へんしょうじ|真言宗御室派
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楽しみ方遍照寺のお参りの記録一覧
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遍照寺は京都市右京区にあるお寺です。
こちら遍照寺は この日の散策の目的地の一つでした。
広沢の池とセットでゴールにしようと考えていました。
もともとこの遍照寺は広沢の池の北側に建っていました。
そして 遍照寺の庭池として広沢の池を造営したされたと伝えられているので どんなお寺かなぁと興味をもっていたからです。
応仁の乱で一旦廃れたことは考慮のうえ あれほどの景勝地をお庭にしたお寺ということで期待値上がりますよね。
現在地は広沢の池の南側にあります。
工事をされているのか 山門には青いネットとコーンが置かれていました。
それでも山門が開いていますので 境内に入ることはできます。
砂利が敷かれた中央には石畳が伸び 趣のある参道です。
奥に本堂が見えています。
まずは本堂で合掌。ご本尊は逗子の中でした。
あとで知ったのですが 仏像拝観というのがあったのです。
ご本尊の十一面観音見たかった。
源氏物語ゆかりの地という看板がありました。
そこに
紫式部が二十歳の頃 遍照寺に具平親王と大顔がお忍びでお月見に出かけたが 月見を楽しんでいる最中 大顔が消え入るように急死した。
(中略)
大顔は親王家に仕える雑役の女性だった。
この身分違いの恋や 遍照寺の事件などは「源氏物語」「夕顔」の土台となったといわれ 光源氏と身分違いの恋をしていた夕顔は 大顔がモデルとされる。
と書かれていました。
平安時代にはこのような恋がたくさんあったのでしょうね。
参拝を終え 寺務所で御朱印をいただきました。
ていねいに直書きしていただき ありがたかったです。
ネット情報です。
山号は広沢山
宗派は真言宗御室派
寺格は準別格本山
ご本尊は十一面観音(重要文化財)
創建年は永祚元年(989年)
開山は寛朝
開基は花山天皇(もしくは円融天皇)(勅願)
別称は広沢不動尊
札所は京都六大黒天霊場第四番
寛朝僧正によって 永祚元年(989年)に花山天皇(もしくは円融天皇)の御願によって]嵯峨広沢池の湖畔にあった山荘が寺に改められて創建されたという。
寛朝僧正は宇多天皇の孫で 成田山新勝寺を開いたことでも知られる。
その後 当寺で真言宗広沢流が始められたことから 当寺はその発祥の地とされている。
創建時の場所は広沢池の北西の湖畔で遍照寺山の麓である。
また 観月の名勝としても知られていた。
隣接する広沢池には金色の観音菩薩を祀る観音島があった他 池畔には多宝塔・釣殿等・数々の堂宇が並ぶ広大な寺院であったという。
また現在も湖畔に兒神社がある。
しかし 寛朝が没すると次第に衰退した。
鎌倉時代には後宇多天皇により復興されたが 室町時代の応仁の乱で廃墟と化した。
奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音は草堂に移されて祀られていたが 文政13年(1830年)に舜乗律師により現在地に移されて再興された。
昭和になると収蔵庫と護摩堂が 1997年(平成9年)には客殿と庫裡が建てられた。

今回の高雄三尾+αの寺院巡りの5寺目は右京区に在る廣澤山 遍照寺です。広沢池の南側に在ります。今回の巡りの最後となります。
真言宗御室派で、本尊は十一面観音(重文指定)。
989年に花山天皇の勅願により寛朝僧正が広沢池畔北西にある遍照寺山の麓の山荘を改めて寺院にした。池畔には多宝塔、釣殿、等の伽藍を有する広大な寺院であり、池には橋が架けられた島があり、金色の十一面観音を祀る観音堂があった。寛朝僧正が没後は次第に衰退した。
1321年に後宇多天皇により再興されるも応仁の乱で廃墟と化した。寛永年間(1624~1645年)に奇跡的に焼失しなかった本尊の十一面観音、不動明王とともに現在地へ遷した。
山門をくぐると正面に本堂があります。手前左側の寺務所(兼 庫裏)にて拝観手続きと御朱印をお願いし、本堂へ行きます。(お堂は本堂のみ、小さな寺院です。)本堂には護摩壇があり、本堂の後ろに繋がった収蔵庫に十一面観音(重文指定)、不動明王(重文指定)、等の仏像が祀られています。この十一面観音と不動明王は、平安時代の989年に定朝様で有名な定朝の父である康尚の作と云われています。また、不動明王は成田不動明王と一木二体の霊尊とされています。
両像とも優しくて穏やかです。一般的には威厳がある感じがしますが、こちらのは親しみが湧く仏像でした。
尚、本尊十一面観音、不動明王は有料拝観となり、不在の場合は拝観不可のため、出来れば事前連絡して欲しいとの事でした。
山門の左側(南側)に駐車場の入口があり、客殿の前に10台位は停めれます。


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