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【信濃國 式内社巡り】
治田神社(はるた~)(下の宮)は、長野県千曲市稲荷山にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は治田大神(彦坐命)、配祀神は倉稲魂命、事代主命。
社伝によると、雄略天皇8年(463年)に第九代開化天皇の皇子・彦坐命の5世孫・日子王が詔を奉じて当地に下向し創建。平安時代の927年に編纂さ入れた『延喜式神名帳』に記載のある「信濃國 更級郡 治田神社 小」に比定されている。なお、南西1kmの桑原に同名の「治田神社」があるが、そちらは「上の宮」、当社は「下の宮」と呼ばれている(分祀の理由は諸説あり)。中世以降、当地は川中島治田庄更科郷と呼ばれ、当社は総鎮守「治田大宮大神宮」と称し、歴代領主の篤い崇敬を受けた。江戸時代には上田藩・松平氏の所領である稲荷山郷の鎮守として奉斎された。明治に入り、近代社格制度のもと郷社に列し、のちに県社に昇格した。
当社は、JR篠ノ井線・稲荷山駅の南西3kmの山の緩やかな斜面の途中にある。境内の東側と南側に大きな調整池がって、東向きの社殿に向かって北から伸びる参道は池に面している。本殿を瑞垣で囲った社殿の周りに境内社がたくさんあり、きれいに並んでいるので見て廻りやすい。
今回は、信濃國の式内社、長野県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、境内には他に参拝者はいなかった。
境内北東端の公道上に立つ<鳥居>。
境内北東部の入口にある<手水舎>。
境内入口の<社号標>。
入口近くにある<旧手水舎の鬼瓦>。武田信玄の侵攻で焼き打ちに遭うのを避けるため、武田信玄が上下諏訪八幡社を崇敬していたのにちなみ、桑原の治田神社と当社を上下諏訪明神と称することで焼き打ちを免れたとのこと。この鬼瓦には諏訪社の御紋が入っている。
参道左側の<狛犬>。めちゃくちゃかわいいルックス。
参道右側の<狛犬>。口を開けてもかわいい。(o^―^o)
参道の左側は調整池。昔は境内だったのかな。
参道を進むともう一組の<狛犬>が。こちらは割と新しいものみたい。
参道の右手にある、神域入口の真っ白な<両部鳥居>。
<拝殿>全景。神明造の建物に翼殿が付いた珍しい造形。
<拝殿>正面。賽銭箱の上に、書置きの御朱印が置いてある。
拝殿後ろの本殿。彫刻がしっかり入っていて、サイズ含めなかなか立派。
本殿の左側にある<津島宮>。
津島宮の左手にある<神輿庫>。現在は新たな神輿製作の参考に供するため出張中とのこと。
神輿庫前から見た<社殿>全景。
神輿庫前から見た<両部鳥居>周辺。後ろの調整池が明るくてきれいな眺め。
拝殿の右側に境内社がたくさんあるので見て廻る。
左から順に<伊勢社(治田町)>、<高市社(上八日町)>、<三峯社(本町)>、<秋葉社・三峯社(上八日町)>。その右側は表札なしの石製小社4社。
右手にある<北野天満宮>。境内社でも、極太の注連縄が架かっている。
左から順に<高市社(中町)>、<高市社(上八日町)>、<高市社(治田町)>。
同じ神様なのに、町ごとに別々の社殿を立てているのは珍しいかも。
高市社の右手隣の一段低い所にある石製小祠、石碑群。
こちらは<社務所かな>。通常無人みたい。
白い<両部鳥居>の近くにある<御神木>。
帰り道、行きに見逃した参道脇の<神馬舎>。
最後に、境内入口全景。町単位で今でも大事にされている感じがいい。(^▽^)/
名称 | 治田神社下の宮 |
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読み方 | はるたじんじゃしものみや |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
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詳細情報
体験 | 御朱印 |
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