ふかみじんじゃ
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21.05.23。大和天満宮様より徒歩10分。大和市深見の住宅街奥に鎮座。御祭神は武甕槌神(たけみかずちのかみ)、建御名方神(たけみなかたのかみ)、闇龗神(くらおかみ)。当社の創始は古く総國風土記によれば、今より約千五百年前の人皇第二十一代雄略天皇二十二年三月の創祭とある。後醍醐天皇の御代に制定された延喜式神明帳に相模國十三座の社と定められ官社として扱かわれ國幣を奉られた。(後略)
〜当社リーフレットより〜
広い神域に樹齢の長い樹木が多くて静寂さの中、悠久の歴史を感じさせる神社様でした。
西参道鳥居。
社号標石。
正面入り口手前にエノキ。
右手側に駐車場。
正面境内入り口から社殿遠景。
社殿方向。
御由緒。
手水舎。
白い足形に立つと自動で水が出ました。
拝殿。
脇障子
本殿。
靖国社 石碑。
靖国社。
元厚木航空隊の中に祀られてあった厚木空神社を終戦時この地に移し祀る。
本土防衛の為に戦死された英霊及び地元英霊の合祀。
御倉稲荷神社。
拝殿前から振り返り。
社務所。
直書きの御朱印を拝受しました。
神楽殿。
東参道側の社号標石。
東参道。
東参道鳥居。
狛犬。
北参道鳥居。
相模國十三座の社号標石。
北側参道途中の狛犬。
駐車場の脇に《富澤稲荷》
大和駅より少し離れたところにある神社。
地元でありながら、こんなに敷地が広い神社があったとは知らず…。笑
相模13社の一つであり大和市では数少ない常駐型の神社の一つです。
駐車場あります。
シンプルな御朱印
入り口の鳥居。他に何箇所かに小さな鳥居があります。
本殿。
左は稲荷神社、右は厚木基地の中にあった厚木空神社を終戦を機にこちらに移されたそうです。
枝垂れ桜。切り株のイスも良い感じです。桜満開の時に訪れたいですね。
好きな斜めアングル
木彫りが細かくあしらってます。
歴史
深見神社の創始は古く、総國風土記によれば今より約千五百年前、人皇第二十一代雄略天皇二十二年三月の創祀とあり、朝廷をはじめ、歴代國司より奉幣の事が記されて有り、更に醍醐天皇の御代に制定された延喜式神明帳に相模國十三座の社と定められ、官社として扱われて國幣を奉られた。
深見は和名抄所載の布加美であって、古は深海又は深水と書き、相模原の東辺境川流域一帯に亘る地を総称した。太古この附近一帯は相模湾が深く湾入し舟筏を以て交通したことが推測され、今ここを古深見入江と仮称している(県史蹟調査員石野瑛氏説)。
当社の縁起によると、武甕槌神、東國鎮撫のために常陸鹿島に在られた時、舟師を率いてここに進軍され、伊弉諾神の御子、倉稲魂神、闇龗神の二神をして深海を治めさせられた。両神は深海を治めて美田を拓き、土人を撫して郷を開かれた。即ち深見の名の起った所以である。今境内にある御倉稲荷神社は両神を祀る所であり、里人は五穀豊穣をはじめ、縁結び・家内安全・商売繁昌・学問等の神と敬っている。
景行天皇の御代、皇子日本武尊御東征の時、足柄峠を越え古相模湾の岸を経てここに軍を駐められ、この入江から舟師を出されたと云う。今郷内にある薙原、石楯尾及御難塚の地名は尊の御遭難の地と伝称されている。
後屡々官使の来反があった。深見(深水)、瀬谷(店屋)、草柳(草薙)、蓼川、久田(宮田)等から米、粟、鯉、鰻、鮒、蓮根、菱の実、独活、善活等を進貢し又は其の饗に充て、又薬草を採取して主薬部に献じた事皆古書に伝えている(伴信友書写総國風土記による)。
年移ること千五百余年、其の間世々里人の尊崇厚く、渋谷庄司重国、佐々木源三秀義の昔から降っては山田伊賀守経光を深見四万坂に討滅した。太田道潅は其の出陣に際して社前に戦勝を祈り、坂本小左衛門重安は徳川家康の大阪陣に従軍するに当って武運長久を祈願して田を寄進し(鹿島田と云って今残る)、徳川幕府の寺社奉行坂本内記重治は屡々参詣して社殿を造営し、相模國十三座の一深見神社となる社号標を建立した。爾来坂本家は明治維新に至る迄代々当社を崇敬し屡々参拝の上奉幣した。
明治六年十二月、太政官布告によって郷社に列せられたが同八年、隣地仏導寺の出火に類焼し壮厳な社殿工作物重要古文書忝く烏有に帰し逐に神域荒廃して公称社格不詳となった。明治四十二年、村内諏訪の森に鎮座の諏訪神社を合併し茲に我國建國史上御縁深き二神は御同列に奉祭され、深見神社として御神徳益々赫かし、この地方遠近の崇敬者より御神徳を敬仰されている。明治の初めから社殿造営、神社復興の議は有志によって何回となく企てられたが実現されなかった。昭和十五年九月三日炎上以来、実に五十五ケ年、社殿造営郷社復活の議が起り、深見神社奉賛会は組織され氏子崇敬者の熱情は逐に昭和十六年十一月十五日に壮厳なる本殿、拝殿、神饌舎、玉垣、末社、社務所、鳥居、手水舎等々を建立し、同十七年三月二十五日、改めて郷社に列格した。
平成二十四年三月本殿再建七十年の節目を迎え社号標石建立と共に延喜式神名帳登載の御祭神闇龗神を御倉稲荷神社から本殿へ合祀した。
尚境内にある靖國社はもと厚木航空隊内の守護神として同隊の戦死者を祀っていたが、終戦により取除きを命ぜられ深見神社に移築し、深見部落戦没者全員を合祀し昭和二十六年四月七日、鎮座祭を執行し摂社とした。
名称 | 深見神社 |
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読み方 | ふかみじんじゃ |
通称 | 鹿島さま |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 046-261-2539 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.fukamijinjya.com/ |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 闇龗神・武甕槌神・建御名方神 |
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創建時代 | 雄略天皇二十二年(478) |
ご由緒 | 深見神社の創始は古く、総國風土記によれば今より約千五百年前、人皇第二十一代雄略天皇二十二年三月の創祀とあり、朝廷をはじめ、歴代國司より奉幣の事が記されて有り、更に醍醐天皇の御代に制定された延喜式神明帳に相模國十三座の社と定められ、官社として扱われて國幣を奉られた。
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Wikipediaからの引用
概要 | 深見神社(ふかみじんじゃ)は、神奈川県大和市深見に鎮座する神社。西暦927年(延長5年)の『延喜式神名帳』に記載されている相模国の延喜式内社十三社の内の一社(小社)とされる。また、江戸時代の『新編相模国風土記稿』では「鹿島社」と記されている。 |
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アクセス | 交通[編集] 相鉄線および小田急線「大和駅」より東へ徒歩10分〜15分程。 |
行事 | 祭事[編集] 以下は祭事における伝統的な固定日付を掲載している。 1月1日 - 歳旦祭 2月3日 - 節分祭 9月15日 - 例大祭 (※現在は敬老の日の前日に行われている[1]) ^ 引用エラー: 無効な タグです。「saiji」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません |
引用元情報 | 「深見神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B7%B1%E8%A6%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102010381 |
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