の人々といわれ 葛野郡(現・京都市右京区南部・西京区あたり)を本拠とし 養蚕・機織・酒造・治水などの技術をもった一族であった。
広隆寺の近くにある木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)や 右京区梅津の梅宮大社 西京区嵐山の松尾大社(ともに酒造の神)も秦氏関係の神社といわれている。
なお 広隆寺近隣には大酒神社があるが 明治時代の神仏分離政策に伴って 広隆寺境内から現社地へ遷座したものである。
『日本書紀』によれば 推古天皇11年(603年)に聖徳太子が「私のところに尊い仏像があるが 誰かこれを拝みたてまつる者はいるか」と諸臣に問うたところ 秦河勝がこの仏像を譲り受けて「蜂岡寺」を建てたという。
一方 承和5年(838年)成立の『広隆寺縁起』(承和縁起)や寛平2年(890年)頃成立の『広隆寺資財交替実録帳』冒頭の縁起には 広隆寺は推古天皇30年(622年) 同年に死去した聖徳太子の供養のために建立されたとある。
『日本書紀』と『広隆寺縁起』とでは創建年に関して20年近い開きがある。
これについては 寺は603年に草創され622年に至って完成したとする解釈と 603年に建てられた「蜂岡寺」と622年に建てられた別の寺院が後に合併したとする解釈とがある。

京都市右京区にあるお寺です。
山号は蜂岡山
宗旨宗派は真言宗系単立
ご本尊は聖徳太子(上宮王院本尊)
です。
地名から太秦広隆寺とも呼ばれています。
渡来人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院です。
木造弥勒菩薩半跏像、木造阿弥陀如来坐像は国宝に指定されています。
聖徳太子信仰の寺でもあります。
お参りした時には、講堂が工事中でした。
広隆寺にお参りしたら、必ず霊宝殿に入りましょう。
木造弥勒菩薩半跏思惟像は国宝第1号だとか。
天平、弘仁、貞観、藤原、鎌倉の各時代の仏像を参拝できます。
これほど古い時代の仏像をたくさん見ることができるのは、奈良は興福寺の国宝館ぐらいだと思います。
もちろん写真は撮れませんので、パンフレットを購入しました。
広隆寺は、古くは蜂岡寺、秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺など、さまざまな名称で呼ばれた。もっとも古い呼称は蜂岡寺で、推古天皇11年(603)に建立された山城最古の寺であるとされている。寺伝は、蜂岡寺を聖徳太子が在世中に建立した七大寺の一つとしている。太子建立の七大寺とは、1.法隆寺(法隆学問寺)、2.四天王寺、3.中宮寺(中宮尼寺)、4.橘寺、5.蜂岡寺(広隆寺)、6.池後寺(池後尼寺、法起寺)および7.葛木寺(葛城尼寺)をいう。 別に寺伝にケチをつけるつもりはないが、聖徳太子が実際に建立したのは斑鳩寺(=法隆寺)だけであり、後は聖徳太子にゆかりがあった人々によって建てられたものである。
蜂岡寺は当初から現在の場所に建立されたわけではない。現在地の東北にあたる北野白梅町の北野廃寺跡が葛野秦寺(かどのはたでら)ではないかと考えられている。平安遷都の際に今の場所に移転したという。
| 住所 | 京都府京都市右京区太秦蜂岡町32 |
|---|---|
| 行き方 | 京福電鉄嵐山線「太秦」駅下車すぐ。または、市バス右京区総合庁舎前下車、徒歩2分 |
| 名称 | 廣隆寺 |
|---|---|
| 読み方 | こうりゅうじ |
| 参拝時間 | 09:00 ~ 17:00 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-861-1461 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 聖徳太子霊跡 第24番 | ご本尊・ご祭神:聖徳太子 |
|---|
| ご本尊 | 秘仏聖徳太子立像 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 真言宗系単立 |
| ご由緒 | 広隆寺は、古くは蜂岡寺、秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺など、さまざまな名称で呼ばれた。もっとも古い呼称は蜂岡寺で、推古天皇11年(603)に建立された山城最古の寺であるとされている。寺伝は、蜂岡寺を聖徳太子が在世中に建立した七大寺の一つとしている。太子建立の七大寺とは、1.法隆寺(法隆学問寺)、2.四天王寺、3.中宮寺(中宮尼寺)、4.橘寺、5.蜂岡寺(広隆寺)、6.池後寺(池後尼寺、法起寺)および7.葛木寺(葛城尼寺)をいう。 別に寺伝にケチをつけるつもりはないが、聖徳太子が実際に建立したのは斑鳩寺(=法隆寺)だけであり、後は聖徳太子にゆかりがあった人々によって建てられたものである。
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