よこみねじ|真言宗御室派|石鈇山(いしづちさん)
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車でのお参りが出来なくなる冬の前に四国霊場第60番札所横峯寺に行って来ました。横峯寺は、西日本最高峰の石鎚山山系の北側中腹(750m)にあり、八十八箇所の中で雲辺寺などに次いで3番目に高い所にあります。狭くて長い林道を登った先に駐車場があり、そこからしばらく歩いた先にお寺があります。林道は、冬期は12月下旬から2月いっぱい不通となります。大型バスは通年通行が不可です。ちなみに、普通車での通行料は2000円です(以前と比べて値上がりしてました)
林道の運転は本当にたいへんです。もちろん離合できる場所はあるのですが、そこ以外で対向車に出会うと凹みます。運転に慣れていない人は、山道運転の慣れている人と一緒に行くことをお勧めします。不安なら、下りの対向車がいない朝一に登ることおすすめします。今回の道中でも、こちらが崖側にギリギリ寄ってミラーも畳んでいるのに動くことが出来ない対向車に出会い、登り下り共に山の中で車が連なるという目を覆いたくなる状況になりました。
駐車場からお寺までの道中の深い森の中を歩いていると神秘的な感じが漂います。

1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の7寺院目です。
いやぁ苦労しました。お寺にたどり着くまでに。
まず カーナビが示すポイントに向かうと それは有料道路を使わないという指定だったのですが 登山口でした。確かに駐車場っぽくなっていてトイレもありましたが どうも違う気がするのです。
えっ ここ?と思ってうろうろしていると ちょうど下山してきた女性がおられましたので声をかけてみました。まだお若い方で登山の服装でいらっしゃいました。
「ここから登って行けますよ。時間は私の足で1時間だったかな。でも私早足なので90分はみたらどうでしょう。」
えええええぇぇぇぇ。チノパンにポロシャツの私。妻も同様。無理無理無理。
ネットだと駐車場から下るって書いてあったのに。。。
「けっこう値段しますけど有料道路を使ったらすぐだったと思います。」
そっちかぁぁぁ。ありがとうございます。その若い女性が 観音様に見えました。
お礼を言ってから車をとばす。ロスタイムは往復で1時間以上。(悲)
さあて今度は有料道路・・・なにぃぃ・・・対向車来ないでくれぇの山道やんか。
ホトカミユーザー to_sunさんから教えていただいていた「難所」を思い出しました。
来ないで・・・来ないで・・・ふう2km・・・ここから有料道ろか。
なにぃ 駐車場代こみで1850円。高ぁ。それも8km。まだまだやん。
来ないで・・・来ないで・・・来ないで・・・何度かすれ違いながら無事駐車場に着きました。
さてここから下ると・・・そんなに下らないでぇ。帰りが辛いやん。
ということで円明寺さんから2時間以上かかってしまいました。
本堂も大師堂も立派で大満足でした。でも内陣はしっかり拝見できませんでした。
御朱印を拝受している際 奥様とお話できました。
「大変だったでしょ。車ですか。」 「はい車です。歩くとどんなもんですか?」
「いちばん近いお宿からでも3時間はかかりますかねぇ。」 「泊りがけの方が多いんですか?」
「よくわかりませんが 多いようですよ。」 「(車だったから仁王門がなかったんか)なるほど。」
帰りも大変だったことはお分かりいただけると思いますが 下ってきた道を上り 来るなぁの山道を9kmほど冷や冷やしながら進み ようやく次のお寺へたどり着いたのがもう夕刻でした。
ロスタイムなければあと4寺院は行けたかなぁ。
山号は石鈇山 院号は福智院 宗旨宗派は真言宗御室派 ご本尊は大日如来 創建年は(伝)白雉2年(651年) 開基は(伝)役小角 中興年は明治42年(1909年)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
ご詠歌:たて横に峰や山辺(やまべ)に寺建てて あまねく人を救ふものかな
でした。
由緒については
寺伝によれば 白雉2年(651年)役行者が石鎚山を臨む星ヶ森で修行をしていたところ 山頂付近に蔵王権現が現れたのでその姿を石楠花の木に刻んで小堂を建て安置したのが創建といい その後行基が天平年間(729年 – 748年)に入山した。
また 延暦年間(782年 – 806年)石仙(灼然)が住持し桓武天皇の脳病平癒を成就したことから菩薩号を賜り 当寺には金の御幣(現存せず)を賜ったと伝えられる。
大同年間(806年 – 810年)には空海(弘法大師)が入山し星が森で星供養の修法をした際 蔵王権現を感得し 大日如来を刻んで本尊とし 堂宇を整備したという。
承応2年(1653年)澄禅が訪れたときには 蔵王権現(本地阿弥陀如来)を祀る本社があり その前に石仙を祀る開山堂 本社に対面するように大日如来および弘法大師を祀る本堂があったと記されている。
明治初年の神仏分離令によって 当寺は廃寺となり石鎚神社(当時は石鉄神社)の西遥拝所横峰社となることとなった。
本尊の大日如来像などは 仁王門から少し下がったとこから入った所に堂が建てられ納められ 横峰寺の名でははばかれるので 横峰寺が「おうみねじ」と読めることから同じ音である大峰寺と名付られた。
そして 60番札所は麓の清楽寺に移され 230余戸の檀家は香園寺へと移された。
明治8年(1875年)に正式に廃寺となる。
しかし 明治10年には遠くて祭祀に支障が出ているとのことで檀家総代より横峰寺の再建願いが出され 明治13年(1880年)にようやく檀信徒の協力により大峰寺の名前で復興し 1885年(明治18年)には札所が返納される。
そして 1909年(明治42年)に元の横峰寺の名に戻される。
とありました。

■四国八十八ヶ所:第60番札所「横峰寺(よこみねじ)」です。
昨日は「59番国分寺」から「46番浄瑠璃寺」と逆打ちし、本日は60番からの順打ちとなります。松山市内のビジネスホテルからの移動となります。正直「車」での移動は「楽」です。特に横峰寺にいたっては、徒歩以外の交通機関は難しいようです。石鎚山の中腹とあって自動車の利用も注意を要しますが「楽」だと思います。
また、今日のように「雨」の中のお遍路さんは本当に感心いたします。そんな中、外国人のお遍路さんが多く目立ちました。誰も「ヒッチハイク」を望まれません。皆さん、本当にすごい方ばかりです。
もう一つ、あのような山の中に「大きな建物を造り」また「守り抜く」先人の方々も、感心することばかりです。

四国八十八ケ所霊場 第60番札所
山号:石鉄山(いしづちさん)
宗派:真言宗御室派
御本尊:大日如来
標高1982mの石鎚山。西日本の最高峰として知られています。古くから、山岳信仰の山。日本七霊山に数えられてきました。
横峰寺さんは、この霊峰の別当寺としても信仰を集めています。
マイクロバスを降り、坂道をひたすら下っていきます。鬱蒼とした木立の中、ところどころ靄がかかっていて幻想的。ただ、こんなに下って行った所に建っているお堂の姿が想像できません。🤔
すると、突然屋根らしきものが現れ、言葉を失いました。😯息を呑む佇まいに惚れ惚れしました。
帰りはひたすら坂道を上っていくのですが、思っていたよりも早く着き、不思議でした。
記憶にガツンと残るお寺さんでした。🙌
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