えだじんじゃ
江田神社宮崎県 宮崎駅
参拝時間 9:00~17:00
神符守札授与所受付時間 9:00~17:00(受付時間は、時期により変更になる場合があります。)
御祈祷受付時間 9:30~11:30 13:30~15:30
(御祈願は事前のご予約をお願いいたしますとの事)
えだじんじゃ
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【日向國 式内社巡り】
江田神社(えだ~)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町字産母にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は伊邪那岐尊、配祀神は伊邪那美尊。かつて「産母(やぼ)二柱大明神」、「産母さま」と称された。また<禊(みそぎ)発祥の地>、<祝詞(のりと)発祥の地>としても知られている。
創建は不詳。『古事記』、『日本書紀』には伊邪那岐尊が黄泉から帰還して禊を行ったとの記載があるが、禊を行った場所について『古事記』では「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」、『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記されているが、この「阿波岐原・檍原(あわきがはら)」が当地であると伝えられている。また祈年祭などの祝詞の口上でも「かけまくもかしこきイザナギノオオカミ、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」と読み上げられ、禊発祥の地であるとともに祝詞発祥の地であるとも言われる。
国史の初見は『続日本後紀』827年条で官社に預かったと記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 宮埼郡 江田神社 小」に比定されている。なお、境内から10世紀前後の須恵器が出土していることから、創建当初の場所に現在も鎮座していると考えられている。中世は京都の『清滝宮勧進神名帳』や『戒壇院公用神名帳』(1479年)にも記載が見られ、日向國を代表する神社であったとみられている。江戸時代は幕府領伊東氏飫肥藩預地であったが、1662年の外所(とんどころ)地震の大津波により社殿を喪失し衰退した。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR日豊本線・蓮ヶ池駅の東方2kmちょっとの、阿波岐原森林公園・市民の森の中、平地にある。境内西側には県道11号線が通っていてアクセスが良く、境内の東側すぐのところにフェニックス・シーガイア・リゾートがある。境内の境界は曖昧だが、南北に細長い境内は入口の鳥居から参道までが200mぐらいある。緑豊かな参道と大きな社殿のみでシンプルな造り。
今回は、日向國の式内社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、公園の中だからか、フェニックスリゾートの観光客がいるのか、境内はそんなに大きくないにもかかわらず、多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>(社号標は左灯籠の後ろにある)。
一の鳥居をくぐって進むと、参道左側に現れる謎のモニュメント。「宮崎=太陽」のイメージを具現化したものなのかな?(。´・ω・)?
参道途中にある<二の鳥居>。
参道の右側に現れる1本目の<御神木>。当社では御神木が2本ある。
こちらはクスノキの古木で、根上がり部分に瘤があるのが特徴。
参道左側の<手水舎>。
参道左側の<臨時授与所>。御朱印はこちら。
<拝殿>全景。左右に翼殿が付いた立派なもの。
<拝殿>正面。
拝殿後ろの<本殿>。
臨時授与所の後ろにある2本目の<御神木>。オガタマノキの古木。
参道の右手にある、注連縄で囲われた土地。<祓所>かな。
帰り道、駐車場から太陽のモニュメントを見ると、なんと「みそぎの碑」とある。さっき参道から見たのは裏面だったみたい。
ただ、この造形を見て、「みそぎ」を連想するのは相当難易度が高いかと。。。(^_^;)
記紀旅で初めて参拝
先日みそぎ御殿の投稿にみそぎ池も一緒に投稿しましたが江田神社と併せた方が良いので同じ写真載せます🙏
宮崎県屈指のパワースポットに早朝に訪れた為、境内には凛とした空気が漂っていて身が引き締まる適度な緊張感の中参拝させていただけました。
駐車場にボランティアのガイドさんがいて、神話の時代のお話等聴かせてくれくれながら境内の案内をしていただけます。
江田神社は、太古の創建で、創立年代は不詳ですが、伊邪那岐尊が禊祓霊跡伝えられ、その縁起の最も深き社です。
神代の昔、伊邪那岐尊は、その妻の伊邪那美尊がお亡くなりになったのを嘆かれ、その後を慕ってお入になった黄泉国から逃げ戻り「筑築の日向の橘の小戸の阿波岐原」に下られて御身の汚を禊祓、清められます。その際、御降誕あらせられたのが天照皇大神、月讀尊、素佐嗚尊と住吉三神などの神々です。
その禊祓の地は、上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱とされ、中瀬で禊祓されたと伝えられています。その中瀬は、江田神社の500mほど北東にある「みそぎ池」とされています。
後、入江を開墾して江田と称して創建されたと考えられています。平安時代中期に作られた「和名類聚抄」の「宮崎郡条」に見える江田郷に鎮座の記録が残っており、「続日本後紀」の承和4年(837)8月1日条くだりでは、「日向國に児湯郡都濃神(都農神社)妻神(都萬神社)宮崎郡の江田神(江田神社)諸縣郡霧嶋岑神(霧島神社)並びて官社を預る」とあり、官社に列したことが記されています。仁寿元年(851)10月に従四位下げを授けられ、貞観元年(859)には従四位上に進められます。その後、天禄元年(970)までに天変地妖兵革等の年毎に叙位8回に及び、神階は最高位の正一位に昇階します。醍醐天皇の御代、延長5年(927)に編纂された「延喜式神名帳」にて「日向国式内社四座」の一社として登載され、祈年・新嘗の奉幣を受けました。寿永2年(1183)正月に伊邪那美尊を配祀し、産母二柱大明神と称し、里人からは産母様として親しまれ、社領30余町を有していました。日向国を代表する神社として社勢しゃせいを誇りました。
駐車場の片隅には「みそぎの碑」が建てられています。そのそばには宮崎の神話について説明した解説版があります。
社殿まで続く参道は、一の鳥居から二の鳥居まで両側が真っ直ぐに伸びる樹木に覆われて美しい景観を作っています。参道に生い茂るのは常緑樹の照葉樹で太陽の光に葉が照らされ光り輝き、期待感が増します。
神社駐車場からでは一の鳥居と二の鳥居の間から参道に出てくるようになるので、一の鳥居まで戻り、一の鳥居から参拝しました
社殿に向かって参道を歩いていると注連縄が巻かれた大きなクスノキが右手に見えます。江原啓之氏が「とてもパワーがある木」だと言ったことから注目を集め最近になってご神木となりました。
このご神木に触れると大きなパワーが授かると人気で、特に木の下のほうにある大きなコブを撫でると強力なパワーが得られると伝わっています。沢山の参拝者が撫でるため、コブは磨き上げられたようにピカピカに光っていてその人気ぶりがわかります。
以前はこの奥の鳥居を抜けて御池まで行けたようですが今は立ち入り禁止になってるようです。
みそぎ池は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉国で穢れた体の禊を行った場所で「禊発祥に地」とされています。ここで伊邪那岐命が、右目を洗うと天照大神、鼻を洗うと月読尊、左目を洗うと素盞鳴尊が生まれたのです。
池の周囲には御幣が立てられ、神域になっていることが分かります。
「和名抄」宮崎郡条に見える江田郷に鎮座する古社で、承和四年(837)八月朔日に都農神・妻神・霧島岑神とともに官社に列しており、平安期にはすでに創建されていたことがうかがえる。
鎮座地一帯は古来いわゆる日向の橘の小戸の阿波岐原として、伊邪那岐大神の禊祓の聖蹟と伝承されており、命の上つ瀬は瀬速し下つ瀬は瀬弱しといわれ、中つ瀬で禊祓いされた、その中つ瀬は、本社から二町位東の海中である。
寿永年間(1182~1184)伊邪那美尊を配祀し、産母二柱大明神と称し、里人からは産母様として親しまれ、社領三十余町を有していた。仁寿元年(851)十月従四位下を授けられ、貞観元年(859)従四位上に進められ、その後天禄元年までに天変地妖兵革等の年毎に叙位八回に及び、正一位に昇階ありと伝える。醍醐天皇の延喜年間に於いて、延喜式内社日向四座の一社として「延喜式神名帳」に登載され、祈年・新嘗の奉幣を受けた。しかし、寛文年間に神社制度の変革をきたし、ついに一村落の産土神と同様の取扱いを受けるに至った。
明治六年五月二十五日社格は県社に列し、同四十年二月九日神饌幣帛料の供進を指定され今日に至る。
住所 | 宮崎県宮崎市阿波岐原町産母127 |
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行き方 | 【車】 JR日豊本線宮崎駅から約15分
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名称 | 江田神社 |
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読み方 | えだじんじゃ |
通称 | 産母様 |
参拝時間 | 参拝時間 9:00~17:00
御祈祷受付時間 9:30~11:30 13:30~15:30
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0985-39-3743 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://edajinja.com/ |
おみくじ | あり |
SNS |
ご祭神 | 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと) 伊邪那美尊(いざなみのみこと) |
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本殿 | 本殿(流造) 拝殿(入母屋造) |
ご由緒 | 「和名抄」宮崎郡条に見える江田郷に鎮座する古社で、承和四年(837)八月朔日に都農神・妻神・霧島岑神とともに官社に列しており、平安期にはすでに創建されていたことがうかがえる。
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体験 | 祈祷御朱印お守り祭り伝説 |
概要 | 江田神社(えだじんじゃ)は、宮崎県宮崎市阿波岐原町(あわきがはらちょう)にある神社。式内社で、旧社格は県社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 神話[編集] 『古事記』『日本書紀』には、伊邪那岐尊が黄泉から帰還して禊を行ったという記述がある。禊を行なった場所について、『古事記』では「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」、『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記すが、この「阿波岐原・檍原(あわきがはら)」が当地であると伝えられている。この地名は、全国の神社であげられる「祝詞」の冒頭でも「かけまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊ぎ祓へたまひし時に」と読み上げられている。そのため「御祓い発祥の地」とされる[1]。 当社近くの「みそぎ池」が伊邪那岐尊が禊を行った地と伝えられ、かつては入江であったが、後...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 祈年祭 (2月17日)[1] 大祓祭 (6月30日) 特殊神事として茅の輪潜りがある[2]。かつては前夜に渚で浜禊をする習わしがあった[3]。当日は神輿渡御ののち、神事として神職・氏子・参拝者の順に茅の輪潜りが行われる[3]。 例大祭 (11月22日) 新嘗祭 (11月23日) 春の社日祭・秋季例大祭では、「江田神楽」が奉納される。神楽の歴史は古く、慶長17年銘の神楽面が残っている。 ^ 祭事は境内説明板による。 ^ 境内説明板。 ^ a b 『宮崎県の地名』江田神社項。 |
引用元情報 | 「江田神社 (宮崎市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B1%9F%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%B8%82%29&oldid=103183623 |
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