としたじんじゃ
敏太神社三重県 久居駅
24時間参拝可能
御朱印 | - | ||
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駐車場 | あり |
いつもの通り道にある神社で、雨上がりの為、参道が泥濘んでいましたが、ご参拝出来て良かったです。
結構蚊にやられちゃいました( ・᷄-・᷅ )
白い鳥居に朱の橋が映える
狛犬が可愛くて!
風早大明神
通り道から見える鳥居
伊勢国壱志郡の式内論社です。松阪市にも同名の神社がありますが御祭神が全く違っており、こちらにはあの源平藤橘の一角である橘氏の初代長者となる橘諸兄さんが勅使として参向しています。
《一の鳥居》
この地域では珍しい明神鳥居です。後から建てられたのかな?
《宮山城址説明》
👁チェックポイント‼️
この神社の奥にある宮山の頂上に宮山城が築かれていたそうです。ん?主郭部分には稲荷社が祀られている…?
いつもお世話になってお(🤛
《表参道》
丘の近くにあるため森を突っ切るように道が作られています。
《手水舎》
《社号碑》
《三の鳥居》
「奉献」の字が真ん中にありますね。
《末社・八幡宮》
《鳥居》
はあるのですが、なぜか社殿がないんですよね。だからの入り口なのでしょうか…?
《拝殿》
《扁額》
当敏太神社は式内敏太神社と称し、皇祖彦火火出見命とその后であられる豊玉姫命を祀る由緒深い社であり神武天皇以前より祀られ今日に至るまで二千有余年の長い間、神光連綿、威徳赫々として御神徳を垂れ賜わった氏神様であって氏子の皆さま方を初め敬慕される方々の厚い信仰の的となっている。また人皇四五代聖武天皇におかれましては天平年中(729-746)橘諸兄卿を勅使として当社に参向させられ祭文を奉献された社である。さらにまた天文天正(室町、安土桃山時代)の頃の木造左中将軍具政は当社に居城し神社の北の峰に砦を築かれたことから木造家の守護神として信仰深く社殿の造営修築はすべて木造家の資金によりなされた。寛文十年(1670)藤堂佐渡守高堅侯も当社祭神の御神徳と偲び親交を深められられたため縁起一巻を当社に献納し日夜信仰を積まれ藤堂家代々の祈願所とされたので今尚摂社内に藤堂佐渡守高通侯を初め高堅侯高興侯の霊位が安置されている。
名称 | 敏太神社 |
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読み方 | としたじんじゃ |
通称 | 風早大明神 |
参拝時間 | 24時間参拝可能 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
ご祭神 | 《主》彦火火出見命,豊玉姫命 |
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本殿 | 入母屋造 |
ご由緒 | 当敏太神社は式内敏太神社と称し、皇祖彦火火出見命とその后であられる豊玉姫命を祀る由緒深い社であり神武天皇以前より祀られ今日に至るまで二千有余年の長い間、神光連綿、威徳赫々として御神徳を垂れ賜わった氏神様であって氏子の皆さま方を初め敬慕される方々の厚い信仰の的となっている。また人皇四五代聖武天皇におかれましては天平年中(729-746)橘諸兄卿を勅使として当社に参向させられ祭文を奉献された社である。さらにまた天文天正(室町、安土桃山時代)の頃の木造左中将軍具政は当社に居城し神社の北の峰に砦を築かれたことから木造家の守護神として信仰深く社殿の造営修築はすべて木造家の資金によりなされた。寛文十年(1670)藤堂佐渡守高堅侯も当社祭神の御神徳と偲び親交を深められられたため縁起一巻を当社に献納し日夜信仰を積まれ藤堂家代々の祈願所とされたので今尚摂社内に藤堂佐渡守高通侯を初め高堅侯高興侯の霊位が安置されている。 |
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