にのみやあかぎじんじゃ
二宮赤城神社群馬県 駒形駅
24時間参拝可能
社務所:9:00〜17:00
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり(20~30台) |
こちらで式内社赤城神社の論社はコンプリート。大洞赤城神社・三夜沢赤城神社との本社争いがあるのですが、どちらも甲乙つけがたい神社でした。参拝しやすさからすると、こちらの二宮赤城神社です。私は最後になってしまいました。駐車場は脇鳥居近くの公民館の駐車場に停めさせてもらいました。個人的には好きな神社ですが、本社という雰囲気はありません。周りは土塁と堀に囲まれているらしいのですが、気づきませんでした。社殿裏に末社群の石祠が多くありますが、全体的に説明不足でした。
社号標
日露戦役記念碑
鳥居
脇鳥居
嘉永三年?(1850)奉納の燈籠
細野陣曹翁功徳碑
参道
鐘楼(市指定重要文化財)
梵鐘 元和9年(1623)の銘があり、赤城山神宮寺に奉納されたもの
平和祈念の碑
境内社 粟島神社
神橋(神代橋)
明治四十二年(1909)奉納の燈籠
随神門
随神様
由緒書
手水舎
明治三十一年(1898)奉納の手水盤
社日塔
茅葺の旧御堂、現在は物置化しており、社務所に繋がっているように見えました。元はこの地にはなく、寺にあったものを移設したとのこと
扁額は判読不能
狛犬
拝殿
扁額
本殿
境内社鳥居
境内社 天満宮
宝塔
中央、絹笠大明神
石祠群
境内社鳥居
境内社 秋葉神社
武御祖大神
道祖神
文化財案内板
左、国旗掲揚塔奉納碑中・央、御神楽奉納之碑・右、顕彰碑
国旗掲揚塔奉納碑
御神楽奉納之碑
顕彰碑
神楽殿
舞台
境内
春の大祭です!参道には出店も並び、小さな子供さんがパパママジジババと品定めをしている光景があちらこちらで見られました!やっぱ、唐揚げ、焼きそばでしょう!
創立年代は垂仁天皇の時代と古いものです。
しおりを頂き読んでみると興味深い文章があります。
ある時赤城の神が機織りをしようとすると「くだ」が不足しており、思案の末、貫前の神は外国から来て多分持っているだろうと頼んだところ、快く貸してくれて無事折り終えた。
このような技術を持つ神が他国へ移っては困ると思い、一宮であった赤城神社はその地位を貫前神社に譲り、二宮になった。
つまり、貫前は帰化人の神であり、赤城は上野国に住む人々が昔から信仰して来た神である。
信仰され崇敬の厚さはこれが物語っている。
へえ〜確かに貫前は大衆が親しみをもってって感じではなかったかな?
お参りの日だから尚感じたのかもしれないです。
参道の奥に出店がありました。
鐘楼があります!
少し盛り上がった神橋です。
灯籠
一生懸命持ち上げてます。
花手水
境内は提灯で飾られています。
神楽殿は催し物の準備中
本殿
立派!
祠群
色々文化財があります。
茅葺の建物は今は社務所のようです。
珍しいたけのこ型の御朱印です。
上野国勢多郡の名神大社「赤城神社」の論社であり、同国二宮です。群馬県を中心に300の分社を持つ赤城神社の総本社の一社とされています。
赤城神社の論社には三夜沢と大洞の赤城神社が挙げられ、その論争は決着がついていませんが、社名の二宮が指す通り、一宮制によって神社の社格に順番がつけられた平安時代末期には、信仰の中心であったことが分かります。
《鳥居と社号碑》
明治の近代社格制度では郷社に列格しています。昭和期には二宮、三夜沢、大洞の赤城神社をまとめて国幣中社にする動きもあったそうですが、終戦によって叶いませんでした。
《鐘楼》
鐘は市指定重要文化財に指定されています。
《手水舎》
花手水となっています。
《由緒書き》
三夜沢の赤城神社とは里宮、山宮の関係にあり、神幸祭には御神体が遷幸します。
《随身門》
《授与所》
御朱印いただきました。
《拝殿》
五七桐紋があしらわれています。
《扁額》🙏
👁チェックポイント‼️
当社は戦国時代になると後北条氏によって破却されて衰退してしまい、その際に神仏習合の影響もあって三夜沢の赤城神社に信仰と御神体が移ったとされています。その後に再興され当社はその管理下に入ります。これが具体的に山宮・里宮の関係となった由来とされています。そのため、幕末に大洞と三夜沢が本宮として争点となった時に当社が挙げられなかったと思われます。
《本殿》
流造です。
《重要文化財一覧》
ただ史跡や文化財は三社の中で一番多く所有しています。
《日枝神社》
《神輿殿》
元々は神仏習合時代に十二天を祀っていました。
《天満宮》
《宝塔》
市指定重要文化財です。
《神楽殿と舞台》
太太神楽を奉納する際に使われます。
住所 | 群馬県前橋市二之宮町886 |
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行き方 | 前橋駅(JR東日本両毛線)から、バス(東大室行き)で「二之宮町神社裏」下車、徒歩約7分
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名称 | 二宮赤城神社 |
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読み方 | にのみやあかぎじんじゃ |
通称 | 二宮神社 |
参拝時間 | 24時間参拝可能
|
参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 027-268-0276 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
ご祭神 | 《主祭神》 大己貴命 豊城入彦命 《配祀神》 彦狭島命 天津日大御神 級津彦命 級津姫命 《合祀神》 多紀理比売命 多岐津比売命 市岐島毘売命 天忍穂耳命 天之笠早命 熊野久須毘命 活津日子根命 天津日子根命 和久産巣日命 大物主命 建御名方命 須佐之男命 建御賀豆智命 大地主命 誉田別命 菅原道真 級津姫命 少彦名命 磐筒男命 磐筒女命 日本武命 級津姫命 大山祇命 |
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創建時代 | 景行天皇の御代 |
創始者 | 日本武尊 |
本殿 | 一間社流造 |
文化財 | 県指定重要文化財
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り重要文化財祭り武将・サムライ札所・七福神巡り伝説花手水 |
概要 | 二宮赤城神社(にのみやあかぎじんじゃ)は、群馬県前橋市二之宮町にある神社。式内社(名神大社)論社、上野国二宮論社。旧社格は郷社。 関東地方を中心として全国に約300社ある赤城神社の、本宮と推測されるうちの一社である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 赤城山(祭祀対象) 概史[編集] 創建は不詳で、平安時代にさかのぼると見られる。赤城南麓には豊城入彦命を祖とする上毛野氏がいたと伝わっており、当社の創建に関係したともいわれる[1]。当社が「二宮」と称したのは12世紀前後と見られる[2]。 六国史には「赤城神」に対する数度の神階奉授の記録があるほか、平安時代中期の『延喜式神名帳』には名神大社として「上野国勢多郡 赤城神社」の記載があり、その論社とされている。論社には赤城山麓に鎮座する当社のほか、山腹の三夜沢赤城神社、山頂の大洞赤城神社があり、確定していない。 戦国時代末期には北条氏直により荒廃したが、大胡城に入った牧野氏に...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 御神幸 (4月・12月の初辰の日)[1] - 三夜沢赤城神社まで神体が遷幸する。前橋市重要無形民俗文化財指定。 御神事 (3月・11月の最終午の日) 例大祭 (4月15日) ^ 祭事は境内説明板より。 |
引用元情報 | 「二宮赤城神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102162935 |
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