だいにちじ|東寺真言宗|黒巌山(こくがんざん)
大日寺徳島県 板野駅
開門/6:00~17:00
納経所/7:00~17:00
御朱印 | 真ん中に梵字と大日如来、左下に大日寺と書かれ、右上に四国第四番の印、真ん中に梵字の印、左下に黒巌遍照の印が押されています。 | ||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 鐘楼門手前 普通20台 マイクロ/大型5台(無料) |
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
4番 大日寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
4番 大日寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
4番 大日寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
4番 大日寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
4番 大日寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
4番 大日寺。
憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
前回は法事で徳島に行ったのですが 今回はお参りだけで行けました。
道には詳しくないので 札所の番号順にしました。
四国八十八カ所霊場巡り 4番札所のお寺です。
山号は黒巌山
院号は遍照院
宗旨宗派は東寺真言宗
寺格は準別格本山
ご本尊は大日如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん
ご詠歌:ながむれば月白妙(しろたえ)の夜半(よわ)なれや ただ黒谷(くろたに)にすみぞめの袖(そで)
でした。
1番~4番札所まで大変立派なお寺でしたが こちらも大変立派なお寺でした。
山門が仁王門ではなく鐘楼門でした。
お天気が良かったこともあり 参拝者も多かったです。
本堂も大師堂も見事ですが 個人的には違うものが気になりました。
大師堂から本堂にかけて回廊があり 西国三十三観音霊場のご本尊が並んでいたのです。
四国八十八霊場に 西国三十三観音霊場 違う霊場巡りのご本尊が並んでいるのが不思議だからです。
そういえば ミニ八十八霊場巡りとか ミニ三十三霊場巡りとか 結構見かけます。
少し得をした気分になって 写真撮りまくりです。(すみません)
団体様が巡礼されており 御朱印の拝受に時間がかかったのが少し残念でした。
由緒については
寺伝によれば 弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地において大日如来を感得し 一刀三礼をして一寸8分の大日如来を彫像したことを由来として大日寺と称するようになったと言われる。
元禄2年(1689年)の寂本という僧侶によれば「四国遍礼霊場記」や文化12年(1815年)の「阿波誌」の記述に応永年中(1394-1428年)に松法師なる僧侶が荒廃した寺院を再建したと記述がされている。
大日寺は 称徳4年(1714年)に御室仁和寺の直末寺となっている。
かって明治前期に住職であった泉智等は真言宗御室派の官長となっている。
その後、明治時代に東寺(京都)の末寺となっている。
とHPにありました。
参道
山門の鐘楼門
鐘楼を見上げて
山門をくぐると
鎮守 八幡神社
手水舎 蛤水
本堂 大日堂
大日如来御尊像
羅漢槇
大師堂
大師堂内陣
32番観音正寺(滋賀県) 33番華厳寺(岐阜県)
30番宝厳寺(滋賀県) 31番長命寺(滋賀県)
28番成相寺(京都府) 29番松尾寺(京都府)
26番一乗寺(兵庫県) 27番圓教寺(兵庫県)
24番中山寺(兵庫県) 25番播州清水寺(兵庫県)
22番総持寺(大阪府) 23番勝尾寺(大阪府)
20番善峯寺(京都府) 21番穴太寺(京都府)
17番六波羅蜜寺(京都府) 18番六角堂頂法寺(京都府) 19番革堂行願寺(京都府)
15番今熊野観音寺(京都府) 16番清水寺(京都府) 17番六波羅蜜寺(京都府)
13番石山寺(滋賀県) 14番三井寺(滋賀県)
11番醍醐寺(上醍醐・准胝堂)(京都府) 12番正法寺/岩間寺(滋賀県)
9番興福寺南円堂(奈良県) 10番三室戸寺(京都府)
7番岡寺/龍蓋寺(奈良県) 8番長谷寺(奈良県)
5番葛井寺(大阪府) 6番壷阪寺(奈良県)
3番粉河寺(和歌山県) 4番施福寺(大阪府)
1番青岸渡寺(和歌山県) 2番紀三井寺(和歌山県)
三十三観音霊場観世音菩薩について
阿弥陀堂
薬師堂
薬師堂内陣
弁財天と賓頭盧尊者
烏枢沙摩明王尊像
【四国八十八ヶ所札所巡り④】
大日寺(だいにちじ)は、徳島県板野郡板野町黒谷字居内にある東寺真言宗の寺院。山号は黒巌山(こくがんざん)、院号は遍照院(へんじょういん)。本尊は大日如来。四国八十八ヶ所4番札所。
平安時代の815年に弘法大師が当地で大日如来を感得し、一刀三礼をして一寸八分の大日如来像を彫像したことを由来として大日寺と称するようになったと言われる。江戸前期の『四国遍礼霊場記』によると、往古は立派な堂宇が並んでいたが後に荒廃したと記されている。また江戸後期の『阿波史』によると、室町時代の応永年間(1394年~1428年)に松法師という人物に夢告があって修復がなされたと記されている。のちに再び荒廃するが、江戸時代に入り2代阿波藩主・蜂須賀忠英が1649年に材木を寄進し本堂一宇を建立して以来、1688年までに再興されている。のち1692年に5代・蜂須賀綱矩が、1799年に11代・蜂須賀治昭が修復を行っている。
当寺は、JR高徳線・板野駅の西北西3.5km、道のり4.5kmの山あいの平地にある。3番札所の金泉寺からは道のり4.9km。周辺には何もなく、当寺だけがポツンと存在する。境内には高い樹木はないため非常に明るい。また伽藍も総じて新しいので古刹の雰囲気はあまりない。
今回は、四国八十八ヶ所札所であることから参拝した。参拝時は休日の夕方遅めの時間であったが、おそらくこの日お遍路を始めた参拝者がぱらぱらと駆け込みで訪れていた。
境内南端の<寺号標>。
境内入口の<鐘楼門>。
<鐘楼門>をくぐる。
<鐘楼門>をくぐったところから本堂を望む。
参道右手の建物。庫裏かな。
参道右手、離れたところにある鎮守社。
参道左側の<水屋>。
参道右手の建物。僧堂かな。
参道左側の<薬師堂>。その奥は<納経所>。御朱印はそちら。
<薬師堂>全景。正面から見るとこんな感じ。
薬師堂前から<本堂>を望む。
<本堂>全景。
本堂に向かって右手少し離れたところにある<大師堂>。
納経所クローズ時間間近だったため、慌ただしい参拝になってしまった...(^_^;)
徳島と香川県の県境にある阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって張り出した標高70m前後の尾根の緩斜面上に南向きに伽藍が配置されている。
弘仁6年(815)に弘法大師がこの地において大日如来を感得し、一刀三礼をして1寸8分の大日如来像を彫造したことを由来として大日寺と称するようになったと言われる。
元禄2年の『四國遍礼霊場記』(寂本1631-1701)では、かっては立派な堂塔が並んでいたものの、歳月の経過とともに、荒廃していた、と記されている。その後 応永年間(1394-1428)に松法師という人物に夢の託言があって修復がなされたという旨が『阿波史』文化12年(1815)に記されている。その後、また荒廃したが徳島の二代目藩主、蜂須賀忠英が慶安2年(1649)に材木を寄進し、本堂一宇を建立して以来、天和(1681)・貞享(1688)までに再興されている。その後も元禄5年(1692)に五代目藩主蜂須賀綱矩が、寛政11年(1799)に11代目藩主蜂須賀治昭がそれぞれにこれを修復して、今に至っている。また、この地は三方を山に囲まれており、黒谷と呼ばれていることから、地元では「黒谷寺」と呼び習わされることもあった。三号である黒巌山の由来もこのことに因んだものとされる。現在、京都の東寺の末寺としてあるがそれは明治20年以降のこと。それ以前は真言宗御室派に属していた。僧堂(庫裡)の熨斗瓦や入口の透かし欄間に寺紋の十六菊紋が見受けられる。
住所 | 徳島県板野郡板野町黒谷5 |
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行き方 | 3【金泉寺】より
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名称 | 大日寺 |
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読み方 | だいにちじ |
通称 | 黒谷寺 |
参拝時間 | 開門/6:00~17:00
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トイレ | 納経所の手前 |
御朱印 | あり 真ん中に梵字と大日如来、左下に大日寺と書かれ、右上に四国第四番の印、真ん中に梵字の印、左下に黒巌遍照の印が押されています。 |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 088-672-1225 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://dainichiji-temple.com/ |
SNS |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 大日如来 |
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山号 | 黒巌山(こくがんざん) |
院号 | 遍照院(へんじょういん) |
宗旨・宗派 | 東寺真言宗 |
創建時代 | 弘仁6年(815) |
開山・開基 | 弘法大師 |
文化財 | 阿波遍路道 大日寺境内(国の史跡)
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ご由緒 | 徳島と香川県の県境にある阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって張り出した標高70m前後の尾根の緩斜面上に南向きに伽藍が配置されている。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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