にっこうふたらさんじんじゃちゅうぐうし
日光二荒山神社中宮祠栃木県 間藤駅
4月〜10月
午前8時~午後5時
11月〜3月
午前9時〜午後4時
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 70台分あり |
二荒山神社とその別宮を巡った後にこちらを参拝。
大体15-20キロくらいのようなので、せっかくだからいってきました。
有名ないろは坂を通って中禅寺湖を目指します。
公衆🚽のある方から向かいましが、正参道は目の前は中禅寺湖が向かっているので、中禅寺湖の眺めを堪能したのちにこちらから改めてお参り。
立派な社号標
参道沿いには何故か某アニメスタジオのト◯ロが御鎮座
撫牛
てっきり菅原道真公をお祭りしてるのかとおもいきや、そうではない様子
楼門
願いが叶う金の鱒
二荒山の本社では金のウサギやネズミ竜がいましたが、こちらでは金マス
石段の参道を進むと社殿が
修理のため色々と組まれてますが。参拝自体はこちらかも可能👏
奥宮への登山口
社務所であ 手続きをしたらここから登っていきます
片道3時間くらいらしい
13時をとうに過ぎており、この後古峯神社にも行かねばならないので、今回は奥宮はパス🙅
本殿の様子
金運・健康・良縁・勝運の守護である金のオロチ🐲←ある意味オールマイティな神様じゃね??笑
本社には金のウサギとネズミと龍がいて、こちらには金の魚とオロチとで、日光二荒山神社にはきんきらりんの動物がいっぱいです笑
こんな謂れがあるのね。戦場ヶ原って古戦場後かと思ってましたが、神様同士の決闘の場だったのね😅
中宮祠参拝場所で御朱印と
ついでに中禅寺湖とも一緒に😊
日光二荒山神社は太古、秀峰二荒山(男体山2484m)を神鎮まり坐す御神体山として尊崇したことから奉祀された御社である。
御祭神は二荒山の大神と申し大己貴命(大国主命)、妃神の田心姫命、御子神味耜高彦根命三柱の大神をお祀りし、延喜式名神大社、下野国一の宮と崇められ国幣中社に列せられた名社である。
主神大己貴命は国土経営、産業開発、凡ての産業を司り福の神と称へられ、農業、醸造、婚姻、温泉、医薬の祖神として遍ねく国土国民を守り幸へ給う神で、妃神、御子神と共に御神徳いよいよ高く広く輝き給うのである。男体の御山に大己貴命、女峰の御山に妃神、太郎の御山に御子神が鎮まりまして、親子三神大空に聳えて和気あいあい団欒の和やかさを拝すれば自ら景仰の思ひ新たなるものがある。 当社の境内地は面積凡そ三千四百町歩に及び伊勢神宮に次ぐ広大な境域で、日光連山の主峰男体山を始め、女峰山、太郎山、大真名子山、小真名子山、前白根山、奥白根山の諸山は夫々神体山として気高くそそり、鬱蒼たる原始林に囲まれ華厳滝、白雲滝、般若、方等七滝等名瀑がどうどうと千古の神韻を轟かしている。此等の地域は悉く神域たると共に日光国立公園
勝道上人による天応2年(782年)の男体山登頂ののち、延暦3年(784年)に建立されたという。この時、同時に中禅寺も二荒山神社の神宮寺として創建された。古くは「男体中宮」「男体権現」「中禅寺権現」とも称された棟札の写しによれば、永長元年(1096年)、久寿2年(1155年)、永暦2年(1161年)の社殿造営が確認されているその後、現在の社殿が元禄12年(1699年)に造営された。
当地は古くから男体山登山の表口とされ、現在も登拝口(登山口)が本殿横に位置している。入り口の登拝門は開山時(5月5日-10月25日)のみ門が開く。7月31日-8月8日の登拝祭の間は、中宮祠本殿から奥宮に神像が遷される
住所 | 栃木県日光市中宮祠2484 |
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行き方 | JR日光線日光駅・東武日光線東武日光駅から東武バス湯元温泉行きで約55分「二荒山神社前」下車、徒歩1分
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名称 | 日光二荒山神社中宮祠 |
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読み方 | にっこうふたらさんじんじゃちゅうぐうし |
参拝時間 | 4月〜10月
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参拝料 | 宝物館 500円 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0288-55-0017 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.futarasan.jp/index.shtml |
お守り | あり |
SNS |
ご祭神 | 二荒山大神 (大己貴命(おおなむちのみこと) |
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ご神体 | 男体山 |
創建時代 | 延暦三年(784) |
創始者 | 勝道上人 |
本殿 | 三間社流造 |
文化財 | 本殿、掖門、透塀、拝殿、登拝口鳥居(国の重要文化財) |
ご由緒 | 勝道上人による天応2年(782年)の男体山登頂ののち、延暦3年(784年)に建立されたという。この時、同時に中禅寺も二荒山神社の神宮寺として創建された。古くは「男体中宮」「男体権現」「中禅寺権現」とも称された棟札の写しによれば、永長元年(1096年)、久寿2年(1155年)、永暦2年(1161年)の社殿造営が確認されているその後、現在の社殿が元禄12年(1699年)に造営された。 当地は古くから男体山登山の表口とされ、現在も登拝口(登山口)が本殿横に位置している。入り口の登拝門は開山時(5月5日-10月25日)のみ門が開く。7月31日-8月8日の登拝祭の間は、中宮祠本殿から奥宮に神像が遷される |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印博物館お守り重要文化財祭りアニメなどサブカル札所・七福神巡り伝説 |
Youtube | |
概要 | 日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は、栃木県日光市にある神社。式内社(名神大社)論社、下野国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 宗教法人登記上の正式名称は「二荒山神社」であるが、宇都宮市の二荒山神社(宇都宮二荒山神社)との区別のために地名を付して「日光二荒山神社」と称される。古くは「日光三社権現」と称された。 二荒山神社の境内は東照宮、輪王寺の境内とともに「日光山内」として国の史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 勝道上人像 霊場としての日光の始まりは、下野国の僧・勝道上人(735年-817年)が北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に天平神護2年(766年)に紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされる。そして二荒山神社の創建は、上人が神護景雲元年(767年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされる。この祠は現在の別宮となっている本宮神社にあたる。上人は延暦元年(782年)二荒山登頂に成功し、そこに奥宮を建てて二荒修験の基礎を築いた。その後、神仏習合の霊場として栄えることとなったと伝えられる。 なお、社伝などでは上記のように勝道上人が開...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「日光二荒山神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%97%A5%E5%85%89%E4%BA%8C%E8%8D%92%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102254181 |
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