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楽しみ方官兵衛神社(廣峯神社境内)のお参りの記録一覧
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官兵衛神社⛩️と吉備神社🪨
戦国時代の稀代の軍師、黒田家と
官兵衛ゆかりの官兵衛神社
廣峰山に鎮座する廣峯神社。
備前から播磨に流れ着いた官兵衛の祖父・重隆が、「御師」と呼ばれる神社の神符を全国に売り歩いていた布教者たちに黒田家秘伝の目薬を一緒に売ってもらうことで財を成し、後の黒田家の礎を築いたという深い所縁
備前・福岡(現:岡山県瀬戸内市)から
この地に流浪してきた官兵衛の祖父・重隆(しげたか)は、御師の家に寄宿し、一族に伝わる目薬を
売ったところ、大変繁盛したそうです。
そこで財を築いた重隆は有力豪族へと成長し、
当時姫路を治めていた小寺政職(まさもと)に
召し抱えられることに。
こちら廣峯神社・御師屋敷は、
黒田家にとって起源ともいえる特別な場所です。
📍 兵庫県姫路市広嶺山52
吉備神社(廣峯神社境内社)🌿
主祭神 吉備武彦命
山頂のパワースポット
官兵衛神社または、廣峯神社御本殿裏から
徒歩約10分、白幣山(はくへいざん)の
山頂には吉備社と荒神社が祀られています。
この周辺は、神が最初に天降(あまくだ)った
神聖な場所「磐座(いわくら)」として、
人気のパワースポットになっています。
廣峯神社は奈良時代に吉備真備が唐から帰国の際、神託によって社殿を造営し、明石浦より牛頭天王を勧請して廣峯社と称した古社で、京都祇園の八坂神社の本社とも言われ、古い歴史と由緒を誇っています。
それだけに神社には室町時代に再建された本殿、
拝殿(ともに国指定文化財)など、
数多くの文化財を擁し、端整な随神門(表門)や
それを取り巻く薄紅色の築地塀なども
貴重な遺産です
風雪にさらされた土塀が続く御師屋敷(社家)跡
かつては神社周辺に多くの御師屋敷が並び、
「廣峰三十四坊」と呼ばれましたが、
人が住み続けているのは今ではわずか1軒となり、屋敷跡の土塀だけが往時の面影を伝えています。
中でも駐車場からお旅所を経て神社に向かう
旧参道に沿った土塀が有名で、
神社の本殿裏から吉備神社に向かう途中にある
廃屋の風情も見応えがあります。何となく盗人など魑魅魍魎が巣くう隠れ家的な雰囲気を醸し出しています。
山内の屋敷跡の随所に見られる苔むした石積み(石垣)。
鎌倉時代に神主であった廣峯氏は鎌倉幕府の御家人で、鎌倉末期から南北朝時代にかけて活躍いましだが、城塞を思わせる屋敷跡の石組みもそのあたりに起因するのかも知れません。
これらは山城あるいは砦に想定することができると考えられます
参道道標✨
4つ並ぶ石碑のうち、一番左のものは道標ではなく、ここに古墳があったことを記念する個人が立てた石碑とのこと
背後の建物や茂みのあたりは以前は竹藪で、調査により古墳であることが判明したのだそうです。3本の道標は右に行くほど古いもので、一番右のものは嘉永七年(1854年)と彫られていました。昭和の道標が示すように、自動車道ができたのは昭和25年(1950年)。
それまでは旧参道しかなく、神社への往復は大変でした。
吉備様への道々に旧社家の痕が沢山あったと伝わりますが、不便さに昭和50年(1975年)頃から、
平地へ降りてしまわれたそうです。
廣峯神社は格が高すぎて氏子がなく(このあたり麓の集落は近くの白国神社の氏子)、明治以降は経済的に廃れてしまい、今は一軒残るお家が神職をなされているそうです
〜ネットより参照〜
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夕方になりましたが廣峰神社様の境内をユックリお詣りして回りました。
ホントにたくさんの境内社が鎮座されています。
その中で2019年に創建された官兵衛神社様へもお詣りさせて頂きました。
赤穂が四十七士であったように、姫路と言えば大河ドラマにもなった黒田孝高(官兵衛、如水)が有名です。
中学生の頃、司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読んで胸が熱くなりました(´▽`)
他にも信長や秀吉、竹中重治(半兵衛)などが描かれる小説では必ず登場します。
孝高は信長の命により謀反した荒木村重の説得に向かったのですが、逆に当時の主君であった小寺政職の毛利への寝返り内通により有岡城の地下の土牢に幽閉されます。
一年間、高さが二尺ほど光も差し込まず雨水が溜まるような劣悪な環境で無理な姿勢を強いられたために孝高は脚を傷めるのですが、このエピソード(地下牢は創作との説もあります)の前後で孝高の人物像が変わります。
秀吉、家康の天下人からも恐れられた「黒田如水」への道を歩み出した分岐点のように感じています。

兵庫県姫路市にある神社です。
境内社だと思っていたのですが、別分類されているようです。
黒田官兵衛と息子長政を祀る神社です。
HPで以下のように紹介されています。
備前・福岡(現:岡山県瀬戸内市)からこの地に流浪してきた官兵衛の祖父・重隆(しげたか)は、御師の家に寄宿(きしゅく)し、一族に伝わる目薬を売ったところ、大変繁盛したそうです。そして財を築いた重隆は有力豪族へと成長し、当時姫路を治めていた小寺政職(まさもと)に召し抱えられることに。ここ広峯神社・御師屋敷は、黒田家にとって起源ともいえる特別な場所です。
令和元年、235年ぶりに福岡市の大長寺に安置されていた、福岡藩祖「黒田官兵衛一族」ゆかりの古木の根が、官兵衛神社のご神体として福岡から姫路に帰郷しました。
古木の根は、江戸時代に発見された姫路市内にあった官兵衛の父「職隆」のお墓に埋められていたものです。
1783年、福岡藩は藩士を派遣し調査しましたが遺骨は発見できず、木の化石「珪化木」とみられる根を掘り出し、職隆のご位牌がある大長寺に安置しました。
NHK大河ドラマで注目を集め、姫路市の関係者が大長寺に譲渡を打診し、5本のうち高さ約60センチの1本を移すことで合意されたそうです。
新しい神社ですが、大河ドラマの影響もあってか、参拝者は多いです。
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