へんしょうじ
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楽しみ方遍照寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年05月09日(土) 11時44分32秒
参拝:2026年4月吉日
遍照寺は京都市右京区にあるお寺です。
こちら遍照寺は この日の散策の目的地の一つでした。
広沢の池とセットでゴールにしようと考えていました。
もともとこの遍照寺は広沢の池の北側に建っていました。
そして 遍照寺の庭池として広沢の池を造営したされたと伝えられているので どんなお寺かなぁと興味をもっていたからです。
応仁の乱で一旦廃れたことは考慮のうえ あれほどの景勝地をお庭にしたお寺ということで期待値上がりますよね。
現在地は広沢の池の南側にあります。
工事をされているのか 山門には青いネットとコーンが置かれていました。
それでも山門が開いていますので 境内に入ることはできます。
砂利が敷かれた中央には石畳が伸び 趣のある参道です。
奥に本堂が見えています。
まずは本堂で合掌。ご本尊は逗子の中でした。
あとで知ったのですが 仏像拝観というのがあったのです。
ご本尊の十一面観音見たかった。
源氏物語ゆかりの地という看板がありました。
そこに
紫式部が二十歳の頃 遍照寺に具平親王と大顔がお忍びでお月見に出かけたが 月見を楽しんでいる最中 大顔が消え入るように急死した。
(中略)
大顔は親王家に仕える雑役の女性だった。
この身分違いの恋や 遍照寺の事件などは「源氏物語」「夕顔」の土台となったといわれ 光源氏と身分違いの恋をしていた夕顔は 大顔がモデルとされる。
と書かれていました。
平安時代にはこのような恋がたくさんあったのでしょうね。
参拝を終え 寺務所で御朱印をいただきました。
ていねいに直書きしていただき ありがたかったです。
ネット情報です。
山号は広沢山
宗派は真言宗御室派
寺格は準別格本山
ご本尊は十一面観音(重要文化財)
創建年は永祚元年(989年)
開山は寛朝
開基は花山天皇(もしくは円融天皇)(勅願)
別称は広沢不動尊
札所は京都六大黒天霊場第四番
寛朝僧正によって 永祚元年(989年)に花山天皇(もしくは円融天皇)の御願によって]嵯峨広沢池の湖畔にあった山荘が寺に改められて創建されたという。
寛朝僧正は宇多天皇の孫で 成田山新勝寺を開いたことでも知られる。
その後 当寺で真言宗広沢流が始められたことから 当寺はその発祥の地とされている。
創建時の場所は広沢池の北西の湖畔で遍照寺山の麓である。
また 観月の名勝としても知られていた。
隣接する広沢池には金色の観音菩薩を祀る観音島があった他 池畔には多宝塔・釣殿等・数々の堂宇が並ぶ広大な寺院であったという。
また現在も湖畔に兒神社がある。
しかし 寛朝が没すると次第に衰退した。
鎌倉時代には後宇多天皇により復興されたが 室町時代の応仁の乱で廃墟と化した。
奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音は草堂に移されて祀られていたが 文政13年(1830年)に舜乗律師により現在地に移されて再興された。
昭和になると収蔵庫と護摩堂が 1997年(平成9年)には客殿と庫裡が建てられた。
こちら遍照寺は この日の散策の目的地の一つでした。
広沢の池とセットでゴールにしようと考えていました。
もともとこの遍照寺は広沢の池の北側に建っていました。
そして 遍照寺の庭池として広沢の池を造営したされたと伝えられているので どんなお寺かなぁと興味をもっていたからです。
応仁の乱で一旦廃れたことは考慮のうえ あれほどの景勝地をお庭にしたお寺ということで期待値上がりますよね。
現在地は広沢の池の南側にあります。
工事をされているのか 山門には青いネットとコーンが置かれていました。
それでも山門が開いていますので 境内に入ることはできます。
砂利が敷かれた中央には石畳が伸び 趣のある参道です。
奥に本堂が見えています。
まずは本堂で合掌。ご本尊は逗子の中でした。
あとで知ったのですが 仏像拝観というのがあったのです。
ご本尊の十一面観音見たかった。
源氏物語ゆかりの地という看板がありました。
そこに
紫式部が二十歳の頃 遍照寺に具平親王と大顔がお忍びでお月見に出かけたが 月見を楽しんでいる最中 大顔が消え入るように急死した。
(中略)
大顔は親王家に仕える雑役の女性だった。
この身分違いの恋や 遍照寺の事件などは「源氏物語」「夕顔」の土台となったといわれ 光源氏と身分違いの恋をしていた夕顔は 大顔がモデルとされる。
と書かれていました。
平安時代にはこのような恋がたくさんあったのでしょうね。
参拝を終え 寺務所で御朱印をいただきました。
ていねいに直書きしていただき ありがたかったです。
ネット情報です。
山号は広沢山
宗派は真言宗御室派
寺格は準別格本山
ご本尊は十一面観音(重要文化財)
創建年は永祚元年(989年)
開山は寛朝
開基は花山天皇(もしくは円融天皇)(勅願)
別称は広沢不動尊
札所は京都六大黒天霊場第四番
寛朝僧正によって 永祚元年(989年)に花山天皇(もしくは円融天皇)の御願によって]嵯峨広沢池の湖畔にあった山荘が寺に改められて創建されたという。
寛朝僧正は宇多天皇の孫で 成田山新勝寺を開いたことでも知られる。
その後 当寺で真言宗広沢流が始められたことから 当寺はその発祥の地とされている。
創建時の場所は広沢池の北西の湖畔で遍照寺山の麓である。
また 観月の名勝としても知られていた。
隣接する広沢池には金色の観音菩薩を祀る観音島があった他 池畔には多宝塔・釣殿等・数々の堂宇が並ぶ広大な寺院であったという。
また現在も湖畔に兒神社がある。
しかし 寛朝が没すると次第に衰退した。
鎌倉時代には後宇多天皇により復興されたが 室町時代の応仁の乱で廃墟と化した。
奇跡的に難を逃れた赤不動明王と十一面観音は草堂に移されて祀られていたが 文政13年(1830年)に舜乗律師により現在地に移されて再興された。
昭和になると収蔵庫と護摩堂が 1997年(平成9年)には客殿と庫裡が建てられた。
すてき
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くるくるきよせん3454投稿
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