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二宮赤城神社のお参りの記録一覧

群馬県 駒形駅

惣一郎
2021年09月15日(水)
909投稿

二宮赤城神社(にのみや・あかぎ~)は、群馬県前橋市二之宮町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は郷社。祭神は豊城入彦命(とよきいりひこ)と大己貴命(おおなむち)の2柱。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の南面の山麓にある。

創建は不詳。赤城南麓には豊城入彦命を祖とする上毛野氏がいて、当社の創建に関係したと伝わる。当地の東北方に4基の前方後円墳からなる大室古墳群が残っており、赤城神と関係が深い上毛野氏の中心地であると推測されている。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(大洞)、赤城神社(三夜沢)とともに、その論社となっている(赤城神社(大洞)または赤城神社(三夜沢)は山宮で、当社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。戦国時代末期に、北条氏直によって当社は焼き払われたが、江戸時代直前に大胡城に入った徳川家家臣の牧野氏が社殿を整備した。明治時代に入り、郷社に列した。

当社は、JR両毛線・駒形駅の北東3kmあまりの平地にある。近くに国道17号(上武道路)や国道50号線が走っており交通至便。境内はけっこう広く、鳥居から社殿までは距離があって旧郷社格としては堂々たるもの。特徴的なのは神門からスタートする広い境内と、藁葺屋根の社務所。江戸期からの歴史を十分に感じることができる。

今回は上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、赤城山の観光エリアから離れていること、真夏の炎天下であったことなどもあるのか、自分たち以外に参拝者は見掛けなかった。

二宮赤城神社の鳥居

境内南端にある<鳥居>と<社号標>。

二宮赤城神社の鳥居

鳥居の扁額には<郷社 二宮赤城神社>と記載されている。

二宮赤城神社の建物その他

鳥居をくぐって、参道右側にある<鐘楼>。梵鐘は赤城神社神宮寺に奉納されたもので、1623年の銘がある。現在は御神幸(ごじんこう)の時のみ撞かれるとのこと。御神幸は年2回、4月と12月の初辰の日に、御神体が赤城神社(三夜沢)まで遷幸するもの。

二宮赤城神社(群馬県)

林の中の参道を進む。

二宮赤城神社(群馬県)

やがて参道の両側に燈籠が立ち、<神代橋(じんだいばし)>を渡って神域に入る。

二宮赤城神社(群馬県)

神代橋を渡ってすぐ右側にある<手水舎>。

二宮赤城神社の山門

参道正面に現れる<隋神門>。隋神門をくぐってすぐ左側に立つ建物は<授与所>。御朱印はこちら。

二宮赤城神社の建物その他

参道左側(境内西側)に見えるのが、茅葺屋根に味がある<社務所>。

二宮赤城神社の建物その他

参道右側(境内東側)に見えるのが、<神楽殿>(中央)と<舞台>(右)。2つ分かれているのは珍しい。

二宮赤城神社の本殿

参道突き当りの<拝殿>全景。

二宮赤城神社の本殿

<拝殿>正面。

二宮赤城神社の本殿

<拝殿>正面には、<二宮赤城神社>の扁額が掛かっている。さらに奥にも扁額がある?

二宮赤城神社の本殿

覗き込んでみると、奥の扁額には<二宮神社>と書かれている。

二宮赤城神社の末社

拝殿左手にある<天満宮>。

二宮赤城神社の末社

社殿左手に並んでいる小祠群。写真右奥には、南北朝時代の<宝塔>がある。この手の宝塔は赤城山南麓に多く分布し、<赤城塔>と呼ばれるとのこと。

二宮赤城神社の本殿

拝殿後ろの<本殿>。壁のない覆屋に覆われている。

二宮赤城神社の末社

社殿左側奥にある境内社。鳥居の奥には、社殿ではなく石碑が立っている。

二宮赤城神社の末社

社殿左側にある境内社。

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