まのぐう
真野宮新潟県 弥彦駅
参拝自由
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
真野宮 順徳天皇を奉祀しています。
真野宮 順徳天皇を奉祀しています。
真野宮 順徳天皇を奉祀しています。
真野宮 順徳天皇を奉祀しています。
真野宮 順徳天皇を奉祀しています。
真野宮 順徳天皇を奉祀しています。
佐渡市真野にある順徳天皇を祀る神社。
鎌倉時代初期に後鳥羽上皇が鎌倉幕府の執権北条義時を追討する院宣を下した承久の乱において第三皇子であった順徳上皇は積極的に賛同したために幕府軍に敗北後佐渡国へ配流されてしまいました。順徳上皇は佐渡の真野で暮らし生涯を終えました。火葬された真野御陵を管理するために建てられた真輪寺がこの神社の元になりました。明治時代になると廃仏毀釈の影響で仏教寺院から神社になり今の真野宮となりました。
天皇を祀っているという事もあり社殿は大きく壮観。境内には寺院時代の石仏塔やさらに昔の古墳跡があるなど佐渡の歴史を感じさせてくれます。御朱印を頂くことができ神社の方に北海道から観光で来たと言うと境内の狛犬が北海道の方から寄進されたものだと教えてくれたり北海道と佐渡の繋がりを教えてくれました。
真野宮の隣には佐渡歴史伝説館があります。アンドロイドの順徳上皇や慶子王女がいるのですごく楽しめますよ。
社殿
えぞ塚
佐渡歴史伝説館
皇太子殿下参拝記念樹
昭魂碑
真輪寺一石五輪塔
順徳上皇行主所跡
真野川
門
鳥居
佐渡歴史伝説館の順徳院
順徳天皇御火葬塚の管理をしていた真輪寺が起源。
明治の廃仏毀釈で真輪寺は廃寺、僧は神職となり神社となった。
1874年真野宮と改称した。
1221年承久の乱に敗れた順徳天皇は佐渡へ流され1241年に崩御。
真野山で火葬され、遺骨は1242年藤原康光が京都へ持ち帰り後鳥羽天皇墓所の傍らに埋葬されている。
拝殿
拝殿
本殿
神門
真輪寺一石五輪塔
順徳上皇行在所跡
順徳上皇行在所跡
西古墳
真野御陵(順徳天皇御火葬塚)
真野宮はもと真輪寺といって、国分寺末寺であったため御火葬塚の直接の管理をしていました。明治元年廃仏毀釈により寺僧は神職となり、本堂を改修し宮とし、明治7年県社に認められ「真野宮」と改称しました。現在の社殿は大正9年の竣工で、昭和17年の700年祭には、鳥居、神橋、神門、社務所を新設して参道を広げ神域の拡張されました。社宝として、順徳天皇御遺品と伝える短刀、硯、扇子、釣花生などが残っていますが、ご神体とされていた順徳天皇の木像は、明治7年、後鳥羽天皇とともに御祭神となっている大阪府の水無瀬神宮にご遷幸されました。今は御霊代として明治天皇御下賜の御剣が奉安されています。
順徳天皇は後鳥羽天皇の第3皇子として、建久8年(1197)ご誕生され、承元4年(1210)14歳で即位につかれ、第84代の天皇となられました。文武両道に優れ、著書も多く和歌にもすぐれていて、「順徳院御百首」一巻は佐渡在島中に詠まれたものです。又、日本人なら殆どの人が知っている、小倉百人一社の中でも覚えやすく一番有名な『ももしきや 古き軒端の忍ぶにも なほあまりある むかしなりけり』は、此の順徳天皇の創られた歌です。
承久の乱は、かねて源頼朝が諸国に守護地頭を置いて、政権を幕府が掌握していることを憂憤された後鳥羽上皇の発願によるもので、鎌倉幕府は、実朝が殺され源氏の血統は絶えたにもかかわらず、北条氏は幼少の将軍を立てて執権となっていたので、義時追討の院宣が下されました。そこで順徳天皇は承久3年(1221)に位を皇太子懐成親王(仲恭天皇)に譲り、父後鳥羽上皇と北条義時追討の兵を挙げましたが敗れ、24歳の若さで佐渡に配流となりました。在島22年、ついに帰京の願いはかなわず、46歳の時絶食して真輪寺(現在の真野宮)「阿弥陀堂」で崩御されたと伝えられています。
名称 | 真野宮 |
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読み方 | まのぐう |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0259-55-2063 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》順徳天皇
《配》菅原道真,日野資朝 |
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ご神体 | 順徳天皇火葬塚 |
創建時代 | 明治七年(1874) |
本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 真野宮はもと真輪寺といって、国分寺末寺であったため御火葬塚の直接の管理をしていました。明治元年廃仏毀釈により寺僧は神職となり、本堂を改修し宮とし、明治7年県社に認められ「真野宮」と改称しました。現在の社殿は大正9年の竣工で、昭和17年の700年祭には、鳥居、神橋、神門、社務所を新設して参道を広げ神域の拡張されました。社宝として、順徳天皇御遺品と伝える短刀、硯、扇子、釣花生などが残っていますが、ご神体とされていた順徳天皇の木像は、明治7年、後鳥羽天皇とともに御祭神となっている大阪府の水無瀬神宮にご遷幸されました。今は御霊代として明治天皇御下賜の御剣が奉安されています。
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体験 | 御朱印博物館祭り有名人のお墓 |
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