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ひでどらごん
2024年10月06日(日)
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明治観音堂は、昭和20年3月10日の東京大空襲によって犠牲となった多くの霊の冥福を祈るために建立された慰霊堂です。浜町公園の近く、明治座の目の前に位置しており、この場所は戦災に関連する重要な歴史を持っています。
●建立の背景
本堂の建立は、戦後の昭和25年12月に発願され、発願主は新田新作氏でした。彼は戦後に明治座を復興させるために尽力し、観音堂の設立にも大きく関与しました。明治座は、当時の指定避難所として多くの人々が避難していた場所であり、周囲で命を落とした方々を弔うための象徴的な施設としての役割を果たしています。
●明治座と戦争の影響
時代は昭和6年(1931年)に始まった満州事変を皮切りに、日中戦争や第二次世界大戦へと移り変わっていきました。昭和19年(1944年)には、多くの劇場が閉鎖される緊急事態が発令される中、明治座は3月20日には興行を再開し、戦時中でもほぼ毎月舞台を開いていました。
しかし、昭和20年3月10日の東京大空襲によって、明治座は外側を残して焼失し、周囲の地域も大きな被害を受けました。そのため、観音堂は戦災の犠牲者を慰霊するための重要な施設となったのです。
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