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ねもとやまじんじゃ

根本山神社(里宮)
栃木県 小俣駅

根本山神社(里宮)について

根本山信仰の野州飛駒口側の拠点。
十二山根本山神社の里宮・遥拝所。

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くし
くし
2025年02月25日(火) 13時08分11秒
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すっかり夕方になってしまったのですが、この日、駒形神社と並んで飛駒探訪のもう一つのメイン目的地であった、根本山神社の里宮に着きました。
根本山は関東の山岳信仰として重要な霊山ですが、本社は本格的登山スキルがないと登拝できないので、せめて里宮だけでも拝んでおこうかと思いまして⛰️🙏😖

桐生側の里宮は社家の藤倉家が存続してるのですが、飛駒側の小野家はすでに祭祀はしておらず無人社化😫 神社の管理は佐野市になってるらしい。
御札がありましたが領布場所はわからず💫 ひょっとしたら根古屋森林公園の管理事務所で扱ってるかもしれないので、御朱印有無も含めて声掛けしてみれば良かったのですが、着いたのが4時過ぎだったので今回は断念😞

ちなみに根本山上の本宮には昭和三年に火事で焼失するまで社務所があり、なんと神職も住んでたらしい❗😱💦
ネットで見つけた昭和63年頃の古い記事ですが、十二山根本山神社の社務所で生まれ育った(⁉️)社家さんの甥が、当時の朝日森天満宮の宮司さんだったらしく、当時の例祭をこの宮司さんが執り行ったとか。
なので、もしかしたら朝日森天満宮でお札領布してるのかもしれませんが・・・まぁ朝日森の公式HPを見ても根本山神社のことは全く触れられてないので、たぶん現在は関与してないんだろうな😵w

そのうち現在も有人社の桐生側の里宮にも行ってみたいと思います。そちらは御朱印自体は存在することは掴んだ🔍️💡 ただし根本山開山祭の日だけ領布みたいな話もあって常時受印できるかは現状不明💫
ちなみに桐生側の里宮も見事にホトカミに事前登録がなかったので追加登録しときました😩✏️ しょせん田舎神社の扱いなんて有人社でもこんなもんよ😂w

根本山神社(里宮)(栃木県)

飛駒三山の一つ、東に聳える要谷山の麓にある根古屋森林公園内に鎮座
左が神社で、右が公園の管理棟

根本山神社(里宮)(栃木県)

正面が要谷山
一応標高約400mの山ですが直近なのであまり高く見えず⛰️💫
山頂は要谷山城跡🏯 管理棟の辺りが根古屋居館跡🏡

根本山神社(里宮)(栃木県)

神社周辺も石垣ですが、これも城跡遺構なのか、公園整備に伴う現代のものなのか不明❓️

根本山神社(里宮)(栃木県)

根本山神社里宮
意外に小さくてちょっと拍子抜け💧 まぁ廃寺になった修験寺の大学院がメインだったようだし、どうも神仏分離後は駒形神社が里宮の権能を引き継いだっぽいのでこんかもんかな💨

根本山神社(里宮)(栃木県)

手水舎

根本山神社(里宮)(栃木県)

重要文化財になってる天明鋳物の龍の水盤🐉
根本信仰の隆盛を物語る遺物

根本山神社(里宮)(栃木県)

樹種も樹齢も不明だがかなり太い御神木🌳
この奥の空地に大学院があったと思われる

根本山神社(里宮)(栃木県)

根本山神社里宮

根本山神社(里宮)(栃木県)

額も天明鋳物製のようです

根本山神社(里宮)(栃木県)

御札があった💡
飛駒側の里宮は無人社ですが、どこで領布してもらえるんだろ❓️

根本山神社(里宮)(栃木県)

境内社
こちらは大山祇神の本地仏の薬師如来を祀った薬師大神

根本山神社(里宮)(栃木県)

祭祀が絶えてるため中は雑然としてる😣

根本山神社(里宮)(栃木県)

根本山を遥拝⛰️🙏・・・といっても10km先なので見えないんですけどね💨w
写ってるのは飛駒三山ののこぎり山です😅

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根本山神社(里宮)の基本情報

住所

栃木県佐野市飛駒町5184

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

根本山神社(里宮)

読み方

ねもとやまじんじゃ

ホームページhttps://akanekopn.web.fc2.com/yama/sanyaken/sanyaken74.html

詳細情報

ご祭神《主》大山祇命
《配》薬師大神(薬師如来)
ご神体

根本山

創建時代

天正十八年(1590年)

創始者

小野高貞

文化財

水盤 (佐野市指定重要文化財)
大火鉢 (佐野市指定重要文化財)
茶釜 (佐野市指定重要文化財)

ご由緒

役行者が富士山から東北を見ると、瑞雲たなびく山が見えたのでこの飛駒の地にやって来た。さらに雲の根本に奇峰を見つけ根本山と名付けた。
後に弘法大師が関東廻錫の際に根本山に登って、この地が将来神爾の霊場になると予言したと伝わる。
かの源義経も奥州平泉に落ちて行く途中で、飛駒から根本山に登って野宿し、山神 九郎王子から巻物を授けられた。
このような伝承が伝わっているが、確実に記録を遡れるのは天正元年(1573)からで、天台宗(日光修験)の修験者 良西が根本山を開山し根本山信仰が始まる。当初は上州桐生側の登山口である梅田口が開かれ、大正院という里宮と遥拝所が置かれた。
天正十八年(1590)佐野氏家臣の系譜を引く小野高貞が、京都聖護院の令旨をいただき、野州側の登山口でもある飛駒にも要谷山大学院(大覚院とも表記)という里宮・遥拝所を開いた。
後に上州側は山頂西側にある「根本山神社本社」、野州側は山頂東側にある「十二山根本山神社」が信仰の中心になり、各々の里宮と見なされたようである。
神仏習合時代は、大正院・大学院ともに天台宗系の根本山別当本山修験道であったが、明治の神仏分離令でそれぞれ根本山神社里宮となった。
根本山信仰も衰退とともに無人社化。現在は周辺の根古屋森林公園とともに佐野市の管理となっており、すぐ前に森林公園管理棟がある。

【小野城(要谷山城・飛駒城)跡】
佐野氏家臣の小野高吉により築城。
天文元年(1532)の頃、佐野越後守義照が居城し、その後、足利長尾氏家臣の小曽根筑前守によって落城したといわれている。
山頂が城跡、当社付近が居館であった根古屋館跡で、落城からおよそ60年後に、小野高貞が居館跡付近に根本山神社里宮である大学院を創建。
根本山信仰自体が足利長尾氏・太田由良氏に滅ぼされた、佐野氏分家である桐生氏残党が創始に深く関わっているので、破れた側の桐生氏・佐野氏残党が宗教で再起を図ろうとしたのが見て取れる。あるいは修験道を利用した対足利への山岳戦を企図していたのかもしれない。
山中には金比羅神社と浅間神社の石祠があり、この二社に因む「こんぴらの道」「せんげんの道」飛駒の池月・磨墨伝説に因む「いけづきの道」「するすみの道」の四本の登山道が張り巡らされている。

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