にゃくいちおうじじんじゃ
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楽しみ方若一王子神社のお参りの記録一覧
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大町市への所要を終えてから参拝してきました。だいぶ以前にお祭りに呼ばれてきた以来になります。
神仏習合の名残ある神社で、三重塔と観音堂があります。神社境内に現存する三重塔としては、長野県内には、ほかに佐久市の新海三社神社三重塔(国重要文化財)があるのみであるそうです。はっきり見えませんでしたが、初層の基股の内部には、それぞれの方位に合わせ、獣面人身という珍しい姿で十二支の動物の彫刻が施されています。静かな空間に歴史ある建物が建ち、厳かな気持ちで参拝ができました。
朽ちて枝が落ちたりの理由で、何百年も経過の木が何本も切られていました。
平日でありますが、地元の方が何人か参拝され、広い境内には、八坂神社、子安神社、大町護国神社の境内社の他に、町の各地から移転された祠がいくつもありました。
本殿屋根頭に赤鬼👹の面があり、御朱印に鬼としてあり、拝受してきました。
昼食は大町温泉郷♨️の「岳」さんで女房がオムライス、私がハンバーグカツカレーを頂きました。どちらももとても美味かったです。😋
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【若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)】
若一王子神社は、長野県大町市大町に鎮座します。第11代 垂仁天皇の御代に仁品王(にしなおう)が社を建て伊弉冉尊(いざなみのみこと)を奉祀したのに始まり、鎌倉時代、安曇郡一帯を治める領主の仁科盛遠(にしな もりとお)が熊野権現(熊野那智大社)に詣で「若一王子」を勧請してより、若一王子の宮と称されるようになりました。境内には、観音堂、三重塔が併存しており神仏習合の姿を残しています。別表神社。
-祭神ー
①若一王子(にゃくいちおうじ)…熊野那智大社第五殿に祀られる神。
②伊弉冉尊(いざなみのみこと)…国土の神々の生みの親。大地の女神。
③仁品王(にしなおう)…当社創始の神。
④妹耶姫(いもやひめ)…仁品王の后。


境内地に入ると三重塔が目に飛び込んで来る。拝殿の隣には観音菩薩を祀る観音堂があり一目神仏習合の名残が見て取れる。
垂仁天皇の時代に仁品王がイザナミを祀ったのに始まり、849年安曇郡一帯を治めた仁科氏が祖先神である仁品王とその后妹耶姫(いもやひめ)を合祀し創建されたと伝わる。
鎌倉時代初期に、仁科盛遠が熊野権現の那智大社第五殿に祀られる若一王子を勧請し、若一王子の宮と称するようになった。
現在の本殿は1556年、仁科盛康によって造営されたもので重文指定されている。
拝殿は1975年に伊勢神宮の社殿を移築したものである。
観音堂は1706年、三重塔は1711年の建築。明治に神仏分離している。

#若一王子神社
ご祭神はイザナミの尊、ニシナ王、イモヤ姫、若一王子。
#仁科王 #妹耶姫
パンフによれば、ニシナ王は第11代・垂仁天皇の時代にこの場所を守る役職についた。後に同地を支配した豪族の仁科氏の祖と。イモヤ姫は彼の妃。
ヤマトタケルの尊が次の景行天皇の皇子で、八幡神は第15代・応神天皇のこと。よってニシナ王とイモヤ姫は、彼らよりもさらに上の世代の神様といえる。
また、ここ若一王子神社を創建したのはニシナ王で、最初に祀られたのはイザナミの尊だったとある。
#若一王子
パンフによれば、鎌倉時代に仁科姓の人物が熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)の第五殿から勧請し、そのため社名に若一王子が付いた。
熊野那智大社の第五殿のご祭神はアマテラス大神。
同じく若王子の名を冠する熊野若王子神社(京都市左京区)によれば、アマテラス皇大神の別号が若一王子で、あちらの社名もこれにちなむと。なお熊野若王子神社は、熊野三山の写し霊場として京都市に成立した3か所の神社のうち1社で、三山のうち熊野那智大社に対応する。
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