にしのみやえびすじんじゃ
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松本市浅間温泉の東側の山ぎわに小道を抜けた先に佇んでいる小さな神社です。
案内板によると「大正時代に西ノ宮から勧請、商売繁昌の神として信徒は松本商業組合を始め遠近の各地に多く、えびす講は賑やか、玉垣は大正6年浅間公園を作ったとき、拝殿は昭和30年に建立。本郷地区景観整備委員会」とあります。社号から察すると兵庫県西宮市社家町に鎮座する西宮神社の分霊(蛭児命)が勧請されたと思われます。蛭児命は伊弉諾岐命と伊弉諾美命の子供でしたが五体満足で生まれてこなかった為、葦の舟に乗せられ流されてしまいます。神話ではこの後の事は触れられませんが、各地には蛭児命が流れ着いた伝説が残っており、概ね、えびす神として信仰の対象になったようです。
当初は神話や伝説の経緯から海神として祀らていましたが、時代の経過により七福神として福の神となり市場の守護神である市神、商売繁盛の神となったようです。境内に建立されている恵比寿像・歌碑は案内板によると「『御かたゑりいはひまつれる真ごころは千代萬代も神やしるらん 重義拝題』恵比寿像の画は松本市中町の有名な彫刻家太田南海の作である。大正13年10月松本商業組合の建立。本郷地区景観整備委員会」とあります。
隣接地にお墓があり、その際には大音寺跡地がありますので、紹介します。そこには六地蔵が残るだけですが、墓地はその残りではないでしょうか。
大音寺は、古くは天台宗の寺で七堂伽藍を持つ大寺と伝えられ、七塔・塔ノ入の地名は残るが創建不明。
江戸時代には浅間の真言宗の真観寺の末寺となる。寺内にあった三重の塔は石川氏が相輪をぬいて茶釜を作ったので大破した。そのあとへ大日堂が建てられた。観音堂は松本三三番札所の第二九番。明治元年(1868)に廃寺になった為、多くの堂宇が解体され、跡地には享保7年(1722)、享保15年(1730)、文化3年(1806)に建立された六地蔵や、文化15年(1818)に建立された梵字光明真言供養塔、寛政5年(1793)に建立された廻国供養塔、天保9年(1838)に建立された岩田正訓筆塚などの石仏、石碑等があり当時の名残が見られます。
拝殿
歌碑 恵比寿天図あり
歌碑
本殿
大音寺跡地の六地蔵
大音寺跡地 六地蔵横に鎮座
大音寺跡地 六地蔵横
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