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太山寺ではいただけません
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たいさんじ|真言宗智山派龍雲山(りゅううんざん)

太山寺
愛媛県 梅津寺駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

仁王門側大駐車場50台、大型5台 
納経所下の中駐車場普通車のみ10台 
祭事や催し物のないときは三の門下近くの小駐車場まで普通車のみ通行可で6台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第52番
伊予十三仏霊場第3番

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月16日(金)
1973投稿

1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の5寺院目です。
石手寺から松山城の横を通り抜けて 松山市の反対側 海側の地域にやってきました。
海のそばと思っていたのですが きっちり山寺でした。
駐車場が仁王門の奥にあったので 少し戻って仁王門を撮りました。
看板があって 本堂まで350mと。見上げると坂道。やられた~。
暑い中 とぼとぼと坂道を歩いていると 本堂手前に石段。きつ~と思い回りを見ると。
少し涼しそうな林と手水。これがどうやら湧き水のようで とっても冷たい。
ひやぁ 頭からかぶりたい気分になりました。誰もいなかったらそうしていたかも。
少し休憩してから 本堂のある上のエリアへ。
またしても仁王門があります。これは3の門と呼ばれているそうで 仁王門が2つあるだけでなく 総門もあるようです。
うってかわって あっちっちの境内 建物が複数あるのでしっかり見て歩きました。
さすがに国宝の本堂と大師堂は立派で 内陣も歴史を感じさせる古さを漂わせています。
こういう昔の空気がそのままあるような空間 大好きなんです。
再建されてから100年以上たつ建物ですから 私たちの人生より長くここに建っているわけですから。
数えきれないほどの巡礼者がここを訪れ 拝み 読経していく。
それをずっと見てきたわけです。そういうわけで 古刹は大好きです。
暑さに負けず 思ったより長い時間こちらにいました。
さて御朱印と思い また坂道を下っていきました。
こちらはとても新しい建物でした。まぁそんなもんですね。

山号は瀧雲山 院号は護持院 宗旨宗派は新義真言宗智山派 ご本尊は十一面観世音菩薩 創建年は(伝)用明天皇2年(587年) 開基は(伝)真野長者です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし
でした。

由緒については
太山寺の草創については 以下のような「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。
飛鳥時代の用明2年(586年) 豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中 高浜の沖で大嵐に遭遇した。
長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸した。
その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)があった。
長者は感謝し一宇建立の大願を起する。
早速 豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え 1日で高浜の港に着き夜を徹して 一夜にして建立したということである。
その後 天平11年(739年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され 孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられている。
なお 現本尊像(重要文化財)は平安時代後期の作である。
また 本堂の奥中央の厨子内に安置される十一面観音像(文化財指定なし)が孝謙天皇奉納像であると伝える。
現存の本堂(国宝)は三代目で嘉元3年(1305年)伊予国守護河野氏によって再建され 近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えた。
とありました。

太山寺(愛媛県)

石柱

太山寺(愛媛県)

仁王門

太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)

鎌倉時代のものでした

太山寺(愛媛県)

扁額

太山寺(愛媛県)

本堂まで350m?

太山寺(愛媛県)

坂道だった

太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)

本堂に上がる手前に

太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)

この手水 めちゃ冷たくて気持ちいい 頭からかぶりたかった

太山寺(愛媛県)

裏手の林にいろいろ

太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)

本堂に続く石段

太山寺(愛媛県)

再び仁王門

太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)

本堂 でかい

太山寺(愛媛県)

内陣

太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺の建物その他

大師堂

太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)

内陣

太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)

厄除大師堂

太山寺(愛媛県)

香炉

太山寺(愛媛県)

鐘楼

太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)
太山寺(愛媛県)

仏足石

太山寺(愛媛県)

もどってきて納経所へ

太山寺(愛媛県)

山門

太山寺(愛媛県)

納経所

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to_sun
to_sun
2023年05月31日(水)
310投稿

【瀧雲山(りゅううんざん)護持院(ごじいん)太山寺(たいさんじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗智山派
開基:真野長者
 太山寺の起源は、587(用明2)年、豊後(大分)の富豪・真野(まの)長者が船で嵐に遭った際、観音様に祈願したところ高浜の岸に無事たどり着き、その恩に報いるため一夜にして本堂を建立したという「一夜建立の御堂」という言い伝えにある。のちに行基菩薩が本尊を彫り、その胎内には真野長者が瀧雲山で見つけた小さな観音像が納められたという。弘法大師(774-835)は晩年(824-834)に護摩供の修法のためここを訪れ、法相宗から真言宗に改めている。

太山寺(愛媛県)

【52_T.Hamada's view】
 聖徳大師堂の傍から諸堂を見る。防災設備工事中。

太山寺(愛媛県)

【52_聖徳太子堂】
 太山寺は道後温泉に訪れたとされる聖徳太子と縁がある。そのため境内には法隆寺の夢殿に似た「聖徳太子堂」が建つ。学業成就のご利益があると言われる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

太山寺(愛媛県)

【52_聖徳大師堂】
 合格祈願で受験生に人気。

太山寺(愛媛県)

【52_四天王門から見る本堂】
 現在の本堂は真野長者から3回目で鎌倉時代の建立。本瓦葺きの入母屋造りで真言密教では最大規模を誇り国宝となっている。

太山寺(愛媛県)

【52_大師堂】

太山寺(愛媛県)

【52_仁王門】
 車道傍らにそびえる仁王門。

太山寺(愛媛県)

【52_仁王阿形像】

太山寺の仏像

【52_仁王吽形像】

太山寺(愛媛県)

【52_四天王門】
 石段の上の山門(四天王門)をくぐると正面が本堂。

太山寺(愛媛県)

【52_聖徳大師座像】
 聖徳太子堂には法隆寺の夢殿にあるのと同じ美しい姿の聖徳太子像が祀られている。

太山寺(愛媛県)

【52_鐘楼堂】

太山寺の芸術

【52_鐘楼堂の障壁画】
 地獄絵と極楽絵が描かれている。

太山寺(愛媛県)

【52_身代わり観音】
 当山の山頂奥之院に建っていた十一面観音像。2001(平成13)年3月24日、松山沖でマグニチュード6.7の芸予大地震に見舞われた際、震源地に向かって建っていたこの像が落下、身代わりとなって不思議に被害が少なかった。
 

太山寺(愛媛県)

【52_経ヶ森の観音像(太山寺奥之院)】
 経ヶ森(標高203m)に再建されたブロンズの十一面観世音菩薩立像。

太山寺の御朱印
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歴史

開基とされる真野長者、その長者が一夜にして御堂を建てたという縁起は興味深い。
長者は豊後(大分)でふいごの炭焼きをしていたが、神のお告げで久我大臣の娘・王津姫と結婚、いらい運が開けて大富豪となった。用明2年(587)、商いのため船で大阪に向かうとき大暴風雨に遭い、観音さまに無事を祈願したところ、高浜の岸で救われた。この報恩にと一宇の建立を大願し、豊後の工匠を集めて間口66尺、奥行き81尺の本堂を建てる木組みを整えて船積みした。順風をうけて高浜に到着、夜を徹して組み上げ、燦然と朝日が輝くころに本堂は建ち上がった。いらい「一夜建立の御堂」と伝えられている。
その後、天平11年(739)に聖武天皇(在位724〜49)の勅願をうけて、行基菩薩が十一面観音像を彫造し、その胎内に真野長者が瀧雲山で見つけた小さな観音像を納めて本尊にしたという。寺が隆盛したのは孝謙天皇(在位749〜58)のころで、七堂伽藍と66坊を数えるほど壮観であった。弘法大師は晩年の天長年間(824〜34)に訪れ、護摩供の修法をされて、それまでの法相宗から真言宗に改宗している。
のち、後冷泉天皇(在位1045〜68)をはじめに、後三条、堀河、鳥羽、崇徳、近衛の6代にわたる各天皇が、十一面観音像を奉納されている。いずれも像高は150cm前後で、本尊の十一面観音像とともに国の重要文化財。本堂内陣の厨子に安置されている。なお現本堂は長者の建立から3度目だが、真言密教では最大規模を誇り国宝である。

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太山寺の基本情報

住所愛媛県松山市太山寺町1730
行き方

高浜線三津駅より伊予鉄バス 三津ループ線「太山寺」下車 (0.5km)
51【石手寺】より
(自家用車)約30分 約13km
(徒歩)約2時間45分 約10.5km
53【圓明寺】より
(自家用車)約10分 約2km
(徒歩)約35分 約2km

アクセスを詳しく見る
名称太山寺
読み方たいさんじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ小駐車場にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号089-978-0329
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

伊予十三仏霊場

第3番

御本尊:文殊菩薩

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号龍雲山(りゅううんざん)
院号護持院(ごじいん)
宗旨・宗派真言宗智山派
創建時代六世紀後半
開山・開基真野長者
本堂入母屋造
文化財

本堂(国宝)
仁王門、木造十一面観音立像 1躯、木造十一面観音立像 6躯(重要文化財)
絹本著色弘法大師像、梵鐘(愛媛県指定文化財)
算額、納札(松山市指定有形民俗文化財)

ご由緒

開基とされる真野長者、その長者が一夜にして御堂を建てたという縁起は興味深い。
長者は豊後(大分)でふいごの炭焼きをしていたが、神のお告げで久我大臣の娘・王津姫と結婚、いらい運が開けて大富豪となった。用明2年(587)、商いのため船で大阪に向かうとき大暴風雨に遭い、観音さまに無事を祈願したところ、高浜の岸で救われた。この報恩にと一宇の建立を大願し、豊後の工匠を集めて間口66尺、奥行き81尺の本堂を建てる木組みを整えて船積みした。順風をうけて高浜に到着、夜を徹して組み上げ、燦然と朝日が輝くころに本堂は建ち上がった。いらい「一夜建立の御堂」と伝えられている。
その後、天平11年(739)に聖武天皇(在位724〜49)の勅願をうけて、行基菩薩が十一面観音像を彫造し、その胎内に真野長者が瀧雲山で見つけた小さな観音像を納めて本尊にしたという。寺が隆盛したのは孝謙天皇(在位749〜58)のころで、七堂伽藍と66坊を数えるほど壮観であった。弘法大師は晩年の天長年間(824〜34)に訪れ、護摩供の修法をされて、それまでの法相宗から真言宗に改宗している。
のち、後冷泉天皇(在位1045〜68)をはじめに、後三条、堀河、鳥羽、崇徳、近衛の6代にわたる各天皇が、十一面観音像を奉納されている。いずれも像高は150cm前後で、本尊の十一面観音像とともに国の重要文化財。本堂内陣の厨子に安置されている。なお現本堂は長者の建立から3度目だが、真言密教では最大規模を誇り国宝である。

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