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京都府亀岡市にあるお寺です。
最近 亀岡にはまっています。
京都の奥座敷と言われるだけあって 素敵な寺社が多いんです。
ご祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)、健御名方命(たけみなかたのみこと)、天照皇大神(あまてらすおおかみ)、天兒屋根命(あまのこやねのみこと)です。
穴太寺から車で5分ほどでしょうか。
国道423号から府道407号を南下した 集落の外れ 山沿いに鎮座されています。
駐車場もあり アクセスは良いです。
階段を少し上って鳥居をくぐるのですが ここまでのほんの少しの時間で歴史を感じます。
写真を見ていただければわかるのですが 階段も石柱も鳥居も長い時間の流れを伝えています。
由緒書が直筆のようで 正直読めませんでした。
印刷されたものでないのは それなりに古いということでしょうから これだけでも歴史を感じさせます。
拝殿は少し新しいかもしれませんが 本殿がまた素晴らしい。
由緒によると江戸時代のものだそうで たまりません。
お参りした時 突然雨が降ってきたのですが わびさびというのか 心がすっと落ち着きました。
本当に素敵な神社でした。
由緒については
諸国鎮座神秘抄によると奈良時代に四道将軍丹波道主命を国家の平和鎮護の為祀った与能神宮寺が起源とされ 現御旅所を中心に 曼荼羅堂 講堂等寺区全域に伽藍を誇り 皇室の崇敬篤く口丹波南部の中心として隆盛をきわめたが鎌倉時代以後兵火にあい焼失した(礎石、古瓦が現存)また「谿端與能宮旧記」によると、空海が嵯峨天皇の命により神宮寺を開き奥院露堂で護摩修行を行い 後嵯峨天皇の代に村山 与能など八庄を神領として寄進を受けたとされる。
立派な彫刻のある本殿は三間社流造で 現存する慶長8年(1603)の棟札によると社殿が文応元年(1260)に建立され 慶長元年(1596)に地震により倒壊し 同8年(1603)に再建されたことがわかる。
現在の本殿は正徳4年(1714)に改修されたものと考えられる。
境内には応永21年(1414)の銘のある 石灯籠があり 境内の百太夫社は芸能の神としてその方面の崇敬をあつめている。
境内由緒書きより
ここだけで感動です
読めない由緒書
拝殿
本殿は江戸時代のものだそうです
本殿
雨の映り込みが好きです
祇園社
湧き水の手水
こちらは水枯れでしょうか
残念ながらこの日は無人でした
境外の池
天満宮の鳥居
天満宮
稲荷社
丹波国桑田郡の式内社です。朝廷から丹波・丹後地方を治めにいった四道将軍の丹波道主命さまが創建しました。そのほかにも三宅神社と山国神社があり、この2社が朝廷の御領地に創建されたのに対し、国家鎮護の神社として崇敬されていました。
《一の鳥居と社号碑》
参拝当時は氏子さん?業者さん?が落ち葉を掃除していました。
《池》
カエルの置物がありました。
《外拝殿》
土間式でした。土俵のように見えますね。
扁額には「正一位 與能大明神」と書かれていますね。最上位を賜っていたようです。
《手水舎》
屋根付きの手水舎もありましたが、こちらは山からの天然水が流れて…るといいですよね。
《コウヨウザンの説明》
看板はあったのですが…どの木だったのか分かりませんでした。
《本殿》🙏
両側に休憩所のようなものがあります。
《本殿》
👁チェックポイント‼️
かつて神仏習合時代にあった神宮寺では嵯峨天皇さまの命であの空海さんが護摩修行を行って国家鎮護を祈願していたとされています。外拝殿にもあるように正一位の神階を得ているあたり、かなり有力な神社として見られていたのは確かです。
《祇園社》
《稲荷社》
本殿から見て右の森の奥にあります。
いうもお世話になっt(🤛
《天満宮》
稲荷社から斜め後方の高台にあります。丹波は生身天満宮があるので道真公とも深い土地柄であります。
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