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善光寺七社の一つで創始の詳細は不明ですが、平安時代の頃初代の善光寺大本願上人が信濃国に下向する際、信仰していた京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)を勧請したと伝えられています。縁が深い関係から秋季例祭には大本願お上人様がご参拝されています。弥栄神社の兼務社ですすので、先に御朱印を戴いていました。その際、情報では駐車場がないとのことでしたので確認しますとけ、境内にお停めていいとのことでした。これから参拝する方は事前に許可を取っての駐車が望ん間しいと思います。
神橋
大正十四年(1925)奉納の狛犬
鳥居
昭和二十四年(1949)、善光寺大本願より奉納の社号標
社地拡張玉垣増設記念碑(昭和十年(1935))
大正十四年(1925)奉納の御百度詣数取
昭和十六年(1941)奉納の手水舎
昭和十六(1941)年奉納の手水鉢
明治三十六年(1903)奉納の灯籠
明治七年(1874)建造の拝殿(重要文化財)
扁額
本殿 上屋は嘉永七年(1854)、神殿は慶應四年(1868)の建造(重要文化財)
明治二十七年(1894)奉納の灯籠
由緒書
西長野百年碑(昭和五十六年(1981))
何だろ〜レトロな造り
西長野町に関する石碑、よく読めず詳細不明
養蠶大神(明治四十二年(1909))
道祖神
玉垣神橋建設記念碑
【善光寺七社巡り(4/7)】
加茂神社(かも~)は、長野県長野市西長野町にある神社。旧社格は村社。祭神は玉依比売命。善光寺七社の1社。
創建は不詳。社伝によると、平安時代前期の858年、善光寺大本願第33世・宝林上人が信濃国に下向する際に、信仰していた京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)を勧請したとしている。このため大本願とは縁が深く、善光寺七社の1社とされているほか、現在でも大本願上人が当社秋季例祭に参拝している。仏教者が神社の例際に拝礼することは全国的にも珍しいとのこと。
往古より疱瘡(天然痘)除け、安産の神として崇敬を受け、松代藩主より社領1石の寄進があった。現在の社殿は江戸時代末期1868年の再建。ごく最近まで、中野県下で唯一の藁葺屋根の拝殿であったが、藁葺屋根風銅板葺に改修されている。
当社は、長野線・権堂駅の西北西1.5kmの市街地、幹線道路(国道406号線)脇の平地にある。社殿は東向きに建っていて、社殿周りだけわずかに高くなっている。ちょっと広めの村の鎮守サイズで、境内はきれいな公園風に整えられている。何本か古木があることと、藁葺風銅板葺屋根の拝殿が特徴的。この屋根は数年前までは実際に藁葺屋根だったみたいで、Google Map上の写真でも在りし日の風情のある屋根を見ることができる。
今回は、善光寺七社の1社ということで参拝することに。参拝時は休日の夕方で、自分たち以外に参拝者はいなかった。
※当社は弥栄神社(長野市上西之門町)が兼務しているため、御朱印は弥栄神社で拝受できる。
境内東端入口全景。緑豊かな印象。(o^―^o)
<鳥居>と<社号標>。
参道左側の<狛犬>。
参道右側の<狛犬>。
参道左手の<手水舎>。
見事な巨木が参道両側に立っている。
参道進んで<拝殿>遠景。社殿周りは一段高い場所にある。
<拝殿>全景。正面の彫刻はかなり凝っていて美しい。
<拝殿>正面。凝った彫刻と控え目な扁額。「加茂皇太神」の文字。
<拝殿>内部。
<社殿>全景。屋根は藁葺屋根風銅板葺であるため、距離や角度による屋根の形の見え方の違いが面白い。
(でも藁葺屋根時代を見てみたかった...(^_^;))
拝殿後ろの<本殿>。
本殿脇にある<養蚕大神>(手前)と<道祖神>(奥)の石碑。
社殿の右手(北側)にある建物。掛け時計が昭和レトロ風。
境内にある「西長野百年碑」。
境内北側から鳥居方向を望む。今も使われて良そうな児童遊具が並ぶ。
明治時代の長野出身の教育学者、鉱物学者である五無斎保科百助の石碑。
最後に境内中央部から<社殿>を望む。
自然な感じだが、植栽類はかなりちゃんと手入れがされていて、公園のようで居心地がいい。(^▽^)/
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