しきないたてはらじんじゃ
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次に向かったのは楯原神社様です。
御祭神は
武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)
大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)
孝元天皇(コウゲンテンノウ)
菅原道真(スガワラノミチザネ)
赤留姫命(アカルヒメノミコト)
素盞嗚尊(スサノオノミコト)
をお祀りされています。
創建は崇神天皇の御世であるBC92年と
伝わっています。
元は現在の喜連西に鎮座されていましたが兵火や
台風の影響で2度の遷座をされた後に現在地に
遷られています。
楯原神社様には十種神宝(トクサノカンダカラ)を
お祀りする神宝十種之宮があります。
十種神宝は日本神話で饒速日命が天孫降臨の際に
天神から授けられたとされていて死者を甦らせる
ほどの力を秘めたもの神宝と伝わっています。
その十種神宝とは
沖津鏡(オキツカガミ)
辺津鏡(ヘツカガミ)
八握剣(ヤツカノツルギ)
生玉(イクタマ)
死返玉(カマルカヘシノタマ)
足玉(タルタマ)
道返玉(チカヘシノタマ)
蛇比礼(オロチノヒレ)
蜂比礼(ハチノヒレ)
になります。
参拝したのが大晦日の昼過ぎだったので境内では
正月を迎える準備で忙しそうでした。
そんな中でも参拝者は後を絶たずで地域の方からの
信奉の篤さを感じました。















境内・文化財
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式内楯原神社の創建は崇神天皇6年(紀元前91年)に遡ります。この時、国造である大々杼名黒に対し、「国平大神と建甕槌命を同じ殿に祀るのは畏れ多いので、別殿を造営して奉斎するように」という詔が下されました。その結果、建甕槌命を祀る「楯之御前神社」と、国平の鉾を祀る「鉾之御前神社」が創設されました。この時に行われた鎮座祭は崇神天皇7年9月2日に実施され、同9年には神領地が定められました。
神功皇后の時代、三韓征伐にあたり楯原神社に軍事に関する託宣が下り、帰国後には皇太子と共に親拝が行われました。その際、皇后の命により「楯原神宮」と改称され、大々杼氏は「息長氏」に改められました。この出来事は、楯原神社の歴史に深く関わる重要なエピソードとなっています。
推古天皇15年(607年)には、中臣鎌子が勅使として楯原神社を参拝し、菊の御紋章を賜ったという伝承があります。また、延元2年(1336年)には皇太子が行啓し、この地に行宮を設けたという記録も残されています。
楯原神社は北朝の兵火によって一度焼失しましたが、文明13年(1481年)に旧社地から現在の社地に遷座されました。その後、元和年間(1615~1623年)には暴風雨による破損があり、現社地に新たに社殿が営まれ、再び遷祀されました。社殿は平成22年(2011年)に大阪市の有形文化財に指定されています。
| 名称 | 式内楯原神社 |
|---|---|
| 読み方 | しきないたてはらじんじゃ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 06-6709-0232 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》武甕槌大神,大国主大神,孝元天皇,菅原道真,赤留姫命 |
|---|---|
| 創建時代 | 崇神天皇6年(紀元前91年) |
| 創始者 | 大々杼名黒 |
| 文化財 | 氏神天神社(市指定文化財) |
| ご由緒 | 式内楯原神社の創建は崇神天皇6年(紀元前91年)に遡ります。この時、国造である大々杼名黒に対し、「国平大神と建甕槌命を同じ殿に祀るのは畏れ多いので、別殿を造営して奉斎するように」という詔が下されました。その結果、建甕槌命を祀る「楯之御前神社」と、国平の鉾を祀る「鉾之御前神社」が創設されました。この時に行われた鎮座祭は崇神天皇7年9月2日に実施され、同9年には神領地が定められました。
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