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だいにちじ|東寺真言宗黒巌山(こくがんざん)

大日寺
徳島県 板野駅

開門/6:00~17:00 
納経所/7:00~17:00

御朱印について御朱印
あり

真ん中に梵字と大日如来、左下に大日寺と書かれ、右上に四国第四番の印、真ん中に梵字の印、左下に黒巌遍…

限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

鐘楼門手前 普通20台 マイクロ/大型5台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所 第4番

徳島県のおすすめ❄️

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きどっち
きどっち
2025年01月12日(日) 23時51分02秒
1494投稿

東寺真言宗 黒巌山 遍照院 大日寺

四国八十八箇所霊場 第4番札所

こちら大日寺には西国三十三ヶ所観音霊場の観音菩薩像が安置されているということで、それらも楽しみに参拝させていただきました。

山門は比較的新しく鐘楼門となっており、鐘を撞くことができます。
鐘楼門の鐘楼はあまり撞き慣れていないため、どの程度引いていいのかわからず恐る恐る引いてみると思っていたよりも弱くかった・・・😅
まあ強く撞きすぎて鐘を痛めるよりはいいですよね。

山門をくぐり境内に入ると、まっすぐ本堂へと続く参道。
あまり古さはなく、むしろ洗練された印象を受けました。
そして本堂でお参り後、回廊を通って大師堂に行けるのですが、敢えて回廊を通らずに大師堂へ。
そして大師堂で参拝後、回廊を通ってまた本堂へ。
本堂へ戻ることが目的ではなく、この回廊沿いに西国三十三ヶ所観音霊場の三十三躯体の観音菩薩がずらっと安置されており、それらをじっくり時間をかけてお参りさせていただきました。
三十三躯体の観音菩薩像はどれも素晴らしくとても素晴らしかったです。

大日寺(徳島県)
大日寺(徳島県)

鐘楼門

大日寺(徳島県)

境内の参道

大日寺(徳島県)

手水舎
昔は湧き水を引いていたそうで、白濁していたことから「蛤水」」と呼ばれていたそうです

大日寺(徳島県)

正面の本堂

大日寺(徳島県)

本堂と大師堂は回廊でつながっています

大日寺(徳島県)

大師堂

大日寺(徳島県)

西国三十三ヶ所観音霊場の観音菩薩像

大日寺(徳島県)

西国三十三ヶ所観音霊場の観音菩薩像

大日寺(徳島県)

西国三十三ヶ所観音霊場の観音菩薩像

大日寺(徳島県)
大日寺(徳島県)

青面金剛尊像
足元に鳥居があるのですが、その後ろに三猿もいます。
拡大写真を撮り忘れたのが残念!

大日寺(徳島県)

弁財天像
参道を進んで左手にいらっしゃるのですが、ものすごい存在感があります。

大日寺(徳島県)

弁財天像のおとなりには賓頭盧尊者像

大日寺(徳島県)

薬師堂

大日寺(徳島県)

参道横の庭園と鎮守八幡御社

大日寺(徳島県)

鐘楼門横の石碑

大日寺(徳島県)
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歴史

徳島と香川県の県境にある阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって張り出した標高70m前後の尾根の緩斜面上に南向きに伽藍が配置されている。
弘仁6年(815)に弘法大師がこの地において大日如来を感得し、一刀三礼をして1寸8分の大日如来像を彫造したことを由来として大日寺と称するようになったと言われる。
元禄2年の『四國遍礼霊場記』(寂本1631-1701)では、かっては立派な堂塔が並んでいたものの、歳月の経過とともに、荒廃していた、と記されている。その後 応永年間(1394-1428)に松法師という人物に夢の託言があって修復がなされたという旨が『阿波史』文化12年(1815)に記されている。その後、また荒廃したが徳島の二代目藩主、蜂須賀忠英が慶安2年(1649)に材木を寄進し、本堂一宇を建立して以来、天和(1681)・貞享(1688)までに再興されている。その後も元禄5年(1692)に五代目藩主蜂須賀綱矩が、寛政11年(1799)に11代目藩主蜂須賀治昭がそれぞれにこれを修復して、今に至っている。また、この地は三方を山に囲まれており、黒谷と呼ばれていることから、地元では「黒谷寺」と呼び習わされることもあった。三号である黒巌山の由来もこのことに因んだものとされる。現在、京都の東寺の末寺としてあるがそれは明治20年以降のこと。それ以前は真言宗御室派に属していた。僧堂(庫裡)の熨斗瓦や入口の透かし欄間に寺紋の十六菊紋が見受けられる。

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大日寺の基本情報

住所

徳島県板野郡板野町黒谷5

行き方

3【金泉寺】より
(自家用車)約15分 約7km
(徒歩)約1時間30分 約5km
5【地蔵寺】より
(自家用車)約10分 約2km
(徒歩)約25分 約2km

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徳島県のおすすめ❄️

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名称

大日寺

読み方

だいにちじ

通称

黒谷寺

参拝時間

開門/6:00~17:00 
納経所/7:00~17:00

トイレ納経所の手前
御朱印あり

真ん中に梵字と大日如来、左下に大日寺と書かれ、右上に四国第四番の印、真ん中に梵字の印、左下に黒巌遍照の印が押されています。

限定御朱印なし
電話番号088-672-1225
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://dainichiji-temple.com/
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巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊大日如来
山号

黒巌山(こくがんざん)

院号

遍照院(へんじょういん)

宗旨・宗派東寺真言宗
創建時代

弘仁6年(815)

開山・開基

弘法大師

文化財

阿波遍路道 大日寺境内(国の史跡)
「大日寺」(板野町指定史跡)

ご由緒

徳島と香川県の県境にある阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって張り出した標高70m前後の尾根の緩斜面上に南向きに伽藍が配置されている。
弘仁6年(815)に弘法大師がこの地において大日如来を感得し、一刀三礼をして1寸8分の大日如来像を彫造したことを由来として大日寺と称するようになったと言われる。
元禄2年の『四國遍礼霊場記』(寂本1631-1701)では、かっては立派な堂塔が並んでいたものの、歳月の経過とともに、荒廃していた、と記されている。その後 応永年間(1394-1428)に松法師という人物に夢の託言があって修復がなされたという旨が『阿波史』文化12年(1815)に記されている。その後、また荒廃したが徳島の二代目藩主、蜂須賀忠英が慶安2年(1649)に材木を寄進し、本堂一宇を建立して以来、天和(1681)・貞享(1688)までに再興されている。その後も元禄5年(1692)に五代目藩主蜂須賀綱矩が、寛政11年(1799)に11代目藩主蜂須賀治昭がそれぞれにこれを修復して、今に至っている。また、この地は三方を山に囲まれており、黒谷と呼ばれていることから、地元では「黒谷寺」と呼び習わされることもあった。三号である黒巌山の由来もこのことに因んだものとされる。現在、京都の東寺の末寺としてあるがそれは明治20年以降のこと。それ以前は真言宗御室派に属していた。僧堂(庫裡)の熨斗瓦や入口の透かし欄間に寺紋の十六菊紋が見受けられる。

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