じぞうじ|真言宗御室派|無尽山(むじんざん)
地蔵寺徳島県 板野駅
7:00~17:00
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楽しみ方
徳島御朱印さんぽ⑥
四国八十八霊場巡り五番札所
地蔵寺へ参拝🙏大師堂の前に銀杏の木🌲が印象的でした😊
仁王門
寺号標
阿形
吽形
大師像
鐘楼
本堂
本堂
手水舎
大師堂
御朱印

真言宗御室派 無尽山 荘厳院 地蔵寺
四国八十八箇所霊場 第5番札所
阿波西国三十三観音霊場 第24番札所
地蔵寺の由来を見てみると、弘仁12年(821年)弘法大師が約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ、それを本尊として安置し開創したのが始まりと伝えられているそうです。
この勝軍地蔵菩薩は、浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、胎内に納められたとのこと。
山門(仁王門)には怖い顔をした仁王像、ではなくて持国天さんと多聞天さんがいらっしゃいます。
色鮮やかな二天像だなと思いつつ、本堂へ。
本堂内をふと見上げるとこちらも色鮮やかな部分がありました。
さらに大師堂の彫刻部分もカラフルで、そういった部分も見どころでした。
山門
鐘楼
本堂内
大師堂(遠景)
手前の大きな銀杏は、「たらちね銀杏」と呼ばれているそうで、樹齢800年以上だとか。
大師堂
大師堂彫刻
修行大師御尊像
八角堂
八角堂の彫刻
不動堂
| 住所 | 徳島県板野郡板野町羅漢林東5 |
|---|---|
| 行き方 | 徳島バス鍛冶屋原線・石井上板線「羅漢」下車 (0.3km)
|
| 名称 | 地蔵寺 |
|---|---|
| 読み方 | じぞうじ |
| 参拝時間 | 7:00~17:00 |
| トイレ | 納経所の右側 |
| 御朱印 | あり 真ん中に梵字と地蔵尊、左下に地蔵寺と書かれ、右上に四国第五番の印、真ん中に梵字の印、左下に無盡荘厳の印が押されています。 |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 088-672-4111 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 阿波西国三十三観音霊場 第24番 | 御詠歌: ただ頼め 大悲の徳の 無尽山 心に適う ままの誓ひを |
|---|---|
| 四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
| ご本尊 | 延命地蔵 胎内仏・勝軍地蔵菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 無尽山(むじんざん) |
| 院号 | 荘厳院(しょうごんいん) |
| 宗旨・宗派 | 真言宗御室派 |
| 創建時代 | 弘仁12年(821) |
| 開山・開基 | 弘法大師 |
| 文化財 | 阿波遍路道 地蔵寺境内(国の史跡)
|
| ご由緒 | 嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、弘仁12年弘法大師が開創された。大師は、自ら約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ、本尊に安置したと伝えられる。その後、淳和天皇(在位823〜33)、仁明天皇(在位833〜50)の3代にわたり天皇家が篤く帰き依えされた。さらに紀州・熊野権現の導師を務めていた浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられている。この勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしている。これらの寄進により寺領は拡大し、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国におよそ300を数える末寺ができ、塔頭も26寺にのぼったと伝えられる。 しかし、天正年間(1573〜92)の長宗我部元親による兵火で、これらの堂塔はことごとく灰燼に帰した。その後、歴代の住職や僧侶、信者たちの尽力により堂宇が整備拡充され、いまでも寺領は40,000平方メートル(12,000坪)にもおよぶ古刹である。本堂左の参道をとおり、石段をのぼったところが奥の院で、ここが羅漢堂である。安永4年(1775)の創建で、五百羅漢堂とされていた。だが、大正4年参拝者の失火で罹災、いまは200ほどの等身大羅漢像がさまざまな喜怒哀楽の表情で並んでいる。境内の大銀杏。樹齢は800年を超え、母なる大木につつまれ歴史が刻まれている。 |
| 体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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