にのみやあかぎじんじゃ
二宮赤城神社のお参りの記録一覧
三夜沢赤城神社参拝した後はこちらへお参り。
郷社なので規模は大きくありませんが、境内は広いです。
御朱印は通常版のみ書き入れ対応してもらえました。
とりあえず赤城神社三社巡拝は達成!
そして、竹駒神社の御朱印帳も全ページ埋まりました^_^
次は神社ソムリエのあやかりチャンネルで配信された前橋東照宮へ向かいます。
社号標と鳥居
鐘楼がありました
参道
神代橋を渡って随神門
花手水
由緒書
狛犬と拝殿
御本殿も映るように社殿を斜めから
拝殿の扁額
拝殿の扉が少し開いており、その中には二宮神社と書かれた扁額が。
御本殿は覆屋になってました。
神楽殿
社務所
茅葺きされたトタン屋根が珍しくて撮ってしまった
御朱印と
さー前回から始まった群馬遠征。どー周るか悩んだ結果… まずは引き続き前橋市を… 県を4つに分けて表現するよーで中毛エリアを攻めるコトにっlol
⛩️ 前橋市 "二宮赤城神社"
赤城神社総本社と推測されてる3つの神社の内の一つ。個人的には里宮ではないかと…
国道17号 上武道路から入ると正面に一の鳥居。脇から進むと境内P。近辺に駅は無く伊勢崎駅からタクシーか前橋駅からバスのもよー。
着いてみると朝イチにも関わらず境内Pがほぼ満車。人が沢山いる… どーやらこの日は納涼祭らしく地域の方が集まって準備しているみたい(pic1)。
参拝後 忙しい中、宮司さんに対応して頂き御朱印を拝受。この時期で4,5種類程と豊富な中、唯一のお書き入れして頂ける通常盤を。
とっ言っても時期によって変わるよーで緑の赤城山や花火の印が押され季節感のある素敵な御朱印。風鈴や団扇まで頂いてしまったlol
実は前回も伺っていて社務所が開いてなくあらためて伺ったんだけどまた来て良かったlol 随身門(pic2) 手水舎の風鈴(pic3)も特徴的だったのでUp。
納涼祭 準備中の境内と通常御朱印
随身門
手水舎の飾り
春の大祭です!参道には出店も並び、小さな子供さんがパパママジジババと品定めをしている光景があちらこちらで見られました!やっぱ、唐揚げ、焼きそばでしょう!
創立年代は垂仁天皇の時代と古いものです。
しおりを頂き読んでみると興味深い文章があります。
ある時赤城の神が機織りをしようとすると「くだ」が不足しており、思案の末、貫前の神は外国から来て多分持っているだろうと頼んだところ、快く貸してくれて無事折り終えた。
このような技術を持つ神が他国へ移っては困ると思い、一宮であった赤城神社はその地位を貫前神社に譲り、二宮になった。
つまり、貫前は帰化人の神であり、赤城は上野国に住む人々が昔から信仰して来た神である。
信仰され崇敬の厚さはこれが物語っている。
へえ〜確かに貫前は大衆が親しみをもってって感じではなかったかな?
お参りの日だから尚感じたのかもしれないです。
参道の奥に出店がありました。
鐘楼があります!
少し盛り上がった神橋です。
灯籠
一生懸命持ち上げてます。
花手水
境内は提灯で飾られています。
神楽殿は催し物の準備中
本殿
立派!
祠群
色々文化財があります。
茅葺の建物は今は社務所のようです。
珍しいたけのこ型の御朱印です。
前橋の夏詣/福めぐりで初めてお参りいたしました。
産泰神社さんと同じ日に行ったので、暑かったですね☀️😵💦
自然豊かな神社は涼しい感じがしました。
福めぐりの御朱印
七夕御朱印
夏詣御朱印(雲型)
7月の御朱印
社殿
赤城山登頂が予想以上に時間がかかり、大胡神社など回る予定だった寺社をいくつか省略(ノД`)
こうなったら赤城マスターを極めようと、最後に二宮赤城神社に行ってみました。
境内が広い! 一つ前の産泰神社とまた違った壮大さを感じました。
板葺き屋根のお社もあれば、茅葺き屋根のお社もあったりバリエーションに富んでるのも面白かったです。
授与所にチャイムがあり、押してみましたが宮司さん不在だったようでお守りや御朱印はいただけず(つД`)
授与所の中を覗いたところ、墨や筆があり直筆御朱印がいただけるようでした。
今日は神社系が全て書き置きだったので残念至極。
しかし、代わりにお留守番らしい人懐こい猫ちゃんが出てきてくれて癒されました(*´∀`)
二宮赤城神社(にのみや・あかぎ~)は、群馬県前橋市二之宮町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は郷社。祭神は豊城入彦命(とよきいりひこ)と大己貴命(おおなむち)の2柱。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の南面の山麓にある。
創建は不詳。赤城南麓には豊城入彦命を祖とする上毛野氏がいて、当社の創建に関係したと伝わる。当地の東北方に4基の前方後円墳からなる大室古墳群が残っており、赤城神と関係が深い上毛野氏の中心地であると推測されている。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(大洞)、赤城神社(三夜沢)とともに、その論社となっている(赤城神社(大洞)または赤城神社(三夜沢)は山宮で、当社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。戦国時代末期に、北条氏直によって当社は焼き払われたが、江戸時代直前に大胡城に入った徳川家家臣の牧野氏が社殿を整備した。明治時代に入り、郷社に列した。
当社は、JR両毛線・駒形駅の北東3kmあまりの平地にある。近くに国道17号(上武道路)や国道50号線が走っており交通至便。境内はけっこう広く、鳥居から社殿までは距離があって旧郷社格としては堂々たるもの。特徴的なのは神門からスタートする広い境内と、藁葺屋根の社務所。江戸期からの歴史を十分に感じることができる。
今回は上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、赤城山の観光エリアから離れていること、真夏の炎天下であったことなどもあるのか、自分たち以外に参拝者は見掛けなかった。
境内南端にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居の扁額には<郷社 二宮赤城神社>と記載されている。
鳥居をくぐって、参道右側にある<鐘楼>。梵鐘は赤城神社神宮寺に奉納されたもので、1623年の銘がある。現在は御神幸(ごじんこう)の時のみ撞かれるとのこと。御神幸は年2回、4月と12月の初辰の日に、御神体が赤城神社(三夜沢)まで遷幸するもの。
林の中の参道を進む。
やがて参道の両側に燈籠が立ち、<神代橋(じんだいばし)>を渡って神域に入る。
神代橋を渡ってすぐ右側にある<手水舎>。
参道正面に現れる<隋神門>。隋神門をくぐってすぐ左側に立つ建物は<授与所>。御朱印はこちら。
参道左側(境内西側)に見えるのが、茅葺屋根に味がある<社務所>。
参道右側(境内東側)に見えるのが、<神楽殿>(中央)と<舞台>(右)。2つ分かれているのは珍しい。
参道突き当りの<拝殿>全景。
<拝殿>正面。
<拝殿>正面には、<二宮赤城神社>の扁額が掛かっている。さらに奥にも扁額がある?
覗き込んでみると、奥の扁額には<二宮神社>と書かれている。
拝殿左手にある<天満宮>。
社殿左手に並んでいる小祠群。写真右奥には、南北朝時代の<宝塔>がある。この手の宝塔は赤城山南麓に多く分布し、<赤城塔>と呼ばれるとのこと。
拝殿後ろの<本殿>。壁のない覆屋に覆われている。
社殿左側奥にある境内社。鳥居の奥には、社殿ではなく石碑が立っている。
社殿左側にある境内社。
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