じょうらくじ|高野山真言宗|盛寿山(せいじゅざん)
常楽寺徳島県 府中駅
7:00~17:00
憧れの四国八十八霊場巡り 3回目に出かけました。
四国八十八カ所霊場巡り 14番札所のお寺です。
本堂裏側まで車で行けました。
裏側から入りましたので 山門まで回ってきちんと参拝し直しました。
びっくりしたのが地面です。いや 岩です。
境内の地面の8分の1ぐらいが岩なのです。
表面に出ていない岩もあるはずなので 岩盤を削っているはずです。
こんなに岩の多い山頂にお寺を建立するとはすごいです。
200年ほど前に建てられたと伝わる本堂や薬師堂は見事で これほどの建物を山頂に建てた信仰心には感服です。
山号は盛寿山
院号は延命院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は弥勒菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まいたれいや そわか
ご詠歌:常楽の岸にはいつか到(いた)らまし 弘誓(ぐぜい)の船に乗りおくれずば
でした。
由緒については
寺伝によれば 空海(弘法大師)がこの地で修行をしていた際に 弥勒菩薩が多くの菩薩を連れた姿を感得した。
そこで霊木に弥勒菩薩を刻み堂宇を建立して本尊として安置したという。
空海の甥に当る真然僧正が金堂を建立 祈親上人が講堂 三重塔などを建立し七堂伽藍の大寺院となったと伝える。
天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって焼失。
万治2年(1659年)に徳島藩主蜂須賀光隆によって 現在地より下った谷間に再興された。
文化12年(1815年)に元の山上への建て替えを願い出て 3年後 低地の谷間から石段を50段ほど上った現在地に移転した。
とありました。
石柱門
手水舎
境内全景
寺務所
大師修行像
鐘楼
流水岩 と言うらしい
流水岩 と言うらしい
本堂
アララギの木
薬師堂(だったかな)
大師堂
住所 | 徳島県徳島市国府町延命606 |
---|---|
行き方 | 徳島バス 神山線(延命経由)・天の原西線「常楽寺前」下車(0.3km)
|
名称 | 常楽寺 |
---|---|
読み方 | じょうらくじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 088-642-0471 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
---|
ご本尊 | 弥勒菩薩 |
---|---|
山号 | 盛寿山(せいじゅざん) |
院号 | 延命院(えんめいいん) |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 弘仁6年(815) |
開山・開基 | 弘法大師 |
文化財 | 本堂、大師堂(国の登録有形文化財)
|
ご由緒 | 四国霊場のなかで唯一、弥勒菩薩を本尊としている。弥勒菩薩は56億7千万年の後まで、衆生の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏である。とくに京都・広隆寺の国宝で、片膝を立てて頬を右手でささえ考える半跏思惟の弥勒像は、そのやさしいお顔の表情が美しく、お大師さまとともに光明を授けてくれるような仏といえよう。縁起では、弘法大師が42歳の厄年のころ、この地で真言の秘法を修行していたときに、多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが来迎されたという。大師はすぐに感得し、そばの霊木にその尊像を彫造し、堂宇を建立して本尊にした。この本尊について大師は、御遺告の一節に「吾れ閉眼の後、兜率天に往生し弥勒慈尊の御前に侍すべし。56億余の後、必ず慈尊と御共に下生し、吾が先跡を問うべし…」と触れられていることからも、常楽寺への篤い思いが偲ばれる。 後に、大師の甥・真然僧正が金堂を建て、また高野山の再興で知られる祈親上人によって講堂や三重塔、仁王門などが建立されて、七堂伽藍がそびえる大寺院となった。室町時代には阿波守護大名の祈願所にもなっているが、「天正の兵火」により焼失し灰燼に帰している。だが、江戸時代初期には復興、後期の文化15年(1818)に低地の谷地から石段を約50段のぼった現在地の「流水岩の庭」近くに移っている。奇形な岩盤の断層が重なる「流水岩の庭」。自然の美しさにとけ込む魅力を醸し出す。 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0