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登渡神社のお参りの記録一覧
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【千葉県編 ⑤】
太上神社様から登渡神社様へこちらも初参拝🙏🏻
初めましての神社様だったのに痛恨のミス😣
モバイルバッテリーを持ってくるのを忘れてしまい写真を撮っている途中でシャットダウン😱
御本殿や神楽殿など撮れませんでしたぁ😭
★登渡神社★
当神社は正保元年(1644年)9月5日、千葉家の遺族、登戸権介平定胤が祖先を供養するため千葉妙見寺(現在の千葉神社)の末寺(白蛇山真光院、通称登戸妙見寺)として妙見大菩薩を奉斉し、僧定弁に守護させたのがそのはじめであると伝えられております。その後、十四世興胤の時、慶応3年(1867年)12月26日、御社号を登渡神社と改め御祭神を天御中主神以下の造化三神に定め、明治41年(1908年)12月18日、登戸字鷲塚(千葉市新千葉三丁目)鎮座、鷲神社(御祭神 天日鷲神)を合祀し、四柱の神様をお祀りすることになりました。のち昭和48年(1972年)8月5日、御鎮座三百三十年記念臨時大祭を執行し、更に、平成2年(1990年)6月30日、本殿移築、弊殿•拝殿新築、また、神輿庫•大師堂•古札納所新築、その他末社の修理、境内地の整備等が成り遷座奉祝祭が賑
々しく斎行されました。今上陛下御大典という我国歴史上の佳年に、この大事業が成されたことは御神慮は勿論のこと、敬神の念篤き氏子崇敬者の皆様方の御尽力の賜物であると存じます。当神社の氏子崇敬者が千葉市西部地区全域に及ぶことから特に西千葉総鎮守と称えられ広く一般の人々から尊崇されております。
ー登渡神社HPよりー



千葉市中央区登戸に鎮座する「登渡神社」は千葉氏ゆかりの妙見社のひとつになります。
正保元年(1644)に千葉家の末孫である登戸権介平定胤が先祖を供養するため、千葉妙見寺(千葉神社)の末寺、通称「登戸妙見寺」として妙見大菩薩を奉斎し、僧定弁に守護させたのが始まりと伝えられています。
その後、慶応3年(1867)社号を登渡神社と改めご祭神を天之御中主神以下の造化三神に定めました。さらに明治41年、登戸字鷲塚に鎮座する鷲神社(祭神:天日鷲神)を合祀し、現在に至ります。
西千葉総鎮守と称えられ広く人々から崇敬されています。
もともとお寺だったということで、境内に大師堂があるなど神仏習合の名残が強く残っていました。
余談ですが、神奈川県川崎市には登戸(のぼりと)って地名があるんですけど、当社の鎮座地を地図で見て、千葉にも登戸って地名があるんだー!と思ったら、登戸(のぶと)って読むと知ってビックリ😲
以前寒川さんを調べてた時も地域によって、さむかわ、さんがわ、さがわ、そうがわ、かながわ…って読み方いろいろ違ったんですよね😵💫
日本語ってムズカシイ😂

(2025年3月の参拝です)
登渡神社に参拝し書置きの御朱印を頂きました。
千葉市中央区登戸に鎮座します。
ご祭神は天御中主命・高皇産霊命・神皇産霊命(造化三神)・天日鷲命です。
創建は千葉氏の末裔登戸権介平定胤が祖先を供養するため、地区の最高点である遠望台(標高約15m)に千葉妙見宮(現在の千葉神社)の末寺を正保元年(1644年)9月5日に勧請し、千葉氏の門族の出身であった僧定弁を守護の任にあてた白蛇山真光院定胤寺を起縁とする。慶応3年(1867年)12月26日に登渡神社と改め、祭神を妙見菩薩と同一視される天御中主神以下の造化三神に定める。明治41年(1908年)登戸字鷲塚(現在の千葉市中央区新千葉三丁目)にあった鷲神社を合祀し、同神社の祭神、天日鷲命を加えて4柱となった。
西千葉の総鎮守です。登戸は葛飾北斎が『冨嶽三十六景』「登戸浦」を描いた場所とされる。
拝殿は間口6間、奥行3間、檜造の入母屋造平入で銅板一文字葺屋根の建物です。
境内社に浅間神社・水神社、稲荷神社などがありました。
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