しょうさんじ|高野山真言宗|摩廬山(まろざん)
焼山寺徳島県 学駅
7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 境内手前 各車種あわせ70〜80台(道路管理費/普通300円 ワゴン500円 大型1,000円) |
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
12番 焼山寺。
難所でございます。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
12番 焼山寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
12番 焼山寺。
難所でございます。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
12番 焼山寺。
難所でございます。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
12番 焼山寺。
難所でございます。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
12番 焼山寺。
難所でございます。
大粟神社の後に、近くまで来たので、四国八十八ヶ所12番札所の焼山寺にお参り。夕方だったので閉まってしまう〜🙀💦と焦りながら山道を車で。思っていたより登ります。阿波霊場三難所の1つらしく、四国八十八箇所霊場で3番目の高さ‼️😳細い道だし、夕方という事もあり参拝後のお遍路さんの降りてくる🚗が!😥。狭い道での対抗車を何台も交わしながら、何とかギリギリ間に合い、無事お参り。😮💨
こちらは,駐車場から少し歩きます。岩山の壁際を歩き、その岩山に安置されている仏像などを歩きながら拝める素晴らしいお遍路道です。🥰
ホント、この道をお大師さまが歩かれたと思うとつくづく偉大さを感じさせられますね。🥹
本尊 虚空蔵菩薩
寺伝によれば大宝年間(701年 - 704年)、役小角(役行者)が開山し、庵を結び蔵王権現を祀られ、のちに大師さまは、神通力を持ち火を吐いて村人を襲う大蛇🐍がこの山⛰️に棲んでいることを聞き退治に向かった。大蛇は全山に火🔥を放って妨害したので摩盧(水輪)の印を結びながら進むと、山頂の岩窟に閉じこもって抵抗した。そこで虚空蔵菩薩や三面大黒天に祈願すると大蛇を岩窟の中に封じ込めることができたため、そのお礼に虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし一寺を建立したそうです。
足利尊氏は本寺を祈願所とし、江戸時代には徳島藩主蜂須賀家の帰依を受けていたとか。ウキペディアより
この辺りの神山はすだちの名産地であり、神山温泉♨️もあり,素晴らしい秘境です。
駐車場で一番目に👀入ってきます。
岩窟に
大日如来さま🥰
虚空蔵菩薩
ん?見逃しそうなとこに🙈
がお〜ん‼️🐯🐯🐯
お大師さま
仁王門
御手水
本堂
大師堂
弁財天← 三面大黒天 →毘沙門天
境内に📮が!
釣鐘堂
憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
四国八十八カ所霊場巡り 12番札所のお寺です。
いやぁこちらへの道 大変でした。
11番藤井寺から歩いたら12kmほどだそうですが もちろん車にさせていただきました。
にしても う回することになり それも山道ですから 軽く1時間ほどの移動時間になりました。
途中 すれ違うこともできない狭さの所もあり さらに16時前でしたがほぼ日暮れほどの暗さにも不安でした。
おっかなびっくり車を進めていると ぱっと視界が開け 駐車場にたどり着きました。
駐車場から山門までの山道には たくさんの石仏が寄進されていました。
山門(仁王門)をくぐり 階段を上ると本堂です。
大黒天堂・本堂・大師堂・十二神神社・宿坊がありました。
こんな山奥なのに とても立派な建物です。
昔の人々はどうやってこれを建てたのか 本当に不思議でなりません。
よほどのお金と労力 本当に想像できません。
少し薄暗くなった時間帯でしたが 参拝者は多く 人気が高いのがよく分かります。
外国の方もちらほら見られ 素敵な文化交流ができていることを嬉しく思いました。
今日はこれで時間切れ 淡路で夕食と夜景を楽しんで帰りました。
山号は摩盧山
院号は正壽院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は虚空蔵菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか
ご詠歌:後(のち)の世を思へば恭敬(くぎょう)焼山寺 死出(しで)や三途(さんず)の難所(なんじょ)ありとも
でした。
由緒については
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり 四国霊場で2番目に高い山岳札所。
剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしい。
四国霊場には「遍路ころがし」といわれた札所がいくつかあるが 焼山寺もその一つで 昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」であった。
いまは山上まで車道が通っている。
縁起によると 飛鳥時代に役行者が山をひらいて 蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされている。
ところが この山には神通力を持った大蛇が棲んでおり しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていた。
弘仁6年ころ 弘法大師がこの地に巡られた時 一本杉で休んでいた処 阿弥陀様があらわれた夢を見た。
目を覚ますと目の前が火の海になっている。
そこで麓の垢取川で身を清めて山に登ると 大蛇は全山を火の海にして妨害した。
大師は「摩廬(水輪の意)の印いん」を結び 真言を唱えながら進んだのだが 大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわした。
大師は一心に祈願し 虚空蔵菩薩の御加護のもと岩窟に封じ込めた。
そして自ら彫られた三面大黒天を安置し被害を受けていた民家の大衆安楽 五穀豊穣を祈った。
また山は「焼山」となってしまったので大師が「焼山寺」と名付けた。
「摩廬」の山号も「焼山」の寺名も こうした奇異な伝説に由来しており 鎌倉時代の後期には後醍醐天皇(在位138〜39)の勅願所となっている。
境内は樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び 巡礼者を迎えている。
とありました。
参道の石仏
参道の石仏
山門(仁王門)前の階段
階段途中に
山門
金剛力士 阿
金剛力士 吽
本堂に続く階段
ようやく本堂へ
手水舎
大黒天
大黒天内陣
本堂
本堂内陣
大師堂
大師堂内陣
鐘楼
焼山寺由緒書
鐘楼由緒書
十二社神社鳥居
狛犬は左右5体
拝殿
本殿
かわいらしいお地蔵さん
宿坊
なぜかブランコが
納経所前に巨大な杉が
納経所
山門入った所にも巨大な杉が
公衆電話って 山奥のこういう所だからあるのでしょうね
17時前ですが まあまあ日暮れが近いのですね
帰りは淡路サービスエリアで夕食
サービスエリアから神戸方面を眺めて
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所。剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしい。四国霊場には「遍路ころがし」といわれた札所がいくつかあるが、焼山寺もその一つで、昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」であった。いまは山上まで車道が通っている。縁起によると、飛鳥時代に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされている。ところが、この山には神通力を持った大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていた。弘仁6年ころ、弘法大師がこの地に巡られた時、一本杉で休んでいた処、阿弥陀様があらわれた夢を見た。目を覚ますと目の前が火の海になっている。そこで麓の垢取川で身を清めて山に登ると、大蛇は全山を火の海にして妨害した。大師は「摩廬(水輪の意)の印いん」を結び、真言を唱えながら進んだのだが、大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわした。
大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと岩窟に封じ込めた。そして自ら彫られた三面大黒天を安置し被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈った。また山は「焼山」となってしまったので大師が「焼山寺」と名付けた。「摩廬」の山号も「焼山」の寺名も、こうした奇異な伝説に由来しており、鎌倉時代の後期には後醍醐天皇(在位138〜39)の勅願所となっている。境内は樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び、巡礼者を迎えている。
住所 | 徳島県名西郡神山町下分地中318 |
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行き方 | 11【藤井寺】より
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名称 | 焼山寺 |
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読み方 | しょうさんじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | 本堂の手前 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0886-77-0112 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 虚空蔵菩薩 |
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山号 | 摩廬山(まろざん) |
院号 | 正寿院(しょうじゅいん) |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 弘仁6年(815) |
開山・開基 | 役行者小角 |
文化財 | 阿波遍路道 焼山寺道、阿波遍路道 一宮道(国の史跡)
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ご由緒 | 焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所。剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしい。四国霊場には「遍路ころがし」といわれた札所がいくつかあるが、焼山寺もその一つで、昔から嶮しい坂道の難所を辿る「修行の霊場」であった。いまは山上まで車道が通っている。縁起によると、飛鳥時代に役行者が山をひらいて、蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされている。ところが、この山には神通力を持った大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていた。弘仁6年ころ、弘法大師がこの地に巡られた時、一本杉で休んでいた処、阿弥陀様があらわれた夢を見た。目を覚ますと目の前が火の海になっている。そこで麓の垢取川で身を清めて山に登ると、大蛇は全山を火の海にして妨害した。大師は「摩廬(水輪の意)の印いん」を結び、真言を唱えながら進んだのだが、大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわした。 大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと岩窟に封じ込めた。そして自ら彫られた三面大黒天を安置し被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈った。また山は「焼山」となってしまったので大師が「焼山寺」と名付けた。「摩廬」の山号も「焼山」の寺名も、こうした奇異な伝説に由来しており、鎌倉時代の後期には後醍醐天皇(在位138〜39)の勅願所となっている。境内は樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び、巡礼者を迎えている。 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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