にのみやあかぎじんじゃ
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楽しみ方二宮赤城神社のお参りの記録一覧
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春の大祭です!参道には出店も並び、小さな子供さんがパパママジジババと品定めをしている光景があちらこちらで見られました!やっぱ、唐揚げ、焼きそばでしょう!
創立年代は垂仁天皇の時代と古いものです。
しおりを頂き読んでみると興味深い文章があります。
ある時赤城の神が機織りをしようとすると「くだ」が不足しており、思案の末、貫前の神は外国から来て多分持っているだろうと頼んだところ、快く貸してくれて無事折り終えた。
このような技術を持つ神が他国へ移っては困ると思い、一宮であった赤城神社はその地位を貫前神社に譲り、二宮になった。
つまり、貫前は帰化人の神であり、赤城は上野国に住む人々が昔から信仰して来た神である。
信仰され崇敬の厚さはこれが物語っている。
へえ〜確かに貫前は大衆が親しみをもってって感じではなかったかな?
お参りの日だから尚感じたのかもしれないです。


赤城山登頂が予想以上に時間がかかり、大胡神社など回る予定だった寺社をいくつか省略(ノД`)
こうなったら赤城マスターを極めようと、最後に二宮赤城神社に行ってみました。
境内が広い! 一つ前の産泰神社とまた違った壮大さを感じました。
板葺き屋根のお社もあれば、茅葺き屋根のお社もあったりバリエーションに富んでるのも面白かったです。
授与所にチャイムがあり、押してみましたが宮司さん不在だったようでお守りや御朱印はいただけず(つД`)
授与所の中を覗いたところ、墨や筆があり直筆御朱印がいただけるようでした。
今日は神社系が全て書き置きだったので残念至極。
しかし、代わりにお留守番らしい人懐こい猫ちゃんが出てきてくれて癒されました(*´∀`)
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二宮赤城神社(にのみや・あかぎ~)は、群馬県前橋市二之宮町にある神社。式内論社(名神大)で、上野国二之宮の論社。旧社格は郷社。祭神は豊城入彦命(とよきいりひこ)と大己貴命(おおなむち)の2柱。上毛三山の一つ、赤城山を御神体として祀る神社で、関東を中心に約300社ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社。赤城山の南面の山麓にある。
創建は不詳。赤城南麓には豊城入彦命を祖とする上毛野氏がいて、当社の創建に関係したと伝わる。当地の東北方に4基の前方後円墳からなる大室古墳群が残っており、赤城神と関係が深い上毛野氏の中心地であると推測されている。『続日本後紀』には平安時代の839年に「赤城神」の神階奉授の記録があり、『日本三代実録』には神階昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「上野国 勢多郡 赤城神社 名神大」と記載されており、赤城神社(大洞)、赤城神社(三夜沢)とともに、その論社となっている(赤城神社(大洞)または赤城神社(三夜沢)は山宮で、当社は里宮と推定されている)。その後、3社のいずれかが上野国二之宮になったとされている。戦国時代末期に、北条氏直によって当社は焼き払われたが、江戸時代直前に大胡城に入った徳川家家臣の牧野氏が社殿を整備した。明治時代に入り、郷社に列した。
当社は、JR両毛線・駒形駅の北東3kmあまりの平地にある。近くに国道17号(上武道路)や国道50号線が走っており交通至便。境内はけっこう広く、鳥居から社殿までは距離があって旧郷社格としては堂々たるもの。特徴的なのは神門からスタートする広い境内と、藁葺屋根の社務所。江戸期からの歴史を十分に感じることができる。
今回は上野国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、赤城山の観光エリアから離れていること、真夏の炎天下であったことなどもあるのか、自分たち以外に参拝者は見掛けなかった。
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