みょうれんじ|本門法華宗大本山|卯木山
妙蓮寺京都府 鞍馬口駅
10:00〜16:00
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楽しみ方
12月に桜が咲いています!
妙蓮寺は京都市上京区にあるお寺です。
先に塔頭寺院の紹介をしましたが お参りした順番はこちら本山妙蓮寺がいちばんでした。
「御会式桜(おえしきざくら)」という珍しい品種の桜が有名で 今日はこの桜をと十六羅漢の庭を観に来ました。
御会式とは日蓮上人の法要のことです。
御会式桜は 日蓮上人が入滅された10月13日あたりから咲き始め 春に満開になります。
寒桜ではありません。
妙蓮寺には3年ほど前にもお参りに来たのですが その際は雨天のせいだったと思いますが方丈に入ってのお参りができませんでした。今日はリベンジです。
庫裡に入ると奥から事務の女性が出て来てくれました。
「拝観ですか?」 「はい お願いします」
この時間帯は参拝者は私一人でした。
上がらせていただくと その女性が案内してくださいました。
お庭のこと 書院の襖絵のこと 30分以上私一人のために丁寧にお話くださいました。
これは感謝しかありません。3年前にお会いした方もこの女性だとすぐに思い出しました。
方丈の襖絵はとにかく美しいです。
奥書院及び玄関の間障壁画38面は 長谷川等伯とその一門の筆によるものだそうです。
長谷川等伯の襖絵は智積院でしか拝見したことがありませんでした。
寺宝は方丈には置いてありません。宝物殿にあって 月に1度拝観できるそうです。
新年の予定を教えていただきました。
最後に15分ぐらいのVTRを見せていただきました。
その間にもお茶を出してくださいました。ほんとにお優しい方です。
最後に記念写真を撮らせていただきました。
ネット情報です。
山号は卯木山 宗旨は法華宗 宗派は本門法華宗 寺格は大本山 ご本尊は十界曼荼羅 創建年は永仁2年(1294年) 開山は日像 開基は柳屋仲興 札所等は洛中法華21ヶ寺です。
日像は 日蓮の高弟であった日朗に師事し 日蓮の遺命を受けて永仁2年(1294年)に都に布教しにやってきた。
そして 五条西洞院(現・京都市中京区)で酒屋・柳屋を営んでいた仲興は日像に帰依すると 同年の内に仲興とその夫人である妙蓮法尼によって柳屋の敷地内に法華堂が建立された これが当寺の始まりである。
やがて夫妻は邸宅自体を日像に寄進して寺院化させると 当寺は柳寺と呼ばれるようになった。
その後 妙蓮法尼にちなんで妙法蓮華寺と号するようになった。
室町時代になると当寺は荒廃したが 永享年間(1429年 - 1441年)に日存・日道・日隆・日慶らが四条大宮(現・京都市下京区四条大宮町付近)に寺基を移して境内を整えると 寺名を妙法蓮華寺から卯木山妙蓮寺と改めた。
山号の卯木山はかつての寺名であった柳寺をその由来としている。
天正15年(1587年)に豊臣秀吉の命により 現在地に移転する。
その際 大方丈は聚楽第の建物を拝領して建てられたという。
また 本堂(釈迦堂)は方広寺大仏殿の残木を拝領して建てられたとされ 元和元年(1615年)に完成している。
享保15年(1730年)の西陣焼けでは本堂・祖師堂・三重塔などの主要堂宇は焼け残ったが 天明8年(1788年)の天明の大火により鐘楼と宝蔵を残して伽藍のほとんどと27坊の塔頭全てが焼失した。
本堂は 寛政元年(1789年)に敦賀にある当寺の末寺・本妙寺の祖師堂を移築して再建された。
ちゃんと咲いているでしょ
山門前の案内
立派な山門
赤穂義士遺髪墓があります
由緒書
鐘楼
境内案内図
手水舎
本堂
夕日があたってきれい
庫裡入口
十六羅漢の庭
桜 見えますか?
スマホ撮影用にこんなんありました うさぎ
ハート インスタ映え狙いでしょうか
桜 見えます?
これなら分かるでしょ
桜 わかりますよね
春の部屋
ジュディオングが惚れた絵
夏の部屋
秋の部屋
満月が浮かび上がります
冬の部屋
春
夏
秋
冬
寄進された絵
作者紹介
宝物殿拝観日
庫裡入口にあります めっちゃ重たい木に龍の絵
新選組の刀傷
説明
妙蓮寺の椿として有名だそうです
本堂前に桜
背景を鐘楼にしてみた

京都市上京区にあるお寺です。
山号は卯木山
宗旨宗派は日蓮法本門法華宗
寺格は大本山
ご本尊は十界曼荼羅
です。
お参りしたこの日は、ご住職が不在だったのと、あいにくの雨天だったため、奥書院及び玄関の間障壁画を見ることはかないませんでした。
本殿は比較的新しい建物でしたが、寺務所は歴史のある建物でした。
寺務所に入ると、柱に刀傷が見られます。
蛤御門の変では、長州藩士を匿っているとされて薩摩藩士による探索が入り、その際に刀傷がつけられたとされています。
また方丈小玄関の柱にも刀傷があります。
これは新選組がつけたものとされています。
妙蓮寺が天皇家ゆかりの菊の御紋を奉じているため、匿う志士を捕らえることができず、新選組が怒りを柱に残したと伝えられています。
また、籠が飾られていました。
埃をかぶった籠ですが、それがますます歴史を感じる存在で素晴らしいです。
方丈にあがることができませんでしたが、事務員さん(?)が 「方丈庭園だけでもご覧ください」 とおっしゃっていただき、1枚だけ写真を撮らせてくださいました。
大本山妙蓮寺は、宗祖日蓮大聖人より帝都弘通宗義天奏の遺命を受けた日像聖人によって、 永仁2年(1294)に創建された。
日像聖人が遺命を果たすため鎌倉より京都へ上られた時、 五条西洞院の柳酒屋は深く聖人に帰依し、未亡人は邸内に一宇を建立して聖人を請じ、卯木山妙法蓮華寺と称した。これが妙蓮寺の縁起である。(柳の字を二つに分けて卯木山という。)
その後、たびたびの法難にあったが、応永年間(1420年頃)本勝迹劣、本迹一致の論争を 契機に妙顕寺を退室した日慶聖人によって柳屋の地に本門八品門流として再興された。
その後、寺域を堀川四条に移し、皇室ならびに伏見宮家と関係深い日応僧正を迎えるにおよび、 皇族始め足利将軍義尚等の参詣多く、また今出川家の公達日忠聖人は、三井寺より改宗して 当寺に投じて学室道輪寺を創立し、本化教学の道場を開く。
ここにおいて当寺の法運は隆昌 を極め、山門の様式も格式高いものとなった。
天文5年(1536)には、法華宗の隆昌を妬む比叡山天台宗を筆頭に諸宗の僧俗10万人に よって襲撃され、妙蓮寺をはじめとする日蓮聖人門下21本山は、ことごとく灰燼に帰し堺 に立ち退いた。
天文11年(1542)大宮西北小路に復興され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉の聚楽 第造営に際して現在地に移転した。
当寺は、1k㎡の境内に塔頭27ヶ院を有する大寺院で あったが、天明8年(1788)の大火によって、そのほとんどが焼失し、わずかに宝蔵・鐘楼 を残すのみとなった。
寛政元年より漸次復興して、現在に至り、塔頭8ヶ院を残す。
| 名称 | 妙蓮寺 |
|---|---|
| 読み方 | みょうれんじ |
| 参拝時間 | 10:00〜16:00 |
| 参拝料 | 境内自由。方丈・庭園:500円、宝物館:300円(事前予約制) |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-451-3527 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://myorenji.or.jp/index.php |
| SNS |
| 数珠巡礼 第39番 |
|---|
| 山号 | 卯木山 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 本門法華宗大本山 |
| 創建時代 | 1294年(永仁2年) |
| 開山・開基 | 日像上人 |
| ご由緒 | 大本山妙蓮寺は、宗祖日蓮大聖人より帝都弘通宗義天奏の遺命を受けた日像聖人によって、 永仁2年(1294)に創建された。
|
| 体験 | 御朱印花の名所 |
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