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100年後に神社お寺を残せる未来へ

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ひなぎく
2025年04月27日(日) 08時37分47秒
823投稿
高座郡寒川町に鎮座する倉見水神宮にお参りしました。相模川の砂利採取が盛んだった昭和4年に相模砂利株式会社が建立し、水神様が祀られています。
かつてこの付近には倉見山観音寺がありましたが、旅人の火の不始末から火事になり焼失してしまいました。当地はその時の灰を集めた灰塚と呼ばれていました。
境内には『相模五郎の碑』があります。
この相模五郎は本名を須田亀助といい、馬に関しての見識が高く、近辺の草競馬に必ず姿を出す名騎手として有名な方でした。"競馬の五郎親分"としてどこへ行っても人気があり、倉見村の名物男だったといいます。明治の終わり頃のことです。
(参考文献∶寒川その昔を語る第2集)





『相模五郎の碑』
相模五郎が活躍した頃の競馬場は葛原、国分、戸塚などにあり、農家の人たちにとってはこの草競馬を見に行くのが楽しみの1つだったそうです。



神社の斜め向かいの相模線倉見踏切を渡った先に倉見桜緑道があります。明治34年倉見の大地主、眞田喜三郎氏が桜の苗木を寄付され相模川の土手と行安寺に植えました。昔は神奈川県の桜の三大名所だったそうですが、戦争の犠牲となり木炭用に切り倒されたといいます。昭和54年頃から桜を蘇らせるべく植樹がはじまり今に至るようです。

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神社の斜め向かいの相模線倉見踏切を渡った先に倉見桜緑道があります。明治34年倉見の大地主、眞田喜三郎氏が桜の苗木を寄付され相模川の土手と行安寺に植えました。昔は神奈川県の桜の三大名所だったそうですが、戦争の犠牲となり木炭用に切り倒されたといいます。昭和54年頃から桜を蘇らせるべく植樹がはじまり今に至るようです。



『相模五郎の碑』
相模五郎が活躍した頃の競馬場は葛原、国分、戸塚などにあり、農家の人たちにとってはこの草競馬を見に行くのが楽しみの1つだったそうです。




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