しょううんじ|曹洞宗|瑞龍山
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり 30台前後 |
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妙力神社から桐生川を渡った対岸にあるお寺。
こちらは金山城主 由良(横瀬)成繁の家臣、高橋氏に由来する由緒正しきお寺です。
参拝後、横にある立派なビルディングを訪ねたところ、御住職不在ということで奥様より書き置きをいただきました。
奥様が非常に親切な方で、お寺巡りをしてるならということで、桐生のお寺散策マップをくださいました(^o^)
これに載っている桐生の寺院は、参拝するとお釈迦様の頭にシールを貼ってくれるそうで、御朱印と一緒に集めてみてはと1枚目のシールもこちらでいただきました。
これは貴重な資料です(*゚∀゚)=3 桐生の寺院が網羅されており行った場所もチェックできる。桐生はまだほとんど未踏の地なのでホントありがたい( ´∀`)
後ろの方に写ってる4階建ての立派なビルが寺務所でしたΣ( ̄□ ̄;)
何かの施設も兼ねているのでしょうか・・・
鐘楼門も素晴らしい
おびんずる様。
なで仏ということなので、腰やお腹など弱いところを撫でてきました。
反対側には厳めしい明王様
室町戦国時代も終わろうとする頃、高橋丹波守橘英元は父政種と弟政直と共に、丹波の国から関東足利に下向し、由良氏に仕えていた。そして由良氏の桐生占領後は、広沢村にも地を賜っていた。その後、由良氏は小田原城での敗戦の後、常陸国牛久へ転封させられ、家臣の大部分は武士の身分を捨てて土着を余儀なくされた。英元も長子泰種と共に武士の身分を捨てて、境野原の原野に土着して開墾を始め農事に従うことになった。
英元は慶長3年(1598年)に仏堂を建てて、家来を出家させて住まわせた。そして英元の孫種景が17才で出家、広沢村大雄院の牛室香 大和尚の弟子になり、後に英元の旧領地の堀口村の正雲寺を移転して祥雲寺と改めて伽藍を整え、師の牛室大和尚を開山に勧請したのが寺名の興りである。
天明8年(1788年)、14世大栄千樹大和尚入寺の前夜に全山灰燼に帰してしまったが、寛政元年(1789年)に千樹大和尚が再建したのが現在の本堂、鐘楼である。また、10世中興大光蜜仙大和尚の時に建てられた六ツ足の山門はこの時焼失を免れ、境内で最も古い建物となっている。
庫裡は昭和56年に檀信徒の浄財により、位牌堂兼坐禅堂、広間を備えた庫裡会館として再建されたものである。現在、坐禅会、御詠歌、法事等に使用されている。
毎月参禅会をという声で始まった会を「祥雲会」と称し、会員は自由に各会合に参加し、和やかな雰囲気の中で、釈尊、曹洞宗の御教えに接している。
宝物としては釈尊降誕図の大掛軸があり、毎年4月の花まつりに天井から滑車を使って掛けられる。
字の美しさに感動。
名称 | 祥雲寺 |
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読み方 | しょううんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0277-44-6350 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 《本尊》釈迦牟尼仏 |
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山号 | 瑞龍山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 慶長三年(1598年) |
開山・開基 | (開基)高橋丹波守橘英元 (開山)牛室香大和尚 |
ご由緒 | 室町戦国時代も終わろうとする頃、高橋丹波守橘英元は父政種と弟政直と共に、丹波の国から関東足利に下向し、由良氏に仕えていた。
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体験 | 坐禅(座禅)御朱印武将・サムライ花の名所 |
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