御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年10月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年10月
深泥池地蔵堂ではいただけません
広告
御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
-

おすすめの投稿

投稿をもっと見る(1件)
名称深泥池地蔵堂
読み方みどろがいけじぞうどう

詳細情報

ご本尊安産地蔵尊
宗旨・宗派
ご由緒

京の六地蔵の一つが深泥池地蔵である。
「源平盛衰記」巻六によれば、保元年間(1156〜59)西光法師が都街道の入り口に、六体の地蔵尊を安置し、廻り地蔵と名付けた。即ち四宮河原(東街道)、木幡の里(奈良街道)、造道(鳥羽街道)、西七条(山陰街道)、蓮台野(周山街道)とともに深泥池(鞍馬街道)がえらばれたとのことである。
近世は六地蔵めぐりの定着により、その霊場の一つとなってからは、朝野の信仰にあつめるに至った。
八尺ほどある地蔵菩薩立像で、平安期の小野篁公作と伝えられたものであったが、明治初年(1869)の廃仏毀釈のため法難にあい、賀茂の神領外へ追放され、今の寺町領の上善寺(現鞍馬口地蔵)に祀られている。時を同じくして宝池寺(現浄福寺の前身)も廃寺となり、山を越えて幡枝の浄念寺に預けられた。
明治以降、深泥池村の守護神がいなくなったためか、明治二年と十六年に二度の火災に見舞われた。しかし勤勉な村民の努力によりやっと復興の目処がたつと同時期に、たまたま京五条の十念寺経由で西光組から当村の事情を察知し、二代目地蔵菩薩が奉納された。明治二十八年五月(1895)である。
御本尊は、御身六尺三寸の立像で、その昔伊勢の海に漂流していたこと。又、奇しくも小野篁公作といわれており、当村は地蔵菩薩に深く御縁があり、村民の信仰心の厚さが窺われる。地蔵堂正面に御詠歌額が掲げられている。

「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ